第45話 ボク、だったら
────死ぬかもしれない、とセナは思った。
ヒメコを庇ってひばりの攻撃を受け、出血した上に猛毒まで浴びた。すぐに高熱に魘され意識が朦朧とし、身体に力が入らなくなってしまう。呼吸はおぼつかなくなっているし、痛みは消失して代わるように寒気に襲われている。漠然と迫りくる死にセナは恐怖を感じていた。
なのに。
(……まだ、生きて、る?)
意識がある。
恐る恐る閉じていた目を開けると、表情一つ変えない少女────ユグドラシルがセナの身体に手を当てていた。
「……驚愕。毒に耐性……? 否、抗生物質は見当たらず。何者?」
「分からない、です……。わたし、助かるんですか……?」
「回復は良好。自己再生能力が非常に高い模様。治癒の必要は皆無」
「再生能力……」
少女の言葉にセナは約二週間前、記憶を失った日のことを思い出す。
ドロシーに心臓を穿たれても命を落とさなかった。『ガンドライド』に攫われてジュリアから電流を流されても、身体は無事だった。
そもそも目を覚ました直後。魔獣に牙を突き立てられた時、誰が治療したのか? 気が付いたら肩には傷跡すら残らなくなっていた。
────本当にわたしは人間なんだろうか。
ゾッと背筋に震えが走るような思考が浮かぶ。そんなことはありえないと頭を振るが否定しきれるだけの判断材料が見つけられず、セナは自分自身の存在に疑問を覚えてしまう。
しかし、そんな彼女の思考を断ち切るような悲鳴がユウの耳に入ってきた。
「────!!!!」
「!? 声が近い……。待って、今の声もしかして……」
聞き覚えのある声にセナは胸騒ぎを覚える。今の声は明らかに苦痛を伴う悲鳴だった。だとすれば彼女は今、とても無事とは言い難い目に遭っていて、その彼女とはセナのよく知る相手で……。
「もしかして……ユウさん!?」
ドクン、と心臓が高鳴る。
魔獣に襲われた時。帰る場所もなく困り果てた時。ドロシーと邂逅した時。『ガンドライド』に誘拐された時。幾度となく自分を助けに来てくれた命の恩人ともいえるユウが危機に陥っている。
居ても立ってもいられなくなり、思わずセナは傷を負ったばかりだというのに立ち上がっていた。
「!? 何処へ……!?」
驚いた声を上げられセナは思わず振り返る。
先程までセナを治療していた少女が表情を驚愕に染めてこちらを見つめていた。確かに毒を受けて出血までしていたので、突然動かれたら驚くのも無理はないだろう。しかし不思議なことに、既にセナは頭痛も倦怠感も引いていて、体を動かすのに不自由はなくなっていた。
「助けてもらってありがとう。ええと、あなたは……?」
「ユグドラシル」
「ユグドラシルちゃん、ごめんね。わたし、行かなくちゃ。友達が危ないかもしれないの」
「しかし、治療したばかり。無茶は禁物。魔力も皆無な模様……」
「うっ、返す言葉が……。でも、お願い。行かせて」
「待って……!」
ユグドラシルの静止する声も聞かずセナは走り出してしまう。
「セナちゃんは!?」
ユグドラシルが困惑している間にヒメコが切羽詰まった声を共に駆けつけてくる。
すぐさまセナが姿を消したことに気が付き、ヒメコの表情が昏くなっていく。
「え、……なんで…………」
「恐縮。回復後、すぐに起立。呼び止めたものの、すぐに退去」
「そんな……」
ゆるゆると首を横に振って答えるユグドラシルにヒメコは絶句する。
直後、ガシッと彼女の両肩を掴んでヒメコは叫ぶように言った。
「助けに行こう! このままじゃセナちゃんが危ないかも!」
「救出……? 二人だけで?」
「…………そういえば僕魔力切れだった。でもセナちゃんが心配だよぅ! かと言って後ろのあいつも放っておけないし!」
背後のひばりを指差しながらヒメコは半ばパニックに陥る。一方の指されたひばりは「早く出せェ!」と喚いていた。
「誰か呼ばないと! さっきみたいにセナちゃんが無茶するかもしれないし! ゆーちゃんもそう思うでしょ!?」
「りっ、理解不能! その質問は理解不能!」
ヒメコから当然のように振られるも、ユグドラシルは頭をぶんぶんと振って拒絶するように顔を背ける。
しかし、ヒメコには彼女もセナを心配しているかのような表情を浮かべているように見えた。感情がない、と彼女は口にしていたが、少しずつ自我が芽生えているように感じたのだ。
「ね、ゆーちゃんも協力しよう! 僕は友達を助けたい! ゆーちゃんだって友達が困っていたらどうするの!?」
「友達……分からない、そんなの命令されないと分からない!」
「違うよ! 君はただの人形なんかじゃない! 自分の考えがあるはずだよ!」
「自分……自分……」
ヒメコの言葉にぐるぐるとユグドラシルの思考が回る。
