第6話 心の中の世界

 ばたり、と倒れる音。

 胸から血を流し、セナの体が倒れる。


「……せ、な?」


 声を震わせながらユウは呼びかけるが、彼女は答えない。

 その表情は固まったままであり、瞳から光が消えていた。

 ドクドクと倒れた体から血溜まりが溢れる。

 溢れかえって赤く染まる。


「んー? 普通に死んじゃったかな? あっれー、私の勘違いだったかな?」


 指にこびり付いた血を舐め取りながらドロシーは呟く。

 その言葉にぴくりとユウは体を震わせた。


「……勘違い、だと?」


「みたいだね。あーあ、ようやく『鍵』を見つけたと思ったんだけどなぁ」


「てめぇぇぇぇぇぇええええええええええええええええええ!!!!」


 怒号を上げながらセナはドロシーに向かって駆け出す。

 体の節々から青い炎が噴き出し、瞳は一層強く輝いていた。

 この少女はただの勘違いで人を殺めたのだ。赦せる訳がなかった。

 ドロシーに向かって勢いよく刀を振り下ろす。


「おっと」


 だが、その先にドロシーの姿はなく声はすぐ左隣から聞こえていた。

 そちらの方に目を向けるといつの間にかドロシーが移動しており、ユウに向かって手を伸ばしていた。

 その腕で、セナの胸をいとも簡単に貫通させていた。それが魔法によるものか純粋な力によるものかは不明だが直撃すれば無事では済まないだろう。

 しかし、僅かながらユウの反応の方が早かった。


「────はぁっ!」


 空振っていた刀を力一杯込めて振り上げる。その早さと力は人間の腕一つ斬り飛ばすのに充分な威力を持ち合わせていた。

 ドロシーの左肘から先が消失し、大量の鮮血が噴き出す。


「あれま、反応できなかった。君強いね」


「はぁ……はぁ……」


 だが片腕を斬られたのにも関わらず、痛みに呻くこともなく表情を変えずにドロシーは呟く。

 それから「うーん」と首を傾げ、血を大量に零しながらユウに問いかける。


「でもこんなことしたらあんたも同類じゃないのー?」


「あ?」


「……。一時の感情、正当防衛、まあいくらでも言い様はあるけどどのみち今のあんたは殺人を犯そうとしているよね」


「お前こそ勘違いしてるな」


 刀に一振りし、刃に付着した血を払いながらユウは答える。

 

「あたしが狩るのは非人間。魔獣だけじゃない、お前のような下衆た奴も含めてあたしは皆殺しするつもりだ」


「こっわ。人間には法があるんですよ?」


「お前が言えたことか」


 刀を握り締め、ユウは再びドロシーを睨み付ける。

 対してドロシーは呆れたように肩を竦めて振り返った。


「おいおい、私はやるつもりはないぜ? 私が探してるのは『鍵』だ。それさえ見つかりゃ犠牲者は出さんよ」


「その『鍵』とやらとは何なんだ? 箱かなんか開けるつもりか?」


「箱、ねえ……。関係は大いにあるけど」


 と断面から血を垂れ流し、しかし表情と顔色を一つ変えることなくドロシーはユウの方へ体を向き直す。

 その瞳は、どこか狂気を孕んでいるかのように怪しく輝いていた。


「私たちの目的。魔女復活。その『鍵』になる人間を探してるのさ」


「……はあ?」


 ドロシーの答えにユウは思わず呆れた声を出していた。

 世界に大災厄を与えた『始まりの魔女』。未だ影響を受けている土地はあり、世界中で魔獣が跋扈している現状を見ても彼女らが残した爪痕は非常に大きいが、当の本人たちは数千年前の存在でとうの昔に死亡している。とんだありがた迷惑な話である。

