戦闘狂の調教姫

七星

第1話(2019/2/2 改稿)





「……あの、今なんと?」


 一流の庭師によって美しく整えられた庭園の中で、アリアは一つまばたいた。


 美しい少女だ。

 水が流れるようになめらかな亜麻色の髪を編み込みにし、淡いモスグリーンのドレスを纏っている。すっとつり上がった猫のような瞳はともすれば冷たい印象を与えるが、翡翠のような静かな虹彩の色がその鋭さを和らげていた。

 一本の糸で吊り下げられているような姿勢の良さを差し引いても、通常の女性よりも背が高い。陶器のように白い肌と造形の整った顔立ちは凛とした美しさを秘めているが、背の高さも相まって威圧感を与えていた。

 彼女はドレスと同じ色の瞳をきりと細め、訝しげな表情を顕わにしていた。


 対して、目の前の男は所作こそ整っているものの、少女のように澄み切った美しさは持ち合わせていなかった。輝くプラチナブロンドもどこか軽薄そうな印象を与える。

 彼は悲哀を込めた眼差しでアリアを見つめて言った。


「残念だが、君との婚約は解消しなければならない、と言ったんだ、アリア」


 その意味をたっぷり十数秒ほどかけて咀嚼そしゃくし、アリアはなるほど、と呟いた。


「あなた、また浮気したの? それともお得意の誇大妄想かしら」

「……ええっと、アリア、何か誤解が生じているようだね」

「怒らないわ、シルフ。あなたが浮気をするのはこれで二十一回目だし、あなたの頭が結構軽いことはよく知っているもの。それで? お相手は誰かしら。伯爵家のヴェネア嬢? それともまさか、侯爵家のステラ嬢かしら」


 顔色一つ変えない彼女の姿に気圧されたように一歩後ずさり、シルフと呼ばれた青年は懸命に首を横に振った。


「ち、違う違う! そんなんじゃないよ! 僕と君との仲じゃないか! どうしてそんな、婚約者を裏切るようなことを……」

「結構簡単に裏切るじゃないのあなた。今更何を言っているの?」


 呆れ声にシルフはうっと呻いた。アリアの婚約者であるシルフという男の口の軽さと手の早さは、社交界でも有名である。

 泣かせた女は数知れず、というやつだ。とはいえシルフに限って言えば、アリアに泣かされた数も知れないほどあるが。

 アリアは一つ嘆息し、それで? と再度問いかけた。


「婚約が簡単に解消できるものではないことくらいお分かりでしょう? これは家同士の契約なのよ」


 アリアの家は伯爵家だ。本来なら侯爵家であるシルフと対等に口を聞ける立場ではない。

 しかし、彼とアリアは幼馴染であり、加えて彼の女癖の酷さを弾劾し、反省させることが出来るのはアリアしかいなかった。その二人を見た親同士が、早々に婚約を結ばせた。いわば、アリアは手綱を握らされたのである。


 その結果がこれでは、アリアは両家に顔向けが出来ないが……

 アリアは顔をしかめた。この男はどうしようもないが、シルフの父はとても優秀な人格者である。彼を失望させるような事態は招きたくない。

 どうしようか……と考えを巡らせていると、突然シルフが大仰な手振りで自分のまなじりを押さえ、よよ、と顔を背ける。


「僕だって出来たらこんなことはしたくない……! だが、だが、王命ともなるとそうはいかないんだ……! 分かってくれ、アリア!」

「……は? 王命……?」


 何が何やら分からないアリアは目をすがめた。

 普段から劇団好きな彼はこんなときにも芝居がかった行動をとって、「そうだ、王命だ」と告げる。


「意味が分からないわ。私、今朝起きたらすぐさま貴方に呼ばれてここに来たから状況が上手く掴めていないのよ。何があったのかきちんと説明して」


 アリアが目を釣り上げて問いかけると、ああ、と彼は頷く。


「僕の父は王城で働いている。それは知っているだろう?」

「ええ」


 王城で働いている、どころか彼の父は一国の宰相である。しかしシルフ自身は次男であり、アリアの家に婿入りすることが決まっていた。


「だから一際ひときわ早く情報が回ってきたんだ。アリア、その情報によると君は僕との婚約を解消しなければならない。ああ、とても残念だ……! 僕は君を愛していたのに……!」

