道化師の憂鬱
道化師の憂鬱-1
「笹本―、ケータイ鳴ってる」
「あ、マジすか。ちょっと出てきます」
「ほーい。彼女か?」
「そんなんじゃないっすよ」
「照れなくていいぞ」
「冗談言わないで下さいよ、先輩」
苦笑い。着信の相手を見て大きく溜息。冗談じゃない、本当に。
「……もしもし、葉月?」
『あ、笹本』
今大丈夫か、と申し訳なさそうに声を掠らせる。その言い出しにもう一度、今度は小さく溜息をついた。これは、あの話だろうか。
「別に平気だけど。どしたの、葉月から電話かけてくるとか珍しいじゃん」
『そうだっけ』
「おー。いつも俺からかけて、しかも葉月いつもそれ出ねーし」
『あ、はは、そうだっけ、ごめん』
「いーよいーよ。で、どうしたんだって」
問いかければ、ケータイの向こうで息を吸う音。それと同時に俺も息を吸い込む。
『真弥と別れた』
はぁーっという大きな溜息と共に吐き出されたそれは、やけに掠れて、切なく響いた。嘘つきだな、あんたは。喉の奥がクッと鳴る。
「うん。で?」
『でって……。だから、別れたんだって』
「はいはいそれはご愁傷さまでした。で、何?なんでわざわざ連絡してきたんだって」
ヘンに勘ぐってみる。別に何が知りたいわけじゃないけれど、きっといつもの俺ならこう言うだろうから。
「ほーら、素直に言ってみろって。俺にお願いがあるんだろ?」
笑いを滲ませた心配げな口調で問えば、
『ほんとに笹本は意地が悪いな、全く』
困ったように笑うあいつの顔が浮かぶ。
「今更なこと言うなよ」
『だな。笹本、今日の夜会えないか?』
「いーよ、十時に家に行く。酒買ってくから今日は飲もうぜ」
自由に動く舌が恨めしい。自分から出る、優しいセリフが、優しい声が、気持ち悪い。
『ああ。……笹本』
「ん?」
『ありがとう』
「何言ってんだよ」
嘘つきなのは、俺の方だろうが。唇に嘲笑が浮かんで、顔を覆った。指と指の隙間から息をはぁ、と吐き出してみる。吐き出した息は暖房の効いていない廊下で白く浮かんで、消える。揺れて、ゆれて、ユレテ。あぁ、まるであの人みたいだ。
顔を覆っていた手を外し、体を壁から起こす。近くに置いてある自販機でコーヒーを買って、自分のデスクへ歩いた。
「お、笹本。もう電話終わったのか」
「ええ、まあ」
「休み時間なんだから、もっとゆっくり話して来ればよかったのに」
「だから、そんなんじゃないんですって」
途中さっきと同じ先輩に絡まれ、苦笑いを返す。そういう冗談は、今はちょっとほしくないんだけど。
「それより先輩。今日の仕事ってそれだけでしたっけ」
「ん?あぁ、そうじゃないか?」
「じゃあそれだけ終えたら、俺今日は帰りますね」
にやり。また先輩の顔が歪んで。
「デートか?」
これだから、それなりに年の行った親父は。心の中でため息をつき、それでも面倒だから適当に流すことにした。
「まあ、そんな感じです」
「いいよな。笹本みたいな男前、女たちもほっとかねぇだろ」
「どうですかね」
もう一度、苦笑い。話題を締め括るようにパソコンに向かい、キーボードに指を置けば、ようやく諦めたように静かになった。
パチパチと聞こえる入力の音。パソコンの画面に映る、自分の顔。きっと整っている部類には入るんだろう。だからって嬉しくもなんともねぇけど。
仕事がひと段落して、パソコンの画面にメールを開く。仕事用ではなく自分個人のアカウントでログインすれば、未だに見慣れない名前が受信ボックスを埋めている。これと同じように、あの人の受信ボックスも、自分の名前が埋めているんだろうか。あの人の心も少しは埋まっただろうか。
ため息。
『さっき、葉月から連絡があったよ。真弥の話だった』
一度メッセージを送って、思い直してもう一度文章を作成する。
『さっき、葉月から連絡があったよ。真弥の話だった。今夜葉月と会ってくる。俺は葉月に嘘つきたくないし、真弥とのこともちゃんと言ったほうがいいと思うけど、真弥が嫌がるなら、言わない』
昨日の夜、真弥から連絡があった。
もうダメ。もう疲れちゃった。頑張るつもりだったのにもうダメで、限界で、終わりにしちゃった、と。泣いていた。
葉月くんが、葉月くんが、と嗚咽を漏らす彼女に、俺は優しく話しかけた。
大丈夫。きっと大丈夫だから。辛くなったらいつでも俺を頼っていいから。俺がいつでも助けになるから。真弥の味方だから。
デリート。画面に浮かんだ文字が消えていく。
「……ずりーな、俺」
「何か言ったかー笹本」
「何でもないっす」
先輩に返し、メールの画面を閉じる。
本当はわかっているんだ。昨日の言葉、さっきのメール。俺の言葉は、真弥を追い詰める。
俺を頼っていいから?助けになるから?
知ってる。真弥が葉月と別れたのは、俺のせいだ。優しくして、真弥の傷に付け込んで。葉月型の傷を自分の形にしようと弄り回して。俺が優しくすればするほど、真弥は揺れて苦しんで、俺のことを考えるんだ。
もう一度だけ。そう思って、メールを開く。新着メールの表示。
『笹本さん、ごめんね』
『真弥は何も気にしなくていいよ』
送信。吐き気がする。優しい言葉を、心にもない言葉を簡単に言えてしまう自分に。
今日これから葉月に会って、俺はどうするんだろう。優しく慰めるんだろうか。申し訳なさそうに、頼りなさそうにしている葉月に。大丈夫だから、気にするな。そう言って、俺は笑うんだろう。
嘘つきなのは、俺の方だろうが。
パソコンの電源を落とし、完璧に出来上がった書類を持って、俺はデスクを後にする。
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