第21話 おやすみ、春見彗那

 ムシャムシャ、と咀嚼音が響き渡る。

 店員とシェフは奥に引っ込んでいるのか、たった二人を除きレストランは無人であった。

 目の前で大量の料理が女の胃袋に消えていくのをセナは引きつり気味に見ている。

 先ほど海から救出された彼女は開口一番に「お腹が空いた」と言い、以降はその繰り返しであった。困り果てたセナはとりあえず空腹を満たしてあげようとこのレストランに入ったのである。幸いにも咲良から手に余るぐらいには小遣いを渡されたので、多少の出費は問題ないだろうと判断してのことだった。

 そして店員が来るなり女はメニューの片っ端から注文をし、今に至るわけである。その有様はまさしく暴食と言ったところであり、大食いの自覚があったセナや 『HALF』のメンバーを軽く凌駕するほどの食いっぷりであった。

 

「あ、あの……そろそろいいですか?」


「もぐもぐ」


「お名前だとか、何であそこで溺れていたのかとか……色々聞きたいことあるんですけど……」


「むしゃむしゃ」


「え、えーっと! 一回食べるのやめてもらっていいですか!?」


 大声を張り上げるセナにぴたり、と女の動きが止まる。

 そして顔を上げ、じっと金色の瞳でセナを見つめた。


「────」


「あ、あの」


「────」


「まずはお名前とか聞いてもいいですか……?」


「はむっ」


「さっきの間は何!?」


 何も言わずに再び貪り始めた女にセナは堪らずツッコミを入れる。

 このままじゃ埒が明かない。しかしどうすればいいか分からない。いよいよ涙目になってきた時、ふと女が口を開いた。


「おまえ、パンドラでしょ?」


「────ッ!!!???」


 ガタッ、と大きい物音。

 あまりの驚愕にセナが咄嗟に立ち上がり、椅子を倒した音だった。

 表情には動揺が浮かんでおり、その

 パンドラの名前を呼ばれた。ただそれだけだったのに、今まで何回か呼ばれてきたはずなのに、彼女に名前を呼ばれた途端、心臓が掴まれるような得体のしれない感覚を覚えたのだ。


「どうして、その名前を……!?」


「どうしても何もおまえがパンドラだからでしょ?」


 表情も浮かべずに女はそう返し、再び料理を口に運ぶ。

 相変わらず彼女は料理を口にしているだけなのだが、セナは言いようのない感覚に戸惑っていた。

 どうしてかは分からないが、この女が自分のことを知られているのはまずい気がする。そう脳内で警告している。

 いや、これは脳内ではない。もっと精神の奥深い部分、まるでもう一人の自分のような────。


(!? パンドラ、起きてるの!?)


 まさかと思いセナは心の中で彼女パンドラに問いかける。

 しかし、その問いに返事を待っている時、不意にカチャンとフォークが置かれる音がした。


「ごちそうさま」


 見るとすべての料理を女が平らげていた。あれほど大量にあった料理はどこへやらすっぽりと女の中の腹に収まり、しかしその腹が膨らんでいる様子はない。

 その金色の双眸には何も感情はなく思考は読めない。ひとまず何かしら声を掛けようかとセナは口を開こうとして、そこで別の声が割り込んできた。


「あら、こんな所で何しているのレヴィちゃん?」


「ッ!?」


 再びゾッとする感覚。

 振り返るとそこには一人の少女が立っていた。

 黒い三角帽子に黒いマントを羽織ったセナの背丈の半分にも満たない幼い少女。毛先をくるくるさせた緑色の髪に。右手には古びた杖が握られており、まるで中世の魔女を具現化させたような奇抜な容姿をしていた。

 とてとて、と杖を床に突きながら少女はレヴィと呼ばれた褐色の女に近づく。


「こらこら、勝手に出てきたらダメでしょう? 貴様はまだばかりじゃないの」


「うん、うん……。そうだね、そうだった」


「ほら、ボーッとしてるじゃない。まったく、世話を焼けさせないでね」


「ごめん、ごめんね」


 呆れながらレヴィをしかる少女。それはまるで姉をたしなめる妹のように見えた。一見すれば微笑ましい姿なのだが、セナには彼女らがとてつもなく脅威的な存在に感じられていた。