 その魔女たちを復活させる。あまりに馬鹿馬鹿しくてユウは戦意すら消失しそうになってしまった。


「で、具体的に『鍵』がどうやって復活させるんだよ?」


「さあね。『ボス』からはそんな風にしか聞いてないよ」


「てめぇ……!」


 そんな曖昧で幼稚な考えだけでセナを殺したというのか。沸々と再びセナの怒りが湧き、炎が体中から溢れ出る。

 そのままドロシーの首をいっそ刈り取ろうかと刀を構えたところでユウの耳に別の声が入った。



「────どいて」



「……?」


 何者かとユウは声がした方向に目を向けようとする。

 だが視界がその姿を捉える前にユウの体が吹き飛ばされた。


「がはっ……!」


 数秒ほど宙を舞う感覚を覚えたあと、後ろへ数メートル転がっていく。

 体中にいくつもの擦り傷を作り苦痛に呻きながらユウは何とか顔を上げる。


「いった、い……誰が……!?」


 そして正体を見たユウの表情が固まる。信じられない、といった表情を浮かべてユウは声を震わせながら疑問を口に出していた。


「どう、して……?」


 

 そこには胸の傷は完全に塞がり、瞳を金色に輝かせるセナの姿があった。 






※※※※






「……ん、ぅ」


 呻き声を上げながらセナは目を覚ます。

 まず最初に感じたのは濡れている感触。体を起こすと共にぴちゃぴちゃと水音が響き渡る。

 そして瞳を開けて映った光景にセナは驚愕した。


「うえっ!? 何ここ!?」


 地平線の果てまで広がる空と水面。まるで鏡のように空の光景が水面に映し出されている。どこか幻想的でありながらも孤独感を強く覚えさせる不思議な空間だった。

 水面はくるぶしまで上がっていて歩くたびにバシャバシャと波紋が広がっていく。


(何でこんな所に……。わたし、眠る前どうなってたんだっけ)


 腕を組みながらセナは直前の出来事を回想する。

 そうだ、確か魔獣に襲われた所をユウに助けられてヒメコと咲良に出会い、『HALF』のことを教えてもらって……。

 自宅と思われるアパートを見つけたからそこに向かう途中でドロシーという女の子に出会い……。

 そして意味深な言葉と共に彼女から胸を貫かれて……!


