レリジョンドール-2
***
元から容姿には恵まれていた。美人ではないけれど派手な顔立ちをしていて、華やかに見える、らしい。女は女を磨いてなんぼという考えの家庭で、自分の魅力を磨くのは当然だった。
結果、周りから人が消えた。
私にとって当然のことは、他の人にとっては普通じゃなかった。人は私を男好きと呼び、有る事無い事噂が出回った。
納得できなかった。人間は自分を磨くべきで、それが向上心と呼ばれるもので、それが一部に向けられる分には推奨されるのに女を磨こうとすれば批判される。自分を高めることの何がおかしいんだろう。そもそもその努力もしない人間に、どうして非難されないといけないんだろう。納得がいかなくて、ムシャクシャして、それさえも利用してやろうと思った。
人は、どんどん遠ざかった。
「千夏ちゃんてさぁ、うちらのこと見下してるよね」
「なんていうか、男にモテるためなら何でもするって感じ?」
「確かに器用だけど、それだけじゃない?」
正直、少しだけ寂しかった。
逃げるようにまた自分磨きに打ち込んで、また人を遠ざけて、それは大学になっても社会人になっても変わらない。
千夏は男好き。自分勝手でぶりっ子。
噂は人から生まれるけれど、人を作りもする。噂に引っ張られそうで怖くなり、それでも負けないように仕事を頑張った。
認めてくれたのは、他の部署の、先輩だった。
「今度の打ち合わせ、こっちの会議室借りられるかな」
他の部署との合同プロジェクト。何度か私も参加して、そこで使われる書類を作成したりしていた。
「あ、はい。分かりました。申請しておきます」
「うん、ありがとう」
「いえ」
初めての会話なんてそれくらい。何かのついでに通りかかった彼と、誰も応じる人がいないからと対応した私。特別深く印象に残ったわけでもなければ、残したわけでもない。ただの、他の部署の人。他の、偏見だらけの会社の人と、何も変わらない。
その、ハズだった。
「あ、ねぇ」
会議の後に、呼び止められるまでは。
「打ち合わせ、お疲れ様です。何ですか?」
「会議室の申請、ありがとう。あんなに軽くお願いしちゃったから、少し心配だったんだけど」
よかった、と笑う、優しい顔。
なんだ、心配って。私がこんな見た目だから、悪い噂しかないから、心配だったのか。捻くれた考えで、笑顔を浮かべる。
「私もちゃんと申請できていて良かったです」
言えば、困ったように頭を掻く。
「あー、ごめんごめん、そういう意味じゃないよ。ほら、打ち合わせの資料、作ってくれてるだろ?」
「まぁ、作って、ますけど」
「うん。それ、すごい見やすいけど、手間が掛かってると思うから。軽くお願いしちゃったけど、負担にならなかったかなって」
思わず、顔を逸らす。
ちゃんと、いた。気づいてくれている人。まっすぐに気遣ってくれる人。緩みそうになる頬を隠そうと、視線を合わせないまま答える。
「どうでした?今日の資料」
答えてから、ちらりと視線を向ける。飛び込んでくる、優しい笑顔。
「カンペキ」
ブワッと、頬に熱が集まる。
ありがとうございます、だの、失礼します、だの。そんな感じの言葉をごにょごにょと並べ、慌てて背を向けた。
気づいてくれる人がいる。気遣ってくれる人がいる。頑張っていいんだ。誰かを見返したいとか、そんな理由じゃなくて、誰かに褒められたい、そんな理由でも。そう考えると、ずっと気が楽になった。
「千夏ちゃん、今日こそどうよ?」
「ごめんなさい、まだやりたい仕事があるので」
「まじめだなぁ」
「……ありがとうございます」
「あっれ、千夏ちゃん今日ちょっと機嫌いい?」
「そうかもしれないです」
「えー?なになにー?なんか良いことあったのー?カレシできたとかだったら俺、泣いちゃうよ?」
だけど噂は、放っておいてはくれない。
「あー、アレでしょ?葉月くん」
先輩に言われた言葉に、ピクリと肩が跳ねてしまう。目敏く見つけられ、ニヤニヤと嫌な笑い。
「確かに葉月くん、いいオトコだよね。でもだからって他の部署の男にまで手ェ出すとか、さすがとしか言えないわ」
「葉月ねぇ」
そういえばこの人たちは、彼と同期だった。今更ながらに思い出し、反応してしまったことを後悔する。
別に、私がどう言われようがいいけれど、それが違う風に彼に伝わることだけは嫌だった。だって、初めて気づいてくれた人だ。気遣ってくれた人だ。もっとちゃんと見て欲しい。そう思った人だ。
私の沈黙をどう捉えたのか、先輩の顔に浮かぶ笑みが深くなる。
「なに、千夏ちゃん、葉月に惚れちゃったりした?」
「そういうのじゃないです」
心の奥が、冷えていく。恋心とかそういうもの、軽々しく扱っちゃダメだ。学生時代もずっと悪い噂に付きまとわれていたけど、その中でもこの手の噂が一番嫌いだった。他の人まで笑いの対象にして、何がしたいのか。理解ができない。
無言のまま、カタリと音を立てて立ち上がる。
だめだ、付き合いきれない。纏わり付く、嫌な笑い。振り払うようにして背を向ければ、吐き捨てられる、嘲笑。
「でも、残念だね。葉月くん、大切なカノジョいるから」
頭に血が上る。嘲笑の対象が自分以外だったことに。カノジョ、に含まれた、侮蔑の色に。
「きっとお似合いでしょうね」
振り返って、精一杯歪んだ笑顔を浮かべる。半分本心で、半分偽りの言葉。続く言葉は、心にもない言葉。
「……ある程度は」
たぶん、彼が選ぶ人はすごく優しい人だ。それはもう、納得せざるを得ないくらいに。そんな人が、批判なんてされちゃいけない。
「何いまの」
「さすが男好き。彼女持ちでも気にしないんだ」
「葉月くんかわいそー」
途端に飛んでくる、悪意の言葉たち。それでいい。それで、彼は私に構われている被害者になれる。
そうして私は、自分で選んだ道にどんどん飲まれていく。
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