◇12◇ 兄のあしらい方くらい心得ています。
全く大した男だと、やや青いその横顔を見て思う。
「ちょっとトイレをお借りします」
と、かなり苦い顔をしている藍が退室した後で、2つの湯呑を見つめる。向かいに座っている朋兄もさすがに負けを認めざるを得なかったのだろう。彼は途中で棄権したのだから。
「あいつの――」
それでもやっぱり面白くないのだろう、珍しく私の前でも不機嫌そうな表情のままだ。
「あいつのどこが良いんだ」
吐き捨てるようにそう言って、空の方の湯呑を忌々し気に見つめる。
「どこもかしこもだよ。朋兄もわかっただろ。藍にしてみれば、あのまま黙って私が朋兄と縁を切ったって良かったはずなんだ。どうせこれから先も何かにつけていちゃもんつけて来るんだろうし」
「いちゃもんなんてつけないぞ、俺は」
「どうだかね。だけど、藍は、自分のせいで私達が仲違いするのなんて駄目だって言ったんだよ。妹がいるから朋兄の気持ちもわかるって」
「妹がいるのか」
「かなり溺愛してる。朋兄には負けるだろうけど」
どうやら、兄という生き物は、妹というのをそれはそれは可愛がるように出来ているらしい。いや、これはさすがに度が過ぎているとは思うけど。
「優しいんだよ、藍は」
「まぁ、それに関しては認めるが」
それにしたって、どうしてあいつなんだ、と苛立たし気に湯呑を突く。まぁ、この兄の場合、どんな男を連れて来たってこういう反応をするのは目に見えているが。
まぁ、仕方ない。
私はこれからも藍とずっと一緒にいるつもりでいるし、ということは、彼はこの厄介な兄とこれから先も関わらなくてはならないのだ。だから、多少の嘘は必要だろう。そう思った。
「……朋兄は気付かないのか?」
声を潜めて少し身を乗り出す。すると、案の定「何が」と食いついてきた。
「私は特にそう思わないけど――たぶん、ウチの家族は全員そう思わないだろうけども」
「だから何が」
「藍はこれまで見た目でかなり損をしてきてるんだ。怖い人間だって誤解されてきたっていうか」
「ああ、まぁ確かに、それはあるだろうな」
「ウチの兄達の中で、似たような境遇の人間がいると思わない?」
「似たような……?」
「恵兄もまぁ怖がられる外見ではあるけど、それは単に身体が大きいっていうのと、教師っていう肩書のせいだと思うし」
「えっ、潤? えっ?」
「直兄もムキムキだしさ、そういうのが加味されてるっていうか。ほら、直兄の顔は兄弟の中では一番優しい感じだし」
「えっ、ということは、えっ? 潤? それってもしかして……?」
「ま、そういうことなんじゃないかな。私も恋愛経験が豊富なわけじゃないからわからないけど」
「じゅ、潤……!」
予想通りの反応だ。
うん、そう思わせておけば安心だろう。つまり、私が
「でも、他の兄貴達には絶対に言わないでよ。どうせ喧嘩になるだけなんだから」
「言わないよ! もちろん! 俺の心の中にしまっておくさ。ざまぁみろ、あいつら! はーっ、はっはっはっは!」
まぁ、別にそこを好きになったわけではもちろんないのだが、見た目だけで無理やり分類すれば、あの3人の中では一番朋兄に似ていると言えなくもない。
まぁこれで朋兄もクリアだな、と胸を撫で下ろしていた時、さっきよりもだいぶ顔色の良くなった藍が戻ってきた。彼は、やけに機嫌の良い朋兄を見てかなり驚いている。驚いている、というか、恐らく引いている。朋兄は「片岡君!」とその名を呼びながら勢いよく立ち上がり、何が何やらわからず狼狽している彼の肩をがしりと掴んだ。こんな光景、学生時代とかによく見たなぁ、などと思う。こんな感じで私に声をかけてきた男子生徒に絡んでいたのだ。ちなみにその彼は単に私の忘れ物を届けてくれたとか、そういう理由だったはずなのだが。
「俺のことはお義兄さんと呼んでくれても良い」
「――へ? は?」
「遠慮するな。潤を頼んだぞ。はっはっは」
「は、はい。もちろんです。ええと……?」
なおもはっはっはと高らかに笑い、藍の背中を軽く数発叩いてから和室を出る。その背中を見送って、藍は「一体何が……」と首を傾げた。
「ちょっと効き過ぎたか」
「何かあったんですか? あの、明らかにさっきと」
「うん、まぁ。ほら、私も一応営業で全社そこそこの成績だからね?」
「そこそこどころじゃないですよ。かなり上位じゃないですか」
「まぁ、だから、うまいこと丸め込んだんだよ」
「うまいこと丸め込んだ……。丸め込みすぎのような……気がしないでも……」
そう言って、何やら心配そうに廊下の先に視線をやる。彼の笑い声はリビングの方からもまだ聞こえてくる。口止めはしたはずだが、笑いはこらえきれなかったらしい。2人の兄達の「うるせぇ」という声まで届いてきた。
「しかし、恵兄にしろ、朋兄にしろ、大げさすぎると思わないか? 結婚の承諾でもあるまいに――なぁ?」
藍の隣に並んで廊下の先を見つめ、小さくため息をついた後でそう言う。ほんの笑い話のつもりでそう言ったのだが、見上げた彼の顔は、驚くほどに真剣だった。そして彼は、ゆっくりと障子を閉めると、私の肩を抱き寄せて来たのである。
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