第27話 あたしたち、ちゃんと幸せになれるんだよ!!

「…………ッ!」


 パンドラの目が覚める。

 最初に映ったのは白い床。体がきつく縛られている感触がある。両手は体の後ろに回され、そのまま縄で椅子に固定されているようだった。


「また、この状況……!」


 以前セナの体を借りて目覚めたときも体が縛られていた。二度も誘拐されるとは、どうもセナは不幸体質に見舞われているらしい。

 パンドラは苛立ちを覚えながらも顔を上げる。予想通り眼の前には自分を縛った下手人と思われる少女が間近で顔を覗き込んでいた。


「あら、おはようございます~」


 くるくるしたアイボリーの髪に深緑色の瞳を持つ少女。パンドラと目が合うなり彼女はやんわりと微笑む。


「いきなり髪の色が変わって驚いたわ。なるほど、半信半疑だったけどあなたがパンドラを宿しているのは本当だったみたいね」


「……あたしが何者なのか知っている上でこんな真似をしたの? 余程の命知らずね」


 パンドラは挑発するように微笑む。

『大災厄』を引き起こした『災厄の魔女』。たとえその起源が誰かに貶められたものだったとしても、彼女があらゆる災厄を司る力を持っていることに変わりはない。特にパンドラは魔女の中でも『死』を得意分野とする。そもそも彼女を手中に収めようという考えが浅はかにも程があると考えるのは容易であった。

 だが、そんなパンドラの考えを覆すほどの返答を少女はしてみせた。



「ええ、もちろん。あなたのことはよぉく知っているわよ。だって、一


 

「…………………………………………………………………………は?」



 思考が停止する。

 意味が分からない。何故ここで『魔女様』の名前が出てくる? そもそも何故自分のことを知っている? 一緒に勉強した仲とは? それは何年前の話のことを言っている?

 取り留めのない思考がぐるぐる頭の中で回る。あまりにも突拍子がなく荒唐無稽な話にパンドラは理解することを放棄していた。あり得ないのだ。もし彼女の言っていることが事実なのだとしたら、彼女は魔法少女の枠に収まる人間ではなくなってしまう。


「アンタ……何者なの?」


 震える声でパンドラは問う。

 だが正体を聞いておきながらパンドラは目の前の少女に既視感を覚えていた。

 少女は笑顔でパンドラの質問に答える。


「ムネモシュネ。久しぶりね、パンドラ」


「ッ!? 嘘、なんで!?」


 ムネモシュネ。その名前は確かにパンドラもよく知っていた。

 千年ほど前。生前のパンドラが『新月の魔女』の元で修行していた時にいた同期の少女の名前だ。彼女もまた、ムネモシュネは本名ではなく『新月の魔女』から与えられた名前であった。

 だが、彼女は数千年前の人物のはずだ。どうしてここにいるのか。そもそも、容姿が当時と異なっているがどうしてなのか。


「アンタは数千年前の人間のはず。でも、姿も変わって……本当にムネモシュネ本人なの!?」


「ええ、もちろん。一緒に『魔女様』と修行したムネモシュネ本人よ。姿が違う理由はあなたが一番良く知っているはずだけれど」


「……いや、そんなはずはない。だってあの魔術はあたしとエリスしか知らないもの。アンタたちが知っているはずがない!」


 パンドラが思い浮かべたのは転生の魔術だ。

 魔術の研究の中でも禁忌とされていた生まれ変わり。それを実現させたのが転生の魔術である。しかし、この魔術は文字通り死亡してから生まれ変わるものではない。

 生命を構成するのは物質と精神であり、それぞれが肉体と魂に該当する。魂は宿している肉体の活動がなければ維持することができず、肉体が死亡すればそこから離れた魂も程なくして消滅してしまう。故に死亡した人間の記憶をそっくり引き継いで別の人間として蘇るのは不可能なのである。

 しかし、魂の死は肉体の死と同時ではなく時間差があること、そして魔力は精神エネルギーによって作用することに気が付いたパンドラは魂と肉体を分離させ、その魂だけを別の肉体へ移す術式を開発したのだ。元の肉体に宿っていた魂はされてしまうが、自分の記憶と精神を引き継いだまま新たな肉体を得て再び寿命を得ることが出来る。そうして何代も依代を変えていきながら現代までパンドラは生き延びてきたのである。

 しかし、この術式を開発したのはパンドラのみであり、そして施したのもパンドラとエリスのみである。エリス以外には明かさず秘匿にしてきたのだ。ムネモシュネが知っていることが前提としておかしいのである。

 思考が焦るパンドラの耳にもう一人の少女の声が聞こえてくる。


「……ムネモシュネ、そろそろいいか?」


「あら、我慢の限界かしらネメシス?」


「なっ!?」


 ネメシス、と呼ばれた少女がカツカツと足音を響かせてこちらへ歩いてくる。

 淡いショートカットの金髪に真紅色の瞳。背中に二対の白い翼を生やしたその少女の顔立ちはまるで天使のように可憐であったが、その表情は強い憎悪を浮かべていた。

 ネメシス。彼女もまた、パンドラと共に修行していた同期の名前である。姿は当時と大きく異なっているが。

 ネメシスはパンドラの眼前まで迫るとその髪を引きちぎるかのような勢いで掴む。


「痛っ……! アンタ何して────!」


「お前が。お前が、お前が、お前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がぁぁぁああああああああ!!!!」