「シルフ、こちらこそ残念だけれどなんの説明にもなっていないわ。その情報とやらを私は知りたいのよ、さっさと言いなさい」


 ばっさりと切り捨てる。シルフは少しおののいたように後ずさると、ふっと微笑みを浮かべた。とても癇に障る笑い方である。


「君は、他の男に嫁ぐことが決まってしまったんだ。ああ、神よ……僕はこんなにアリアを愛していたのに……」

「その白々しい演技を今すぐやめないと顎をかち割るわよ」


 ぎろりと睨みつけられ、シルフはすぐさま口を閉じた。利口なのか馬鹿なのか未だにアリアにも掴めていない。


「他の男って……一体誰なのかしら?」

「イドラ・ヴェルディだよ」


 悲しげに微笑んでシルフが告げた情報に、アリアはぽかんと口を開けた。淑女としてありえない行動である。しかし、シルフもそれを咎めはしなかった。


「イドラって……あの、イドラ・ヴェルディ?」

「そうだよ。こんなことで嘘をついても仕方ないだろう?」


 それはその通りだ。しかし……


「あの戦闘狂バーサーカーと名高い彼が、どうして私と結婚なんて話に……」


 あまりの突拍子のなさにそう呟く。

 ヴェルディと言えば、それは辺境伯のヴェルディ伯爵家にほかならない。先祖代々西の土地を異民族たちから守り抜いてきた、誇りある貴族である。

 そして彼らの家には、度々、どうしても血に飢えた獣のように、戦いにせいを見出す人間が生まれてしまうことがあるらしい。それが、今の当主の実子で、三男であるイドラ・ヴェルディだ。


