☆ ☆  中堅社員・川崎英士は見た!

「いやいやいやいやいやいやいやいや」


 玄関のドアを開けるなり、そんなことを言い出した川崎に、エプロン姿でそれを迎え入れた牧田が「何スか。どうしたんスか」と呆れたような声をあげる。


 予報によれば絶好の花見日和らしいこの週末、肝心の桜の方はというと、満開なのは関東の方であって、東北はというとあと一歩という状況である。にもかかわらず、何でも良いから理由をつけて集まりたい2人なのだった。


 牧田の住む借り上げ社宅のアパートは、駐車場の脇に桜の木が一本植えられており、彼の話では、


「ウチのはもう満開っスから。俺の部屋から見えるんスよ」


 とのことで、ならば、その桜を見ながら飲もうじゃないか、ということになったのである。


 場所の提供と、ちょっとしたつまみを牧田が用意する代わりに、川崎は道中にあるドラッグストアで酒を調達することになっており、彼の手には、国産ビールの6缶パックが2つと、缶酎ハイが数缶が入ったビニール袋が下げられている。


「うわうわ、めっちゃ買って来たっスね、エーシさん」

「おうよ。今日は俺朝まで飲むから」

「吐かないでくださいよ」

「大丈夫、そん時はお前のベッドに吐くから」

「ちょっと勘弁してくださいよ。それで? どうしたんスか」


 酒を受け取り、それを部屋の中へ運びながら、牧田が問い掛ける。そこで川崎は「そうなんだよ」と思い出したように膝を打った。それを見て、「年一個しか違わないはずなのに仕草が古いなぁ」と牧田は思った。


「いや、いまそれ買いに『エビやく』行ったじゃん?」


 エビ薬、というのは『エビス薬局』の略で、宮城県内に多くの店舗を持つドラッグストアチェーンである。『薬局』とはいうものの、食料品や酒類の取り扱いもあるごくごく一般的なドラッグストアだ。

 『薬局』という名前のせいで、県外からの転勤者が調剤薬局と間違えてしまうため、そろそろ一目でドラッグストアとわかるような店名にすれば良いのでは、という声もずいぶん昔からあるらしいのだが、頑なに変えようとしない。店内に調剤薬局もあるから、というのがその理由らしい。

 

「そしたらさ、いたんだよ」

「いた? 誰がスか?」


 びりり、とパックを破り、ビールの缶を1本手渡すと、川崎は「悪いな」と言ってからそれを受け取り、蓋を開けて口をつけた。そして、それをごくごくと飲んでから「片岡」と言った。


「え? 片岡? あいつこの辺じゃないはずっスけど。誘えば良かったじゃないスか」


 折り畳み式のテーブルの上に総菜やら菓子やらを並べながらそんなことを言う牧田に川崎はまたも「いやいやいやいやいやいやいやいやいや」と返す。そして、たん、とビールの缶を置き、「あれはちょっと俺無理!」と首を振った。


「無理って、何がスか」

「片岡、超怖えぇの」

「片岡が? まさか」


 まさかぁ、と尚も笑って唐揚げをつまむ。牧田の手にも国産ビールの缶が握られていた。UNICOユニコ=BOTTRINKボトリンクから最近発売されたばかりの『クリスタル・ドライ』である。それをごくりと喉を鳴らして飲み、「っかぁーっ!」と奇声を発する牧田を見て、「こいつはイチイチうるせぇな」と川崎は思った。


