◆11◆ 未来の義兄との、世界一苦いお茶会。
些か腑に落ちないような顔をした朋さんがちゃぶ台の上の湯呑や物騒すぎる農薬のボトルをすべてトレイに載せて和室を出ると、潤さんは身体ごと向きを変えて俺をまっすぐに見つめてきた。
「どうして」
とそれだけを言う。
彼女も少し頭が冷えたのか、顔の赤みも引いている。握りしめていた右手を解き、膝の上にあった俺の手に重ねてきた。
「かばってくれたのは嬉しかったですけど、駄目ですよ潤さん」
「藍は悔しくないのか。だってどう考えてもあれは君を馬鹿にして――」
「だとしてもですよ。本当に本当に潤さんが朋さんを嫌いになったわけじゃないですよね?」
「それは……。いや、でも、まさか朋兄がそこまでするような人間だとは思わなかったから失望したよ」
「俺は大丈夫です。そもそも、この状況ですんなり受け入れられる方がおかしいんです。普通は2、3発殴られたり、それ以前に追い返されたりするもんなんですから」
「そういうものなのか?」
「よく言うじゃないですか、『お前みたいなのに娘はやらん!』って」
「そう……かもしれないけど」
そう、それが普通なのだ。
俺みたいなのがまずこの家に何事もなく足を踏み入れられたのが奇跡なのだ。塩を撒かれたりしなかっただけでも有難いと思わなければならない。世界一苦いお茶くらい何だというんだ。
「俺も桃がいますし、朋さんの気持ちだってわかります」
「それでも藍はそんなことしないだろ」
「しない……という自信は、正直あんまりないです。相手にもよりますけど。それだけ大切な妹なんです。朋さんも、潤さんのことをそれだけ大事に想ってるんですよ」
「それにしたって度が過ぎてる」
と、潤さんは腕を組んだ。納得出来ないのだろう、あの馬鹿兄貴め、と悪態をついている。まぁ、潤さんは妹で、想われる側の人間だからいまいちピンとこないのかもしれない。
しばし沈黙が流れたところで、すぅ、と障子が開く。眉間に深いしわを刻んだ朋さんの手には、3つの湯呑が乗ったトレイがある。ひとつだけ、ほわほわと湯気が立ち上っていた。
「……淹れて来たぞ」
そうぶっきらぼうに言い、ひとつを俺の前に、もうひとつを潤さん、そして、最後のひとつを自分の前に置いた。「潤のは煎茶だから安心しろ。熱いから気を付けて」という言葉を添えて。そして、俺をじろりと睨みつけ、
「俺も飲む。フェアじゃなかった。すまない」
ぽつりとそう言って、軽く頭を下げる。その態度に、潤さんもちょっとだけ頬を緩ませた。
では――、と湯呑を持つと、そう大して熱くないことがわかる。さっきから湯気が上っているのは潤さんの湯呑だけなのだ。
「熱いのをちびちび飲んでられないからな。あえて温くした」
と、尋ねてもいないのにそう返ってくる。その心遣いが有難い。
「ありがとうございます。いただきます」
湯呑に口をつける。
これはもう、一気に行くしかない。
もう前情報で『世界一苦い』とわかってしまっているのである。
少しでもためらったら駄目だ。味わっても駄目だ。どうせ舌を通過する過程で嫌でも味わうことになるのだから。問題はこれを咽ずに、吐き戻したりせずに飲み干せるか、だ。センブリ茶で鍛えたとはいえ、所詮は付け焼刃。普段はブラックコーヒーすら飲まない俺だけれども、こればかりは飲まなくてはならない。潤さんも見ている。
行け、片岡藍!
自分自身を鼓舞しながら、目をつぶって一気に流し込む。一気に飲める温度で本当に良かった。
もう全身におかしな力を入れまくってどうにか耐え、なるべく優しく湯呑をちゃぶ台に置く。良くも潤さんはあんな涼しい顔で飲み干せたな、いや、苦しそうな顔はしてたけど、絶対にいまの俺ほどじゃないはずだ。
そう思ったのは、俺よりやや遅れて湯呑を置いた朋さんが、こちらを見てかなりぎょっとした顔をしたからだ。自分でもわかる。いま街を歩けば確実に通報されるレベルの形相なんだろう。
「……け、結構なお点前で」
あれ、これはお抹茶の時だったか? と混乱しつつ、そう言って軽く頭を下げる。正直あまり下を向いているとそのまま吐いてしまいそうだ。
「……藍、大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ。全然、もう」
「私のお茶を飲むか? まだ口をつけてないから」
「いいえ、せっかく潤さんのために淹れたお茶ですから、それは」
それに、朋さんだって同じ状況なのだ。俺だけが口直しをするわけにいかない。
「潤さん、見ておわかりのように、これはおもてなしです。俺は大変美味しくいただきました」
「無理するな、藍。どう考えても美味しいわけがないだろ」
呆れたような声で、だけれども、ほんの少しほっとしたような顔の潤さんを見れば、これで良かったのだと思う。ただ、口内はまだかなりの地獄だが。あの苦さを懸命に忘れようとするものの、そう思えば思うほどあの味が舌に蘇ってくるようである。
「それで、どうなんだ朋兄」
藍は飲んだぞ、と空になった俺の湯呑を朋さんに見せる。すると、それに答えるようにして自身の湯呑をこちらに見せてきた。中にはまだ半分くらいの苦丁茶が残っている。
「負けたよ」
そう言って、ふ、と笑う。初めて見る含みのない笑みだった。たぶん、潤さんに対してはいつもこういう優しい笑みを浮かべているのだろう。
が、それがもちろん俺に対して長く続くわけもなく、再び、『やくざの弁護士』モードに変わる。
「ただ、潤を泣かせたら絶対に許さんからな」
「も、もちろんです」
「こんな茶では済まんぞ」
「は、はい」
「その時はさっきのアレを入れてやるからな」
「えっ……それは……さすがに……」
「冗談だ」
いえ、顔が笑っていません。目がマジです。
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