エクセッシブガール-2

 会社を出てすぐに、またイヤホンを差し込む。さっきまで心地よかった音量は、夜道の静けさの中では大きすぎて、また肩がびくりと跳ねてしまう。

 アルバムの五曲目。一番よく聞く曲。メロディーに意識を集中させれば、少し気分が落ち着いた。その曲が、不意に途切れる。

「?あ」

「え?あ、ごめんなさい」

 見れば、コードがすれ違った女の人の鞄に引っかかり、ポケットの中のプレーヤーから外れている。慌てて外して頭を下げる。

「いえ、大丈夫ですよ……って、あれ?ねぇ、もしかして高校の」

「え?」

 伸ばしていた手を掴まれ、びくりと顔を上げる。見れば、確かに見覚えのある顔。誰だっけ、この人。少し考えて、すぐに思い出す。そうだ、この人、高校が一緒だった。

「えー、ほら、覚えてない?あたしだよ、あたしー!」

「あ、うん。思い出した」

「思い出したって、酷いなぁ。忘れてたってことー?」

 意地悪そうに唇を歪める彼女に、違うよぅと私も口角を上げる。しばらく動かしていなかった頬がぎこちなく持ち上がる。それを見て、彼女も笑顔を浮かべた。

「あはは、やっぱ変わんないね。ねぇ、これから暇?」

「暇、だけど」

「じゃあご飯行かない?」

「せっかくだしね、行こっか」

 変わんない。その言葉が耳に残りつつ、承諾した。

「ここ、ずっと来てみたかったお店なんだよねー」

「そうなんだ」

「うん。あとね、あそこの駅の」

 ずっと来たかったのだという隠れ家的なお店の席に着き、彼女がはしゃいだように声を上げる。ほら、と差し出されたスマートフォンでオススメだというお店のレクチャーを受けつつ、目がその指を追った。

 薬指に光る、リング。

 私の視線に気づいた彼女が、嬉しそうに、得意そうに笑う。

「結婚したの?」

「そうなの」

「いつ?」

「去年の夏」

「……知らなかった」

「ビックリした?」

「そりゃあもう」

 知らなかったことにね、と、心の中で付け足して、再び口角を上げる。

「おめでとう」

「んふふ、ありがとー」

 ギシ、と強張った頬が音を立てた気がした。

「仕事は?続けてるの?」

「続けてるよー。まぁ、しがないOLだけど」

「そっか。ここら辺?」

「あたしがいるのは違うけど、本社はこっち。今日は本社にお使いだったんだよねー。にしても、ここで仕事とか羨ましい!もしかしてエリートとか?」

「まさか。私も普通にOLしてるだけ」

「だよねー」

 あはは、と再び笑う。合わせるように笑いながら、逃げ出したくなる。

「それにしても、また変わったね。最初誰だか分かんなかったよー」

「そうかな」

 首を傾げてみせる。

 変わった。そりゃ、そうだろう。変わろうとしたんだから。それなのに、変わらない、なんて。

「そうだ、最近みんなと会ってる?」

 みんな、とは。また一瞬考えて、すぐに思い出す。みんな、か。懐かしいようで、懐かしさも感じない記憶。それは今現在まで確かに続いていて。

 昔から、周りには派手な人が多かった。目の前にいる彼女もそのうちの一人だ。

だからと言って全員が全員派手なわけではなくて、一番仲のいい子が派手だから必然的にそうなっただけで。その集団を外から見れば、私は確実に浮いていたように思う。

「会ってないかな」

「あーそうなんだ。あたしもねぇ、結婚式に来てくれた人たちとは会えたけど、それ以外はなかなか」

「みんな忙しいよね、きっと」

「だよね。海外勤務の子もいるし、地方に転勤した子もいるし。ずっとこっちにいる人なんてたぶん数えるほどしかいないんじゃない?」

「そうかも」

「あー、話してたらみんなに会いたくなってきちゃった。今度の休みにでも企画してみようかなぁ。そしたら来てよね」

 もちろん、なんて笑いながら、きっと理由をつけて断るであろう未来を予感する。彼女の言うみんな、には、高確率で私は含まれていない。

 コロコロと変わる話題に半ば疲れて飲み物に口を付けた時、ふと彼女の視線がそれを追っているのを感じた。

「ネイル、してるんだ」

「うん。好きだから」

「そっかぁ。あたしのとこ、仕事でいろいろ言われちゃうからなー羨ましい」

「私も言われるよ」

「あれ、そうなの?だけど、するんだぁ」

 変わったね。変わんないね。先ほど言われた対極にあるような言葉が、一つの形として立体感を持つ。

「ねぇ、覚えてる?ちーのこと」

「うん」

「あたしたち、必死すぎるって言って笑ってたよね」

 反省するわけでもなく、懐かしい気持ちを滲ませるわけでもなく。ただ単純に過去の記憶としての、印象。何も言葉を挟めなくて黙って頷く。

「ちーってさ、あたしたちのグループにいて、たぶんそのグループに追いつこうといつも必死で背伸びばっかりしてた」

 メイクも髪もネイルも。見よう見まねで手を伸ばしていた。新しく買った化粧品。明るくなった髪色。服によって変わる爪色。それを見てあたしたちは、すごい、変わったねって、そう言って笑って。その度に、ちーは嬉しそうにしてて。

「そんなちーを見てあたしたち、その必死さをどこかで見下げてた」

 彼女の眉が下がる。

「今なら分かるよ。変わろうとするのって、凄いよね。努力できるのってすごいよね」

 社会に出れば、当たり前のように今まで通りじゃ行かなくなって。理想の自分と現実の自分がどんどん離れていく。変わらないといけなくなる。理想に近づけるよう、近い自分に成れるよう。それでも理想は遠くって。

 だけど。それを私に言って、どうなると言うのだろう。

 理想と現実の差に苦しんで、理想との距離に愕然とする人は、なんとかその距離を埋めた人を見つけて賞賛する。こんな人がいる。近づけた人がいる。その人を認めれば自分だって、その人みたいになれるかもしれない。

 彼女の言葉は自分のためであって、昔嘲笑った人に向ける懺悔でも、何でもない。

「すごい、のかなぁ」

 彼女の言葉を全面的に受け入れることはできず、曖昧な言葉で濁した。途端に広がる、苦笑い。

「やっぱり、変わんないね」

 変わったね。変わんないね。その言葉はあべこべのようで、どちらも同じものを指す。それは、いつだって私のことを正しく批判していて。

「安心する?」

「そうだね、安心するかもー」

 居た堪れない気分になる。ちょうど飲み物が空になり、その気分のままに立ち上がった。

 ……彼に、会いたい。

「ごめん、明日朝早いの忘れてた」

「あーそうなの?こっちこそごめんねぇ、突然誘っちゃって」

「ううん、美味しかったよ。じゃあまたね」

「うん、今度本当に企画するからさ、来てね」

「行く行く」

 手を振って彼女と別れ、イヤホンに手を伸ばす。その手が、止まった。

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