「ああっ!?」


 思い出される恐怖にセナは思わず悲鳴を上げていた。

 咄嗟に胸に手を当てるが出血はおろか傷すらなかった。衣服も破けている形跡がない。完全に無傷だった。

 となると先程のは夢だったのだろうか。いやどう考えてもこちらの世界の方が夢と思われるが。


「……?」


 と、そこでセナは前方に黒いもやが佇んでいるのを見つけた。

 靄が佇んでいる、とは中々奇妙な表現だが確かにセナにはそう見えたのだ。


『……で、何か思い出した?』


「うわああああああああ!?」


 突然、靄から少女の声がしてセナは驚いて尻餅をついてしまう。

 バシャッ、と大きく水が弾けてセナのスカートはビショビショに濡れてしまった。若干水を吸っていて気持ち悪い。

 驚いたセナの反応を見て靄は不満げな声を上げる。


『なによぅ。そこまで驚くことはないじゃない。あんたとあたしの仲でしょ?』


「だっ、だって、靄が!」


『靄ぁ?』


 ゆらゆらと靄が揺らめく。

 どことなく、その仕草が自分の体を見回してるようにセナは感じられた。


『ああ。あんたにはあたしの姿がそう見えてるのね』


「は、はい……」


『じゃあ何も思い出せてないじゃない。ああ、最悪……』


「あの、あなたは……?」


『……そうね、いっちょカッコつけて言うならあたしはあんた。あんたはあたし、と言ったところかしら』


「意味分からないです……」


『一心同体、運命共同体、魂を共有しているあんたの別人格よ! 察しろ!!』


「ええ……」


 逆ギレしてくる靄にセナはゲンナリと肩をすくめる。

 このままでは何も発展しないのでもう一度セナは尋ねることにする。


「結局、あなたの名前は何ですか?」


『はいはい、正直に言いますぅ。■■■■よ』


「っ!? ぐ、あ……!」


 その名前を聞いた途端、音声が全てノイズに置き換わりセナは激しい頭痛に襲われた。

 心臓の鼓動が早まり、体温が高まり、平衡感覚を失って強烈な吐き気を覚える。

 数分ほど経ってようやく症状が治まり、ぜぇぜぇと息を荒げながらセナは靄に問う。


「はぁ……はぁっ……、今の、は、何ですか……?」


『さあね。ただその有様じゃ名前を思い出すどころかあんたの記憶が戻るのも怪しいわね』


「そう、ですか……。どうすれば、いいんでしょうか……」


『そんなのあたしに聞かれても知らないわよ。自分で答え見つけなさい』


「はぁ……」


 投げやりな靄(とりあえずセナは『もや子』と名付けることにした)の態度にいよいよ困ってしまう。


『おい今変なあだ名付けただろ』


「だって名前も聞けない状態ですし……」


『いや定評されたらあたしが困るんだが……。ああもう、いいよそれで! 思い出したらちゃんと名前で呼べよ!』


「それで、ここはどこなんでしょうか……?」


『ああ!? あんた質問ばっかじゃない! いい加減自分で考えてみたらどうなの?」


「……………………ふぇ」


 もや子の突き放すような態度に、これまで散々な目に遭ってきたセナの精神がついに限界を迎えた。

 瞳に涙が溜まり、妙な嗚咽を上げる。

 

「うっ、ぐすん……うえええええええ!!」


『あーあーもう泣かないの! 悪かった!! あたしが悪かったから!! ほらさっさと落ち着く!!』


 それからもや子が号泣するセナをあやすこと数十分。

 目元を真っ赤に腫らしながらもひとまず落ち着いたセナは再びもや子に問う。


「それで、ここはどこなんでしょうか……?」


『まったく同じトーンで聞けるの逆に怖いわよ』


「うぇ」


『あーもう、泣かない!! 話進まないから!! いいわよ答えるわよ! ここは「精神世界」、あんたの心の中!!』


「心の中?」


『ええ。一人一人が持つ心の中の世界。こんだけ綺麗な空間ってことはよほどあんたの心の中は綺麗なのね』


「どうしてわたしはこんな所で目を覚ましたのでしょうか?」


『ああーそれはね』


 セナの質問にバツが悪そうにもや子が答える。


『あんたが寝ちゃった隙にね。体奪えるしょって調子乗ったんだけど思ったより不調みたいでさ。あたしの一部が分離して本能的な部分だけ体に乗り移っちゃったんだよねぇ』


「……えーと、つまり?」


『たぶん現実のあんた色々やらかしてる』


 その言葉で充分だった。

 徐々にセナの顔が青ざめていく。


「どうやって戻ればいいんですか!?」


『うーん。だいたい念じれば上手くいくかな。分離したのほんの一部だし』


「ああもう、分かりました! とりあえず協力してくれてありがとうございます! とりあえず次から勝手な真似しないでください!」


『はいはい、すみませんねー』


 適当に答えるもや子に苛立ちを覚えながらもセナはとりあえず言われたとおり念じてみる。

「戻れー戻れー」と必死に考えている内に視界が徐々に白くなってきた。


『あ、上手くいったっぽい。じゃあ頑張ってねー』


「最後まで投げやりですか。……とりあえず、次会った時は詳しく聞かせてください」


『はいよー。あと最後の勝手な真似とかどうとかさ』


「はい?」


 もや子の言葉にセナは振り返る。

 だが視界は光に覆われていてほとんど彼女の姿が見えなかった。


『こっちこそ、契約破ったらあんたをころ────』


 その言葉は最後まで聞き取れなかった。

 視界がホワイトアウトしていき、再びセナは意識を失った。


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