第3話 イカロスの翼
自由を手に飛翔し、太陽を目指し、やがて堕ちる。人とは、すでにギリシア神話に語り尽くされた物語を、ただ繰り返しているに過ぎない。
「今度は、蝋か。」
目の前に飾られた女を眺めながら、ため息をつく。かつての栄華を感じさせる豪華な廃屋の室内は、香水の甘い香気に満たされている。
女は、食堂の奥に飾り付けられている。着衣はなく、頭部以外の全身の毛を完璧に剃られていた。それも欠片さえ汚れを残さぬとでも言いたげに、徹底的に。背には、蝋で作られた美しい翼を纏っている。それは女の肩甲骨に固定されていた。両腕は十字架にかけられたキリストのように広げられ、俯いた顔を隠す髪の毛の一本一本さえ、計算され尽くした絵画のように端麗に整えられている。
腹部には、一度切り開かれた跡が残っている。それは鳩尾付近から局部まで、寸分の狂いもない直線を描いている。のちに検死によって判明したことによると、肝臓が抜き取られていたという。
凄惨と表現するべきであろう。しかし、私がこの場所を目にして覚えた感覚はそれと異なっていた。
「…まるで神話だ。これは、絵画だ。」
美とは、時に狂気である。これが一種の美の表現であることは、私には否定することができなかった。
イカロス。人の身ながら神に近づこうと試み、墜落死した哀れな人間。
私は夢想する。彼が蝋の翼をたたえ、天使さながらの美しい姿で、太陽へ向かって飛翔するその姿を。光に包まれ、やがて溶けていく、翼のその美しい様を。墜落し、その肉から滴る耽美で芳醇な、血液を。露わになった臓物を。
「人は天使になり得るか。」
肉にナイフを入れる。レアに仕上げられたレバーは、するりとそれを受け入れる。溢れ出る血は、濃密に紅い。濃厚な鉄の香りが鼻腔を刺激する。アルコールなどとは比べ物にならないほど、それは私を酩酊させる。心地よい血の香りの中で、私は完璧な食事を堪能する。
「しかし、惜しいことをした。もう少し、食材を仕入れておけばよかった。この天使は、いやはや、実に美味い。」
カチリ。カチリ。カトラリーだけが音を刻んでいる。
「天使を食らう私は、いずれ神になるだろう。」
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