第2話(2019/2/2 改稿)





「とてもお似合いですわ、お嬢様!」

「そうかしら、ありがとう」


 身に纏ったドレスを見下ろしつつ、アリアは悠然と回廊を進んでいた。口々に使用人たちから声をかけられる度ににこりと微笑み、時には手を振り、何故かたまにサインをねだられる。

 アリアはその全てに律儀に対応していた。


「本当に、とてもよくお似合いですわ、アリアお嬢様」


 一番付き合いの長い侍女であるユーメリアが涙を流す勢いで褒めてくる。彼女の涙脆さを知っているアリアは苦笑するにとどめた。

 アリアが纏っている衣装は、仕立てたばかりの新品で、飾り気のないすっきりとしたデザインだ。更には布を極力重ねないようにして、普通のドレスよりひどく動きやすく設計してある。

 地味と言ってもいいその衣装が、アリアの顔立ちと重なると落ち着いた清廉な雰囲気を放つのだった。


 様々な声に見送られ、アリアは用意されていたヴェルディ伯爵家の馬車へと乗り込んだ。

 付いてくる侍女は一人もいない。アリアが望んだことだ。

 西の国境と言えば昼と言わず夜と言わず異民族や盗賊が詰め寄り、また治安もそれほど良くないと聞く。伯爵家の侍女たちは皆とても清楚で慎ましく、逆に言えば肝が据わっているとは言えない。耐えられないだろう、というアリアの配慮だった。


「お嬢様……お嬢様の命令でしたら私は甘んじて受け入れますが、どうか、どうかご無事で……お辛くなりましたらすぐに帰って来てくださいませ!」

「ええ、分かったわ、ユーメリア」


 鮮やかに微笑んで、アリアは毅然と前を向く。後から乗り込んできたヴェルディ家の家令だという壮年の男が馬車の戸を閉めた。

 そのまま向かいに座ると、彼はルートという名を名乗った後、悩ましげな表情でアリアを見てきた。きょとんとしたとき、馬車が動き出す。


「あの……アリア様」

「はい?」

「恐れながらお尋ねしますが、アリア様は、その……イドラ様との結婚をなぜ承諾してくださったのでしょう?」


 王命だから……とか、仕方がなかったから、などという理由を望んでいるのではない気がした。アリアはしばし黙考し、答える。


「私は、人は皆弱いものだと思っています」

「はい?」

「ですから、人は総じて弱いのです。同時に、人は皆とても恐ろしいのです。多かれ少なかれ、皆人はそういう素質を持っているのです」


 困惑しているらしいヴェルディ家の家令を見据えながら、アリアは分かりやすく伝えようと努める。


「ですが、それでも人は強さも持っていますでしょう。そして、強さから来る恐ろしさなら対処のしようがあると思っています。ナイフや暴力には明確な対処法が存在しますから。しかし、弱さから来る恐ろしさは突発的で、反応するのが難しいのです……ですから、私はできれば強い人に嫁ぎたいと思うのです」


 ルートはぽかんと口を開けた。そのまま何とか頭を巡らせ、どうにかこうにか答えを出す。


「それはつまり……イドラ様がお強いから、承諾してくださった、と……?」

「簡単に言えばそうなりますね。そもそも王命なので断ることは出来ないのでしょうが、結婚相手が強いのでしたら、それに越したことはありません」


 アリアは薄く笑う。聞き方によっては嘲っているともとられかねないが、彼女はただ純粋にそう思っていた。彼は困惑しながらも頷いた。


「確かにイドラ様は自分のお力を客観的に捉えることが出来ておいでです。少なくとも自分が弱い……とは思っていらっしゃらないでしょう」

「あら、そうなのですね。良かったです。それなら何も問題ありません」


 喜色すら浮かべて微笑む。彼は妙に渋い顔をしたものの、何も言わずに黙り込んだ。

 綺麗な景色が、馬車の窓から緩々と流れていった。




 それから何時間もかけ、アリアはようやくヴェルディ領へと到着した。夜に近づく時間帯だからなのか、街へ入った瞬間、溢れかえるような活気に目をしばたく。アリアの住んでいた屋敷は王都にほど近かったためか、叫び声などとは無縁だった。


「驚かれるのも無理はありません。どうか今しばらくご辛抱を……」

「構いません。とても賑やかで好ましいです」


 本心からの言葉だった。自分の心を内に押し隠し、人の顔色を伺うような貴族の生活にうんざりしていたのも事実だ。

 彼は微苦笑を浮かべて、説明を続ける。


「ご存知でしょうが、ヴェルディ伯爵家の屋敷は国境付近の、少し街から外れた場所にあります。盗賊なども出ますので、お出かけの際はご注意を……」

「あら、そうなのですか」


 話している間に街を抜けた。アリアは小窓から辺りを観察する。存外殺風景な場所で、周りに森がある以外は大した道らしき道もない。

 盗賊が出るのなら、一番危ないのは今この時なのではないか……と思ったときだった。


 恐ろしい咆哮と共に、地鳴りのように馬車が揺れる。


 アリアは悲鳴こそ上げなかったものの、咄嗟に馬車の中で身を縮めた。何事だ……?

