第2話 葡萄酒
赤ワインは血の味がするのだろうか。ふと巫山戯た疑問が宙を舞う。
「安物だ。悪いが、金は無いからな。」
無精髭の男は、ワイングラスを傾けながら語る。清潔さのあまり無い外見とは異なり、所作は紳士的だ。スーツに目を向けると、それが決して安物では無いことに気がつく。
「ワインは好きか?俺は好きだ。特に赤がな。…。」
男の手の中で、赤ワインが減っていく。血液のような色をしたそれが、男の無骨な喉の奥へと流れ込んでいく。私はそれを、漫然と美しいと思った。カトラリーがかちゃかちゃと子気味良い音をたてる。レアに焼かれたステーキが、手際よく切り裂かれ、男の口へと運ばれていく。
「肉は、血が滴るくらいじゃなきゃあな。これは天然のソースさ。」
「私は、ミディアムくらいがちょうどいいです。」
私の手元のステーキは、絶妙なミディアムレアに仕上げられ、黒胡椒の刺激的な香りを漂わせている。ナイフを入れると、若干の抵抗と共に肉は切れる。口に運ばずとも、その上質な柔らかさが食欲を刺激する。
「お嬢さん。さて、本題と行こうか。何の用事で今日、ここに来たんだい?」
ステーキが口の中で解れる。芳醇な肉汁が、舌に絡みつきながら喉奥へ落ちる。ワイングラスへと手を伸ばし、男が安物、と言った赤ワインを口に含む。肉の油は洗い流され、香りと旨味だけが残される…。
「貴方を、殺そうと思いまして。」
男は、もう一切れ、ステーキを口に運ぶ。
「ほう。そりゃあまた、大層なご要件だ。」
部屋は静まりかえっている。ナイフとフォークが、カチリと音を立てる。この食堂には時計さえなく、秒針の音すらしない。それが私には途方もなく不気味に思えた。
「貴方は、何人殺したのですか。」
「何人?…。」
男は不気味な笑みを一瞬浮かべ、またステーキを切り裂く。血が、純白の皿に染みを作る。
「お前は、今まで食べた豚の数を覚えているか?」
次の瞬間、私の目に飛び込んできたのは、私の眼球へ向かって真っ直ぐに飛んでくる、テーブルナイフの切っ尖だった。
豚は雌が最も美味だ。血は芳醇で、肉質は柔い。脂身と赤身が見事に調和しており、食べる部位によって風味が変化する。どのような料理に使用しても、どこを用いても、たまらない。時期を選ばねばならぬ点だけが惜しいが、時には仕方なかろう。自ら屠殺場に飛び込んでくるものを、拒む理由も無い。
テーブルナイフを引き抜き、私は食事を再開する。今日のディナーは、我ながら会心の出来栄えだ。目の前にある、新しい食材も私の目を楽しませる。彼女は美しい。眼孔から血を流す彼女に、私は欲情を覚える。同時に、食欲も。
……。
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