 先の異民族襲撃の際には、三男とはいえ伯爵家の正式な息子である彼が前線に立ち、異民族たちを退けたと聞く。

 この国では珍しい赤髪を靡かせ、黒曜石のような瞳で敵を睥睨へいげいする姿は、どちらかと言うと彼のほうが悪鬼羅刹あっきらせつのようだったともっぱらの噂だ。


 平民どころか貴族にまでも畏怖を与える存在……それがイドラ・ヴェルディという男だ。どう考えても色恋沙汰に目を向けるような男には思えない。

 一体全体どうして婚約者のいるアリアを結婚相手に選ぶのか、ましてその情報がどうして王命として伝わるのか理解不能だ。


「分かってくれたかい? 僕が決して、君を裏切ったのではないということを」

「馬鹿な寝言は寝て言うといいと思うのよ」


 ぴしゃりと跳ね除けるように言いおいて、アリアは痛む頭を押さえた。


「まあ、大体の事情は分かったわ。まさかその話をするためだけに、朝から私を呼びつけたという行動力の速さには感服するけれど……」


 今の時間は早朝も早朝であり、朝食すら食べないままアリアは家を飛び出さざるを得なかった。正直、このままだとシルフを殴りそうである。

 ただならない雰囲気を感じ取ったのか、シルフは冷や汗を流しながら微笑む。


「わ、悪かったよアリア。帰りの馬車は用意してあるから……」

「いらないわ。私の家の馬車をここに置き去りにする気?」


 どうせ大した話ではないだろうと踏んでいたアリアは、乗ってきた馬車をそのまま待機させている。

 シルフは答えられないまま口を噤んだ。

 彼には目もくれないまましばし黙考したあと、アリアは毅然と顔を上げる。その目には冷たくも強い光が宿っていた。


「詳しいことは今日お父様から聞くからもういいわ。お招きいただいてありがとう」


 ありがとう、の部分を強く強く強調したのち、アリアはさっと踵を返す。そのまま王者のような足取りで庭をあとにした。


 使用人たちがぎょっとして頭を下げる中を悠然と闊歩かっぽし、屋敷の前に停めてあった馬車の中に乗り込んだ。御者はすぐさま出発し、屋敷はどんどんと遠くなっていく。


「はー……」


 アリアは苛立ちを押しとどめ、現状を捉え直すことにした。あの馬鹿の説明では有益な情報などあれ以外得られたはずもない。

 目を閉じ、シルフの言っていたことを頭の中で何度か反芻する。そして、ゆっくりと目を開けた。


「王命、ね……」


 嫌な予感がする。シルフのもとに嫁ぐことはアリアにとって最悪なので解消自体はどうでもいい。が、王命、という言葉が引っかかる。

 そもそも王命などという仰々しい言葉が出てくる理由が分からない。それなりに有名とはいえ、所詮は一貴族の結婚話だ。


 厄介なことになりそうな予感を、ひしひしと感じていた。








「お嬢様!」


 屋敷に着くなり女性が飛び出してきて、アリアはぎょっとする。それはアリア付きの侍女だった。

 彼女は涙を流してすがりついてきた。


「ど、どうしたのユーメリア」

「どうしたもこうしたもありません! つい先程耳にしました。あのシルフとかいう馬鹿貴族に婚約解消されたかと思えば、どこの馬の骨とも知れない戦闘狂バーサーカーと結婚することになるなど! 私は喜べばいいのですか、泣き叫べばいいのですか!?」

「とりあえず、イドラ・ヴェルディはどこの馬の骨とも知れない男ではないわよユーメリア」

「そんなことはどうでもよろしいですわ!」


 清々しいほどの不敬さにアリアは吹き出すように笑った。ユーメリアは目をすがめて告げる。


「貴女様ともあろう御方が、どうしてあんな、知性の欠けらも無い男に嫁ぐ必要が、と思っていましたら……今度は知性も理性もなさそうな相手に……どういうことなのか王に拷問したい気分です」


 とんでもないことを半ば本気で言う。

 アリアは苦く笑いかけて、さめざめと泣くユーメリアの肩を撫でた。


「大丈夫よユーメリア。私はそんなにヤワじゃないわ。とりあえず詳しい話を聞きたいから、お父様の元へ案内してくれる?」

「ええ、ええ、もちろんです」


 幾分か調子を取り戻したらしい。ユーメリアはさっと背筋を伸ばし、優雅に歩いていく。洗練された動きに、アリアは満足げに頷いてそのあとを追った。


 ユーメリアは入り組んだ屋敷内を迷わず進み、アリアを父の書斎へと案内した。この時間に彼が仕事へ行っていないということは、婚約解消と新たな婚約が真実だということだろう。

 何度かノックし、返事を待ってからアリアは扉を押し開けた。


「失礼致します、お父様」

「ああ、アリアか」


 疲れのこもったため息をつき、父であるオリヴァー・フォーサイスはソファを指し示した。アリアは大人しくそこへ座る。

 彼は明らかにいつもと様子が違っていた。

 ひと睨みで虎をも射殺せそうな鋭い目付きは、いつもよりさらに鋭さを増し、かつ目の下には酷く濃い隈が浮かんでいる。触れたら何もかもを切り裂きそうな雰囲気だ。ただ事ではない。


 彼は手にしていた書類を脇に押しやると、深く長いため息をついて、組んだ手に額を当てた。


「あの馬鹿貴族から話は聞いたか、アリア」

「聞きましたが、何しろ馬鹿ですので、断片的にしか情報が分かりませんでした。私なりに考えましたが……もしかして私は、武勲ぶくんを立てた褒美にイドラ・ヴェルディに嫁ぐことになったのでしょうか?」


 どう考えてもかの戦闘狂が婚約者など選ぶはずがない。そして王命だという事態の重さから、アリアは端的にそう判断した。


「その通りだ。お前は頭の回転が早くて助かる」


 その顔に初めて笑顔が灯り、アリアも微かに微笑んだ。と言っても、オリヴァーはさらに獰猛さに拍車がかかった笑みになってしまっていたが。


「あの辺境伯のところの三男坊には色んな輩が手を焼いていてな。武勲に対する褒章に困ったわけだ。何しろ貴族で辺境伯だからな。大抵のものは手に入る。しかし、褒美も無しでは示しがつかないだろう」