 小窓を見たルートがさっと顔色を変え、御者へと声をかける。


「全力で振り切れ! 追いつかれるな!」


 途端に馬車はぐんと速度を増した。びしりびしりと鞭を振るう音がする。


「アリア様、お掴まり下さい!」


 手を伸ばしたルートだったが、揺れる車内ではそれもままならない。一体なんだと顔を後ろに向けると、小窓から奇妙な光景が見えた。

 それは大量の馬だった。規則的に並んだ列で追いかけてくる。野生の馬は群れるのかと目を剥いたとき、その上に人が乗っていることに気づく。

 彼らの服はぼろぼろで、とても見られたものではなかった。さらには目がギラギラと血走っていて、どう見ても堅気の人間ではない。


 なるほど、やっぱり盗賊が出たらしいとどこか冷めた心地に浸っていると、ぐんぐんと彼らは近づき、見る間にアリアの乗る馬車に追いついた。

 まずい、と思って顔を引っ込めたものの、もう遅いだろう。ばっちりとアリアの顔は見られていたに違いない。そもそも、四方にそれぞれ小窓がある時点でほぼ死角はないのだ。


「女との金目のものは置いていけ!! でないと殺すぞ!」

 

 とてつもなく陳腐なセリフが聞こえ、左側の小窓にがつっと何かが当たる。ナイフが投擲とうてきされたのだ。

 アリアは口を引き結んで体を縮めた。

 その間にも脅しは続く。


「早くしろ! でないと馬車をひっくり返すぞ!」


 ルートが唇を噛み締め、御者へと声をかける。


「ゆっくり速度を落として止めろ。アリア様は私が」


 私が、なんだというのだろう。嫌な予感にアリアはルートを見た。


「貴女様はそちらへ。私が扉を開いたら、反対側からお逃げください。屋敷はもうすぐです。屋敷へ入って助けを求めるのです」

「何を言って……」


 目を見開いたとき、馬車が止まった。ルートは護身用と見られる短剣を片手にゆっくりと扉へ近づく。

 向こうも近づいてきたようだ。下卑た声が響く。


「おおっと、逃げようなんて考えるなよ? 俺らはこの馬車囲んでんだぜ?」


 ルートが小さく舌打ちをする。アリアはぐっと目に力を込めた。

 

「女から出てこい、さもないと皆殺しに……がっ!?」

「お頭!? ……ぐぅっ!?」


 ばきっと音がした。何かを切り裂くような音が次いで聞こえ、ごきりと嫌な音がする。

 アリアはぱちりと目を瞬いた。ルートが飛びすさるようにして小窓から離れる。その瞳は恐怖に彩られ、かちかちと歯の根もあっていない。


 しばらくして、何も音が聞こえなくなったときだ。

 がたんと音がして急に扉が開かれた。さっと入り込む夕陽の光にアリアは目を細める。逆光になって顔は見えないが、そこには誰かが立っていた。

 盗賊かと身を縮めたアリアだったが、男はゆっくりと車内を見渡し、アリアを見て、ルートを見た。


「イ、イドラ様……」

「え?」


 聞こえた名に目を見開いたのも束の間、するりと車内に入ってきた手がアリアの手を掴む。次いで遠慮のない力で引っ張られた。悲鳴をあげるまもなく扉の外へ放り出されたかと思えば、ふわりと抱えあげられる。

 思わず息を呑んだアリアの視界に映ったのは闇を閉じ込めたかのような黒々とした瞳だ。ぱちぱちとしばたいて、どうにか眩しさに慣れたころ、周りの様子が目に入ってぎょっとする。


 アリアと男の周りにあったのは大量の盗賊たちの屍だった。もう生きてはいないのだろう。真っ赤な大地に、むせ返るような血の香りがたちこめている。

 呆然としている間に、男は手早く自分とアリアとを馬に乗せ、後ろを振り向いて言った。


「帰るぞ。戦利品は貰っておけ」


 低くて、しかし透き通るような声。

 彼の後ろには服こそしっかりしているものの、荒くれ者、といった雰囲気の者たちが揃っていた。


「掴まれ。舌を噛むなよ」


 言うが早いか、彼はぐんっと馬を走らせる。アリアは悲鳴をあげそうになりながら彼の首にしがみついた。

 そのときはっきりと見えたのは、まるで炎のように真っ赤な、長くざんばらな髪だった。

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