「ぁ」


 そう、目の前の二人がたまらなく恐ろしい。

 何の変哲もない少女と先ほどまで共に席に座っていたレヴィ。その二人のが目の前に立っているだけで恐怖を覚える。印象が上書きされていく。認識が塗り替えられていく。


「はぁ……はぁ……っ」


 ガタン、と大きな音。

 気が付いたらセナの視線は下を向いていた。目の前には床が広がっていた。ようやくそこでセナは膝を崩して倒れたことに気が付く。体が尋常ないぐらいに震えている。視界がぐるぐる回る。呼吸が乱れている。強烈な吐き気が込み上げてくる。

 目の前の少女たちが、ただひたすらに怖い。


「う、あ、はっ…………ぁぁ、うぇ」


 奇妙な嗚咽を上げながらセナは堪えきれず嘔吐をした。

 視界が定まらない。心臓がドクドクと暴れる。息ができなくなり過呼吸に陥る。それでも吐き気は収まらず、何度も吐く。

 比喩でもなく、今のセナは本当に恐怖で死ぬ一歩手前まで追い詰められていた。ただ、少女らがそこに立つだけで圧倒的な恐怖を覚えさせれる。彼女らの存在は絶対的恐怖なのだと認識させられているのだ。

 ────認識が、


「もういいんじゃない?」


「そうね、やりすぎたわ。はいここまで」


「がはぁっ!? はぁ……はぁ……」


 少女の掛け声と共にセナを襲っていた恐怖感が一瞬にして消失した。訪れる安堵感に呼吸が戻り、ようやくセナは息を整える。

心臓が落ち着いている。視界が定まっている。恐る恐るセナは少女たちを見上げる。あれほどの恐怖を覚えればトラウマが根付いてもおかしくないはずなのに、嘘のように彼女らへの恐怖の印象は晴れていた。


「久しぶりの再会だから思わずちょっかいを出してみたくなったのだけれど、まさかここまで効くとは思わなかったわ。随分と落ちたものね、パンドラ」


「……わたしは、パンドラじゃ、ないです」


 声を震わせながらセナは答える。

 先ほどまで襲われていた異常な恐怖は消えている。だがそんな異常を操る彼女らに恐怖を抱かないのは別の話だ。目の前の得体のしれない力を操る彼女らを恐れながらもセナは口を開く。

 胸の内に潜むパンドラが、セナを動かしているような感覚を覚えていた。


「あなたたちは、何者なんですか……? まさか、『ガンドライド』……!?」


「ガンドライド? そんな名前、聞き覚えがないのだけれど」


「私も知らないな、そんな名前」


 とレヴィも続けて答える。

『ガンドライド』ではない。となると別の魔法少女組織か。敵対組織が一つだけでなく存在することにセナは戦慄する。

 

「それで貴様の方は。パンドラではない、と言ってたけど今の人格は依代の方だとでも言うのかしら」


「依代とかは知りませんが、わたしはパンドラではないです」


「ふうん。すごいね、瞳が金色になりながら自我を保っている、と」


「え!?」


 少女の言葉に驚き、思わずセナはガラスの方へ目を向ける。

 ガラスに映っていた鏡像のセナは瞳の色が見慣れた黒ではなく、金色に変わっていた。

 自身の姿の変化に戸惑っていると不意にぽん、と肩を叩かれる。

 いつの間にか、少女とレヴィがセナの隣に立っていた。


「ま、いいでしょう。今回は敵対しないでおくわ。レヴィちゃんを見つけてくれたのは感謝しているし。お代はわたしたちが払っておくわね」


 少女はセナの耳元にそっと唇を寄せて静かに囁く。


「おやすみ、


「なっ!?」


 一切セナの名前は口に出していないのに、彼女はフルネームでセナの名前を言う。

 彼女に知られているという恐怖。その恐怖が全身に染み渡るよりも先にガツンと頭で衝撃を殴られたような感覚を覚えた。

 直後、セナの体は重心を失い床へと倒れ伏す。

 強烈な眠気に襲われ意識が遠のいていく。


「まっ…………て…………」


 必死に抗い手を伸ばそうとするも体が言うことを聞かない。

 去っていく少女とレヴィの背中を見ることしかできず、焦燥感に駆られる。


(警告、しないと……ユウさんたちに、伝えないと……!)


 瞼が完全に閉じられ、視界が暗闇に覆われる。

 呼吸が深くなっていく。

 それでも、霞ほどの意識でセナは必死に抗い続け、


(言わ……ないっ、と……あの人達は『魔女』だって、ここに来てるんだって……言わな、きゃ────)


 ぷつり、とそこでセナの意識が途絶えた。

 無人のレストランで誰も異常に気付かれることはなく。

『魔女』たちは、町の中へ消えていった。


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