自分、ユグドラシル、友達、ヒメコ、助けたい、命令、自由意志、人形、否、自我、自分だったら、一人称、僕、ぼく、ボク、ヒメコだったら……ボク、だったら…………。
「ボク……だって助けたい」
「! ゆーちゃん!!」
「ヒメコ、も、友達……だと思うから」
「ゆーちゃぁぁああんん!!!!」
ユグドラシルの無機質じみた口調が一転して、暖かみを感じさせるものに変化し、想定外の言葉にヒメコは思わず涙を浮かべてユグドラシルを抱きしめる。
「助けよう! ここには僕達よりもっと強い魔法少女がいっぱいいる! だからその人たちに助けを求めよう!」
「了解」
こくりと頷いてユグドラシルが答え、それを見たヒメコが「ゆーちゃぁぁん!!」と泣き崩れそうになる。
「あのォ……いい加減に出してもらえる?」
そんな良い雰囲気の二人を睨み付けながらひばりが言うが、残念ながらヒメコの耳には届かず、ユグドラシルも空気を読んで無視していた。
※※※※
心の奥底で殺されるとは思っていた。
右腕を斬り落とされ、魔獣化の進行も相まって体を動かせなくなっていた所をジュリアに斬られる寸前だった。
しかし。
「はーい、そこまでねー」
雰囲気にそぐわない間延びした声が一つ。
思わずジュリアが振り返ると、銀髪にオレンジ色の瞳を持つ学ランを羽織った少女がひらひらとこちらに手を振っていた。
「……
「そろそろ時間になるからね。多分ドロシーが私らをランダムに入れ替えたんでしょ。それが合図ってのは聞いてるよね?」
「────アヤメ様が来たのか」
「その通り。ほら、君はアヤメ様の護衛でもしてなよ。こいつは私が
「無駄口を叩くなインシン。いくら貴様であろうと我々の理念に反するのであれば容赦なく斬る。さっさとこいつを始末しろ」
「はいはーい」
脅迫めいたジュリアの言葉にインシンは臆することなく手を振って、飄々と返す。
その様子をジュリアは心底疎ましそうに睨みつけていた。チャキ、と刀を鞘に収めジュリアは踵を返して立ち去っていく。
取り残されたユウは意識を朦朧とさせながらも、先程の会話を聞いてはいた。アヤメ、という単語に置いていかれそうになっていた意識を取り戻していく。
「く……アヤメ、ってまさか。あいつが、来てるのか……?」
「んー? まさかアヤメ様の知り合い? あの人の面白い話とか知らない?」
「……知って、どうする」
「殺したい」
笑顔でインシンは返す。
そのあっけらかんとした答えにユウは思わず絶句してしまう。
「…………は?」
「だからー、殺したいの。『ガンドライド』は魔法少女だけ殺すのが目的だけど、私は魔法少女も殺したい。人間が存在する限り殺し続けたい」
「意味が、分かんない……。だった、ら、なんで、アヤメ『様』って言うんだ?」
「アヤメ様は命の恩人だから。でもそれとこれとは別。全ての人間を殺し尽くしたら、つまり私が最強ってことでしょ? 私はそうなりたいの」
「…………下衆が」
インシンの狂気じみた野望を聞いたユウは、反吐を吐くような嫌悪感を覚え、強い軽蔑を込めて罵倒をする。
────この女は生かしてはいけない存在だ。
ユウは鞘を咥え、残った左腕で身体をふらつかせながらも立ち上がる。切断された右肩からポタポタと血が溢れ、その感触を実感するたびに激痛に苛まれた。しかし、相手への憎悪と己の正義感に従い、気力だけでユウは身体を支える。
「あれ、やるの? その体で?」
「うる、さい。死ぬわけにはいかない。魔獣になるのだって、
「へぇー。……酷いエゴ」
息も絶え絶えに紡がれるユウの言葉にインシンは目を細め呟く。
そして突然ニタァと悪意に満ちた笑みを浮かべながら、インシンはユウの背後を指差した。
「で、そこの子は誰なんかな?」
「ぁ……?」
「ユウ、さん?」
インシンの言動の意味を理解するよりも早く。
ユウの耳に彼女の言葉が入ってしまう。聞こえてしまう。思わずユウは振り返り、ギョッとした。
セナが、顔を青ざめながらユウを見つめていた。
「え、腕、どうして、え? ゆ、ユウさん、大丈夫なんで────」
「馬鹿、離れろっ!!」
「遅いよ」
気が付いたときには、大声を張り上げながらユウはセナの方へ駆けつけようとしていた。
だがそれよりも早く、ユウの耳にインシンの煽るような言葉が聞こえ、前方にインシンの姿を捉える。
彼女の狙いはセナ。当然、狙われた側のセナにとっては突然見知らぬ人が現れた訳で、反応が追いつかず────。
「丁度いい、お前みたいなエゴイストにはお似合いの悲劇を贈ろうじゃないか……!」
「きゃっ、何……!?」
「馬鹿、やめろ…………!!」
ユウの言葉も虚しく、インシンの右手が輝き始めて。
直後、セナの身体が巨大な爆発に包まれていった。
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