「違うんだよ。それがさ、何かもう2、3人殴ってきました、何なら止めに来た警官もぶっ飛ばしてきました、みたいな感じでさ」

「は? どういうことっスか。さらっと物騒なこと言わないでくださいよ」

「いや、何か急いでる感じで肩で息してたから、あれたぶんサツから逃げて来たんだぜ。それに、何かもう殺気立っててさ」

「あの片岡が、殺気って……。怖っ」

「だから、怖いんだって。いつもの比じゃねぇの、あの目つき。そんなおっかない顔してさ、缶詰コーナーにいたんだけどさ」

「は? 缶詰?」

「そ。白桃と黄桃の缶をさ、両手に一個ずつ持ってさ、すげえ睨んでんの。眼力で開ける気だったのかな。それとも、透視でもしてたんかな、あれ」

「いや、いくら片岡の目でも缶はさすがに開きませんし、透視も無理っスよ」

「いや、でもさ、それくらいの眼力だったんだって!」


 なかなかに凶悪な目付きの割に根は大人しく、その上少々気の弱いあの片岡が、喧嘩帰りにドラッグストアで桃缶を物色……。


 想像がつくような、つかないような。


 ううん、と腕を組み、牧田は唸った。


「……めちゃくちゃ好きなんじゃないスか?」

「は? 何が?」

「いや、だから、桃が」

「好きであんなに睨むかよ」

「いやいやエーシさん、片岡っスよ? たぶんそれ睨んでたんじゃないスよ」

「どういうことだ?」

「いや、あいつ、真剣に悩む時の目付き超怖いんスよ」

「マジかよ。野生動物も逃げそうなくらいの目だったぞ?」

「エーシさんは中西班ですからね、なかなか見る機会ないかもですけど、飢えた狼かよってくらいの目で仕事してる時ありますからね、月末とか」


 牧田が冷静にそう返すと、川崎は「マジかよ……」と呟いた。


「エーシさんの席からだと、仕事中の片岡の顔見えませんからね。伏見班では割と名物っスよ。人を殺せそうな目で月末の処理する片岡は」

「マジかよ。俺月末の片岡には近寄らんでおこう……」

「いや、中身はいつもの片岡っスから」

「そうなのか。なら安心の草食動物だな。でも、あいつそんなんでよく営業やろうとか思ったよな」


 お客さん、ちびるんじゃねぇの? と言って川崎はガハハと笑った。もうすっかりいつもの調子である。唐揚げをひょいと口に放り込んでから、ビールを一口飲む。


「いや、それが。あれはあれで結構美味しいみたいっス」

「は? 何で?」

「ほら……、よくあるじゃないスか。強面の不良とかが雨の日に公園で捨てられてた猫を……みたいな」

「ああ、あのギャップでキュンとくるやつな? ってかそれ少女漫画の世界だろ!」

「いやいや、侮れないみたいっスよ? あれ、この人こんな顔だけど、物腰も柔らかいし、良い人じゃん、みたいな感じで」

「マジかよあいつ」

「現に成績はそこそこ良いっスからね」


 そう、何だかんだいっても片岡は毎月そこそこの結果を残しているのである。とはいえ、目標をギリギリ、あるいはほんの少し超える程度ではあるのだが。それでもそもそもの目標を高めに設定しているため、未達に終わっても厳しく詰められることはない。


「おいおい、片岡主任誕生すんのかよぉ。しちゃうのかよぉ」

「いやー、主任まではどうでしょうかね。だって、あいつが人に教えられると思います?」

「……あ。それは無理か。そっちで落とされるか」

「でしょ。っつーか、せっかくの飲みの場で野郎の話ばっかりってどうなんスか、エーシさぁん」


 牧田がそんな甘えた声を出せば、


「言われてみりゃそうだな」


 と、川崎も大きく頷く。


「そんじゃとりあえず桜でも拝ませてもらうかな」


 そんなことを言って立ち上がり、勢いよくカーテンを引く。すると――、


「お、おお……」


 満開の桜が――、


「……おい、マキ」

「はい」


 なかった。

 ちらほら咲いているものもあるにはあったが、という状態である。


「これは満開とは言わねぇ」

「だから、って言ったじゃないスか」

でもねぇよ、これは」

「そうスか?」 

 

 窓を見つめて呆然としている川崎に、牧田は事も無げにそう言った。


「ま、良いじゃないスか。朝まで飲みましょうって。それに、ほら」


 ぐふふ、と笑って、後ろ手に持っていたブツを川崎の目の前に差し出す。


「持ってきてますよね、エーシさん?」

「……当たり前だろ」

「ぐふふ。寝かせねぇっすよ、エーシさん」

「望むところだ」


 牧田の手にあるのは、PlayP Virtual V PortablePという携帯ゲーム機である。その中に何のソフトが入っているのかなんて聞くまでもない。『スライムハンター2ndセカンド』という、様々なスライムを狩りまくるというハンティングアクションゲームで、普段もオンラインで共に狩りを楽しんでいる2人である。


「よっしゃ、一狩り行くかぁ」

「あ、俺、岩石スライムの胆石欲しいっす」

「岩石スライムかぁ。そんじゃ岩浜のクエストだな」

「胆石あと1つでフル装備完成するんスよねぇ」

「後で火山も付き合ってくれ。俺、紅蓮スライムの炎涙欲しいから」

「うっす、了解」


 花より団子とは良く言ったもので。


 カーテンをさっさと閉めると、テーブルを囲んでごろりと寝転び、ゲームに興じる。時折思い出したようにビールを飲み、つまみを食べたりして、牧田と川崎、2人の夜は更けていくのであった。


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