迷い線のデッサン-2

 携帯で時間をチェックする。三分前。ちょうどいい時間だ。私だけ早く来ているとか、子供みたいでみっともないから、あの人に知られたくない。

「真弥」

 駅が近づくと、出口付近に立っている人影が目に入った。向こうも私に気づいて手を上げる。

「葉月くん」

 優しい笑顔。最近コンタクトに変えたのだというそのシルエットが見慣れなくて、不思議な感じだ。

「ごめん、待ってた?」

「いや、さっき来たところ」

「今日はどこ行くの?」

「ホテルでディナーを予約したんだ。会社の子に勧められて」

 言われるがままに電車に乗り、数駅行ったところで降りる。そこはオシャレだと最近話題のスポットで、またため息が零れそうになった。

「そういえば、仕事は大丈夫だった?僕も結構ギリギリになっちゃったし」

「うん、大丈夫だったよ」

「そっか。よかった」

 今日のために、前々から詰めてやっていたんだから。

 優しい笑顔が眩しくて、だけどすごく切ない。優しくて紳士的で、申し分のない彼氏。

「さっき久しぶりに笹本さんに会ったよ」

「へぇ、僕も最近会ってないな。元気にしてた?」

「うん、相変わらずだった」

「そっか。また会いたいな」

 葉月くんとの会話は、落ち着いていて心地がいい。沈黙が嫌じゃなくて、だけど心がほっこりする。葉月くんも私を楽しませようと話題を振ってくれて、私もそれに応えて。申し分のない、理想の彼氏なんだ、本当に。

 だからこそ。

「なんで今日、レストランなの?」

「だって記念日じゃん、今日」

「あ、うん」

「どうしたの?」

「ううん、覚えてたんだなって」

「覚えてるよ、ちゃんと」

 だからこそ、切なくなる。苦しくなる。

 デートをすっぽかされたことなんて、一度もない。記念日だって覚えていて、必ずお祝いをしてくれる。私が会いたいと言えば都合をつけて日を開けてくれる。この上ない彼氏で、だけど理想的すぎる。マニュアルのように彼女の言うことを叶えて、記念日を祝って、私のことを大切にしてくれる。いつも私優先で、自分のことは後回しにする。

「今日はフレンチなんだ」

「いいの?葉月くんはイタリアンの方が好きでしょ?」

「いいよ、真弥が好きなものなら」

 だけど、知らないでしょ?私は、私を優先してくれるあなたが嬉しくて、だけどそれと同じように私だってあなたの我儘を聞いてみたい。

 風がふわりと吹いて、笹本さんが私にくれたのとは違う甘い香りがした。

「ほら、ここ。着いたよ」

「すっごい!オシャレなところ」

「紹介してくれた子に感謝だな」

「うん、そうだね」

 席について、運ばれてくる高級そうな料理達。確かに美味しいし、私の好みばかり。だからまた、切なくなる。

「二人の記念日に、乾杯」

「乾杯」

 カツンとグラスをぶつけて、微笑む。

 再び香る甘い香り。これは、あなたの大切な人のものだろうか。笹本さんがくれた香りと合わさって、あぁ、なんだか気持ちが悪い。

「美味しかった。今日は本当にありがとう」

「いや、僕も楽しかった。また今度、オシャレな店探しておくよ」

 ねぇ、あなたは気付いてる?いつもよりちゃんと化粧したの。あなたの好きなワンピースなの。髪を切ったの。新しいマニキュアを塗ったの。あなたの親友と同じ香水の香りがするの。

 ねぇ、あなたは気づいていないでしょう?

 記念日を覚えていなくてもいい、私の言う通りになんてならなくていい。ただ、私の変化に気づいて欲しい。もっと我儘に巻き込んで欲しい。

「じゃあ、また連絡する」

「私も」

 別れ際、優しく頭を撫でられる。

 いつからだろう。こうやって壊れものを扱うように触れられるようになったのは。

嬉しくない。悲しくもない。ただひたすらに、切なくて苦しい。

 彼の香りを変えられるような人は、デートの前に時間を割けるような人は、いったいどんな人なんだろう。

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