 突如、うわ言のように呟いていたかと思うと徐々にその声が大きくなっていき同時にパンドラの髪を掴んだまま乱暴に側の壁へ顔面を叩きつける。

 為すすべもなくパンドラの顔は激突し、鼻が折れ、粘っこい血が垂れていった。


「いっ、が、ふっ、やめな、さい…………!!」


「うるさいうるさいうるさぁぁああい!! お前、お前っ、お前のせいでええええええ!!」


 パンドラが痛みに呻きながら静止の声を訴えるもネメシスは興奮が冷めずより激しく叩きつける。

 激痛と衝撃で意識が遠のきそうになる。これ以上は命にも関わる上、何より好き勝手にやられているのが癪に障ったパンドラはネメシスを睨みつけ、自身を縛り付けている縄を解こうと魔法を行使し、黒い霧をどこからともなく発生させ縄の方へ伸ばす。

 ……だが。


「い、ぐぅ……! あ、れ、なん、でっ…………!?」


 魔法が効かない。

 この黒い霧はあらゆる物質を腐敗させるものだ。以前鎖で縛られたときも錆びさせていとも簡単に抜け出せたし、今までこの霧が通用しない物質は存在しなかった。

 なのに効かない。何度覆っても効かない。こうしている間にもネメシスの暴行は激しくなる。口から血が溢れた。何本か歯が折れたかもしれない。それでもネメシスは何度も叩きつけてくる。


「死ねっ、死ねっ、死ねっ、死ねっ!!」


「が、はあっ、もう、やめて!!」


「んふふ。魔法は無駄だよ。パンドラ用に特別に『魔女様』から作ってもらったものだし」


 恐ろしいことにムネモシュネは静止の声を掛けず笑顔でネメシスの暴行を見守っていた。その声音にパンドラの背筋がゾッとする。

『魔女様』の名前が出てきた気がしたのだが、それが何を意味するのかパンドラはもう思考することが出来なかった。ただひたすらに殴打される。気が付けば涙を流して許しを請いていた。これ以上は本当に殴り殺されてしまう。

 そう思った矢先、不意にぴたりとネメシスの動きが止まる。


「がはっ、ひゅー……ひゅー……」


「あれ、ネメシス、もういいの?」


「……ええ。おかげさまで落ち着きました。そろそろも来ますでしょうし頃合いかと」


 ようやく収まるもパンドラは既に意識が朦朧とし呼吸も弱々しくなっていた。

 そして先ほどまで激しい憎悪と暴力性を見せていたネメシスの様子が嘘のように冷静になり、指に付着した血痕を拭きながら淡々とムネモシュネの問に答えていた。一見理性なく殴っていたように見えていたが、意識を奪わず致命傷を与えない程度に殴っていたのだ。事実、パンドラの鼻や歯は何本か折れているがその顔立ちは綺麗に保たれている。


「ちょっとビビっちゃったよ。本当に殺すかと思ったんだもん」


「私としては今すぐ殺してもよいのですが」


「それはダメだよ。殺すのはこの子の体じゃなくて心だもん」


「……? 何、を」


 弱々しく口を開きながらパンドラはムネモシュネの方へ顔を上げる。

 力が使えないことに加え暴力を振られたことに萎縮しそうになるが、彼女らはあくまでもパンドラを嬲ることが目的ではないらしい。となると彼女を追い詰める『本命』が控えている。まだ、後が残っている。

 覚悟を決め再び彼女らへの敵意を宿した所で、カツと新たに足音が響いてきた。


「おっ、来たわね」


 とムネモシュネは機嫌よく振り返る。

 その視線の先、足音の正体をパンドラは目にして思わず硬直してしまう。

 黒い髪、黒いドレス。そして虚ろ気な。姿も雰囲気も当時と異なっているが一目見て彼女の正体を確信する。

 思わず、両目から涙が溢れてきた。ずっと、探していた。千年以来の最愛の親友。

 その姿を見て、歓喜に声を震わせながらパンドラは彼女の名前を口にする。


「エリス……っ」


「…………」


 ゆっくりと、無言でエリスはパンドラの元へ歩いていくる。

 パンドラも縛られたまま身を乗り出しながら彼女に向かって口を開く。


「ずっと……ずっと探してた! 約束、忘れてなかったんだね、ちゃんとアンタも生まれ変わっていたんだね! ねえ、今度こそ大丈夫だよ! あたしたち、ちゃんと幸せになれるんだよ!!」


「…………」


 だが、パンドラは再会を喜ぶあまり、目が眩んでしまっていた。

 どうして彼女は何も喋らないのか。どうして雰囲気が以前と大きく異なっているのか。……どうして瞳が金色に変化しているのか。

 エリスが眼前に立った所でようやくパンドラは異変に気付く。

 気付いたときには既に遅すぎていて。


「エリス?」


 未だ無言のまま見つめてくるエリスにパンドラは首を傾げ。

 ようやく、エリスが口を開く。

 声も変わっているが、その鈴のような可愛らしい声音は以前のままで。

 一言呟く。



「死んで」



 直後、ざくっという音と共に。

 パンドラの左胸にナイフが刺さっていた。

 その胸を刺したのは他ならぬエリス自身で。


「ぁ…………ぇ?」


 パンドラは、ただ理解できず首を傾げる事しかできなかった。


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