◇4◆ 片岡藍、伏見家にて『歓迎』される。

「ただいま」


 そう言って、戸を開ける。自分の家だから、インターフォンは押さない。


「おぉ、帰ってきたかぁ、潤。何だか女らしくなったなぁ」


 出迎えてくれたのは、紺色のポロシャツに、ベージュのスラックス姿の父だ。あのポロシャツは去年の父の日に贈ったもので、ファッションに疎い父の、ここぞという時に着る『勝負服』になっている。


 父は私の半歩後ろにいる藍の姿を認めると、ほぉ、となぜか感心したような声を上げ、「どうぞどうぞ」と彼にスリッパを勧めた。


「あらぁ、潤。お帰りなさい。アラー、ほんと可愛くなっちゃってぇ! ええと、こちらが彼氏さんねぇ。初めまして、潤の母です~。遥々ようこそ本荘由利原へ――、って、ご出身はどちら? 遥々で合ってるかしら」

「母さんちょっと落ち着いてよ。藍も移動で疲れてるんだから」

「いえ、大丈夫です。初めまして、片岡藍と申します。宮城県は鷹城たかじょうの出身です。あの、こちら、いま仙台で人気の焼き菓子です」


 あらあら、鷹城なのね、お土産まであらあらぁ~、と立ち話が始まりかけたところで、居間に続く扉から、長兄のけいが顔を出す。


「母さん、何もそんなところで。潤、上がれ。そっちの――か、君も」


 何と呼んだものかと明らかに躊躇ったようだった。『彼』と言おうとしたのだろう。別に『彼』で良いじゃないかと内心思いつつ、廊下を歩く。ちらりと藍を見ると、彼はかなり緊張しているようで、顔が強張っている。


「大丈夫」


 そう言って、さりげなく手を握る。


「何があっても、藍のことは私が守る」


 その言葉と共に繋いだ手に力を込めると、藍は一拍遅れて握り返してきた。


「大丈夫です。俺も男ですから」


 私にしか聞こえないような声で、けれどもはっきりと。藍はそう言った。まっすぐ居間へと続く扉を――すでに恵兄は引っ込んだらしいその扉を見つめている。


 いつからだろうか、そのきりりとした眼差しで見つめられる度に胸がどきりと跳ねるようになったのは。何だか、文字通り『心臓を射抜かれ』でもしたかのように。私の心を捕らえて離さない。


 その、彼の目が。視線が。

 扉から、私へと、するりと移る。

 それは幾分か柔らかくなっていたけれども。


 ――あぁやっぱり。


 どくどくと忙しなく脈打つ心臓をなだめるように、胸に手を当てた。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「失礼します」


 そう言って居間に足を踏み入れる。潤さん曰く、


「基本的にウチは母さんの城だから」


 とのことで、家具のチョイスはもちろんのこと、それらの配置に至るまで、専業主婦である苑子そのこさんが全権を握っているらしい。

 棚やテーブルなどはすべて柔らかなライトオークで、ソファもベージュでまとめられており、明るい印象だ。


 ただ――、


「すごいだろ」

「……はい。ええと、これは全部……?」

「もちろん」


 ソファにかけられているパッチワークが見事なカバーに、美しい花の刺繍が施されたクッション、ローテーブルの上にちょこんと置かれた小さな花瓶の下にはレースで編まれたドイリー。それから壁には、遠目には水彩画のように見える刺繍作品の額が飾られていた。


 苑子さんの趣味は手芸で、特に誰かに教わったわけでもないらしいのだが、既製品かと見紛うほどの作品を作り上げるのである。なので伏見家の子ども達は「ランドセル以外のバッグ類は、すべて手作りだった」らしい。


 そうなると、伏見家唯一の女の子である潤さんは、フリルやレース、リボンなどのついた可愛らしいデザインのものを持たされていたのでは、なんて思うわけだが、実際のところは、本人の趣味嗜好を尊重していたらしく、潤さんは、とにかくシンプルなものを所望したらしい。潤さんは幼い頃から潤さんだったのだ。


「おぉ、来たか片岡。潤、今日はえれぇめんこい可愛いじゃねぇか」


 苑子さんの作品に圧倒されていると、キッチンの奥からそんな声がした。恐らくそれも手作りなのだろう、暖簾をぺらりとめくって顔を出したのは、三男の直さんだ。直接会ったことはないが、写真で顔は見たことがあるし、電話でやりとりしたこともある。しかし――、


 実際に会ってみると、身体の厚みがすごい。背も高いし。


「そんなところで突っ立ってねぇで、まぁ座れや」

「は、はい」


 潤さんの話では、両家顔合わせのお食事会は明日の昼に開催されるらしい。なので、主役である直さんもラフな恰好である。というか、明日も出来ればと厳命されているのだが。

 シンプルな白と緑のボーダーTシャツに、ベージュのハーフパンツという出で立ちの直さんは、既にソファに座っている恵さんとおぼしき男性の隣に腰掛けた。


 中学校の国語教師らしい恵さんは、保護者の方から体育教師と間違えられるというのも頷ける風貌である。さっぱりと刈り上げられた黒髪に、太めの眉。その眉の間には深いしわが刻まれ、そして、さらに下にはへの字に引き結んだ唇がある。雰囲気だけなら娘の交際に反対している父親、といった感じだが、この人はお兄さんで、本物の『父親』は、というと――、


「いやぁ、潤が彼氏を連れてくるとはなぁ」


 ソファの端にちょこんと座り、はっはっは、とにこやかに笑っている。ここから「娘はやらん!」などと豹変するとも思えない。


 居間のソファには、端からお父さんのたつきさん、三男の直さん、長男の恵さんが座っていて、キッチンでは苑子さんがお茶の準備をしている。あと一人、足りない。

 

 次男の朋さんだ。


 今回のメインイベントは明日に控えているが、俺にとってはある意味いまがメインである。


 彼女のご家族へのご挨拶。


 恐らく本来は『ご両親』への挨拶なのだと思うのだが、潤さんからの前情報でも、ご両親はよほどのことがない限り反対はしないだろうとのことだった。俺はその『よほど』に該当するのでは、と思っていたのだが、ご両親の方は、拍子抜けするほど歓迎ムードである。


 だから、どちらかといえば、『家族』という大きな括りというか――、むしろ妹を溺愛しているお兄さん達への挨拶、が正しい。


 先ほどからとんでもない威圧的なオーラを漂わせている恵さんも正直恐ろしいが、それよりも、いまこの場にいない朋さんの方がなぜか数倍恐ろしいのである。


 と。

 腕を組んで押し黙っていた恵さんが、ぴくり、と動いた。何か話そうと口を開きかけたタイミングで苑子さんがお茶を運んでくる。


「ほらほら、潤も彼氏さん――ええと、片岡さんだったかしら? 座って座って」


 そういえばさっき直さんからも座れと言われたのに、俺も潤さんもなぜか立ったままだったのである。

 というか、この居間にはL字型のソファしかないわけで、そりゃまだ座ろうと思えば座れるけれども、仲良くならんで座るような局面ではないだろう。

 だから、ローテーブルを挟んで、向かいに正座をするのがベストだと思うのだが。


 誰の向かいに座るべきなんだ!?


 樹さん? それとも、恵さん?


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