「ヴェルディ伯爵家が最近またしても異民族を退けた、という噂は知っていますが……彼はそれほどの功績を?」

「ああ。異民族の頭領の首を三つほど持ち帰ったそうだ」

「それはまた……素晴らしい結果ですね」


 怯えることなく賞賛したアリアを、苦笑しつつオリヴァーが見つめた。


「相変わらず怖がるということに縁のない子だな、お前は」

「? どれだけ人格に問題があっても、結果は結果です。本人とは切り離して考えるべきでしょう」

「そういうことではないのだが……まあいい。それでだ、褒美として、結婚相手を見つけようという話になったのだが……大抵の令嬢では、その、無理なのでな」


 オリヴァーは疲れきった瞳をアリアから逸らした。


「結婚の話を出した途端に泣き出すくらいならまだ良しだ。しまいには卒倒し、塞ぎこみ、食事すら取らない令嬢が続出した」

「それは……」


 頭の痛い話だろう。

 オリヴァーは目を閉じて苦悩を含んだため息をつく。


「そこで、だ。まあ、お前に白羽の矢が立ったわけだ。聞けばアリア、お前は社交界で『調教姫ちょうきょうひめ』と呼ばれているそうじゃないか」

「ああ、そのどこから発生したのか意味不明な、不名誉な通り名ですか……」

「何を言う。お前ほど人をしつけられる人間を私は他に知らない」


 至極真剣な物言いにアリアは困惑顔で黙り込んだ。褒められているのか貶されているのか判断が付きにくい。


「……お前、忘れたのか? 婚約者とはいえ、社交界でも有名なエンドロイ宰相の息子の女癖が、お前のおかげで随分和らいだだろう」

「シルフのことですか? 一日に一度は女性とあれやこれやしていたのが、ひと月に一度になっただけでしょう」

「随分な進歩だ」


 アリアはたじろいだ。オリヴァーの目は本気マジであった。

 正直アレを改善と呼んでいいのかどうか不明だし、シルフの調子を見るとアリアは躾けたというより無理やり外堀を埋めたに近い。片っ端から女性との関係を洗い、清く正しい男女交際というものをこんこんと言い聞かせ、女性たちにも根回しをして、ようやく今の状態なのだ。


「とにかく、お前でなければ務まらないと王もお考えのようだ。受け入れられないかもしれんが、頼む。このままではこの国の危機なのだ」


 そう言って、彼は躊躇いもなくアリアに頭を下げた。

 アリアはぎょっとした。オリヴァーが自分にこうべを垂れたということにもだが、国の危機という言葉にもだ。


「どういう意味ですか? 国の危機などと大げさな……」

「大げさではない。ヴェルディの息子は戦いに飢えすぎている。異民族たちとて無限にいるわけではない。まあ、西の方は特に盗賊なども多いとは聞くが……」


 勘のいいアリアはすぐにピンと来た。ずいっと前のめりになる。


「もしかして、敵がいなくなると誰彼構わず戦いを挑む性質タチなのですか?」

「ああ……国で一番強いのは王直属の騎士団だ。意味は分かるな?」


 それはつまるところ、異民族たちを倒しきったあとは王に喧嘩を売りに行くということだ。

 アリアは額を押さえた。思ったより事態は逼迫ひっぱくしている。

 そもそもそんな大役をなぜ一貴族の娘に託すのかという話だが、本気でアリア以外人がいないのだろう。

 令嬢たちは総じてたおやかで、かよわい。その弱さを持っていない自覚は大いにあった。


「……分かりました、お父様」


 決意を込めて、アリアは立ち上がる。その背はまっすぐ伸び、その瞳は凛と燃えていた。


「出来るかどうかは甚だ怪しいですが、努力はしてみます」

「やってくれるか、アリア!」


 安堵のこもった息をつき、オリヴァーは涙を流しそうな勢いで手を叩いた。

 しかし次の瞬間、アリアの勢いは天から地へ落とされることとなる。


「よかった。それでは結婚はひと月後だ。用意をしなさい」

「……は? あの、お父様、婚約の間違いでは?」

「いや結婚だ。あの男の抑止力となるには婚約では生ぬるいだろう。相手はまだ十九歳で結婚適齢期にはちと早いが、そんなもの、王都を破壊される危機に比べたら安いものだと王も仰っている」


 アリアはくらりと目眩がした。

 そもそもアリアに結婚願望はない。十四歳で社交界入りを果たし、十六歳に至る今までずっと、アリアは一人で生きる道を探し続けてきた。

 シルフのときも、婚約中に立派な貴公子に育て上げ、それが終わったら相手には適当な令嬢をあてがい、婚約破棄を申し渡されるように取り計らうつもりだったのだ。

 しまった。事態の危機度を考えれば、婚約をすっ飛ばして結婚という話になるのも当然だ。いや、当然なのかは分からないが理解は出来た。


 それでも不満は口から零れそうだったが、父の期待のこもった眼差しに何も言えなくなる。


「頼むぞ、アリア」

「……………………承知致しました、お父様」


 頭の痛い時間がこれから一生続くのかと、アリアは心の中でげんなりと肩を落とした。

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