人工天使

鹽夜亮

第1話 人工天使

 人に天使を創る能力が備わっているだろうか。

 愚問である。答えは否だ。天使が存在すると言うのならば、それは神にしか創ることができない。子供でも知っていることであろう。

 私はそれを知っている。だが、私はどうしてもそれに抗ってみたかった。…。


 夏。熱帯夜は欲望を刺激する。それはどのような欲であれ、己の発散を要求して無意識の底を暴れまわる。まるで痛みにのたうつ蛇のように。噴火をまつ火山の中に佇むマグマのように。それは解放されるのを待ちわびる。

 街灯さえない。田舎道は暗闇に包まれている。人の気配は無論、獣の気配すらない。あたり一面、生命を感じさせるものはない。それに、疑問を感じるものもまた、いない。風だけが熱帯夜を冷まそうと、忙しなく吹いている。

 人影が、何もない暗闇にポツリと表れた。車から降りた人影は、優雅な様子でトランクをあけ、何かを担ぎ出す。それの大きさはちょうど、大きめのゴルフバックに近いものである。人影は、異形を担ぎながら、なおも優雅に歩を進めていく。

 人影は、男だった。まだ若さを感じさせる顔立ちだが、口の周りや顎の周辺は無精髭に覆われている。目元に光はなく、冷徹さを感じさせる。彼は、バックの中から、「人間だったもの」を取り出した。

 


 人とは、翼を持たぬものである。人とは、空に浮かべぬものである。

「これは…なんだ。」

 上司が口を開く。私も、理解が追いつかずにいる。

「私に聞かれても、なんとも答えようがありません。」

 人が浮いている。翼を広げて。その異様を眼前に広げられて、冷静さを保てる人間などいるのだろうか。いるのならば、今すぐにでも刑事か外科医にでもなるべきだろう。少なくとも、私とは交代するべきだ。

「まるで、天使、ですね。」

 ポツリと言葉が自然に漏れた。確かに、朝日に後ろから照らされる「人間だったもの」は、中空に浮きながら、天使のように神々しくもあった。だがそれは、あまりにも残虐な、血にまみれた天使であることは、引き摺り下ろしてすぐにわかることだった。

 遺体は、若い女性だった。大きな木の枝と釣り糸、フックを使って彼女は中空に浮かせられていた。死因は失血死だった。吊るされてしばらくの間は生きていたようだ。検死官からその報告を受けた時、胃液が食道をせりあがったことを今でも鮮明に覚えている。

 彼女は吊るされるのみならず、「人工的な翼」を付けられていた。付けられていた、と言うのが正しいのか、作られた、と言うのが正しいのかは、実際に目にした人間が各々決めればいいだろう。少なくとも、私にとってそのようなことがどうでもよくなる程、彼女の状態はひどかった。

 彼女は、胸から下腹部までを縦に割かれ、肋骨を外側に向けて折られていた。力任せにおったのではなく、何か器具を使ったであろうことが明白なほど、美しく、丁寧に。外側に開かれた肋骨と皮膚、筋肉に脂肪は、まさに翼のように大きく広げられた両腕の下に赤い血をたたえていた。誰でも、目を背けたくなる遺体だった。

「奇妙に丁寧だ。常軌を逸している。狂気の沙汰とはまさにこのことだ。傷口はどこも滑らか、定規で測ったかのように緻密だ。肋骨の断面を見てみろ。力任せではこうはいかない…どんな手法を使ったのかは知らないが、これは素人のやれることじゃない。それに…。」

 上司が目の前で苦い顔をしながら、分析をしている。私は、どこか上の空でそれを聞いている。冷静さを取り戻すことができない。

「それに…傷口以外の血液は綺麗に拭き取られてる。汚れひとつ無い。もはや芸術作品のようだ、あまりにも馬鹿げてるが、あまりにも危険だ。」……。


 天使を苦しませてはならない。

 崇高な目的への協力者を、痛めつけるのは実に不愉快だ。昏睡状態に陥った女を見下ろし、私は一人思考を巡らせる。その裸体は、まさに芸術に相応しい美しさを持っている。曲線美、そして肌の艶、光…女体は神々しささえもつ。古今東西、芸術家がこぞって女体に惹かれたことも、最もだろう。

 私は、静かに息をする彼女の鳩尾に、メスを入れる。すでに麻酔も終わっている。苦痛は無いだろう。メスの前に、人間はあっけなく裂ける。皮膚が破れると、黄色く美しい脂肪と均一の取れた繊維質の筋肉が姿を覗かせる。臓物は、脈動している。私は、それに魅入る。生命の美しさを眼前にした時、人は歓喜のあまり言葉を失う。生命を讃える言葉は世界に数多溢れているが、それのどれで装飾したところで、今私の目の前にある光景を表すには足りないだろう。脈動する臓物を眺めながら、私には新しい一つのアイデアが浮かんでいた。

 

 この美しい生命そのものを食すことができたら、どれほど幸福だろう。…。

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