♤4♤ 大槻隆、頬がゆるゆる。

 で。


 夏果なつかさんと食事に行くのは、3回目だ。

 バレンタインのあの夜、鍋の美味い居酒屋に行って、そこで夏果さんが、次は水餃子の美味しいところに行きませんか、と誘ってくれて。


 それで、今日は、この洋蘭をどうしても見せたくて……あとは……その……ホワイトデーのお返し、という意味もあって、それで、誘ったんだ。串焼きの美味い店があるんです、って言って。


「飛び入りで申し訳ないんですけど、友人も1人よろしいでしょうか」


 なんて言われた時は、その『友人』が同性なのか異性なのかと胸がざわついだが、なんてことはない、同性だった。でもちょっと意外な感じ、というか、夏果さんとは真逆のタイプのような気もしたけど。

 

 聞けばフィットネスジムの受付をしているらしく、他のジムの設備等についても詳しい。女性にしては――と言ってしまうと完全に偏見だが、彼女自身も鍛えているようで、筋トレメニューについても一家言あるらしい。うん、なかなか参考になる話だ。


 だけど――。


「ど、どうですか? 彼女」


 ……はい?


「何かお話も弾んでましたし。それに、莉子って、結構美人ですしね? あはは……」


 ……まぁ、確かに話は弾みましたけども。


「わ、私、何かすみません、いつもお花の話ばかりですし、筋肉も、ほんと最低限っていうか、その、スクワットしかしてなくて」


 そこで俺は気が付いたのだ。

 

 俺は別に恋人と筋肉の話がしたいわけじゃないな、と。


 そりゃ好きになった子の趣味が筋トレなのだとしたら止めはしない。共に鍛えよう、なんてことも言うだろう。だけど、いま俺が好きになった子とは、別に筋肉の話ばかりがしたいわけではないのだ。

 それよりも、何か同じ趣味を持って――そうだな、花を愛でるでも、育てるでも良いじゃないか。でも、ずっと室内にいるのはさすがにつまらないからな。例えばハイキングなんか行って季節の草花を見たりするのも良いんじゃないだろうか。


 願わくば、夏果さんと。

 だから、勇気を出すんだ、大槻隆!


「な、夏果さんさえ良ければ、その、さ、桜を……見に行きませんか?」 


 言った。

 言ってやった。

 想定よりちょっと声が弱くなってしまったが。


 だけど、返事は来たのだ。


「行きたいです! 絶対行きます!」――と。


 やった!

 やったんだ俺は!

 俺よりも遥かに強い声でちょっとびっくりしたのは内緒だ。


 やったぞ、大腿四頭筋!

 聞こえているか、上腕三頭筋!

 ああ、喜びで大胸筋が震える……。


 今日はもういつものメニューを倍にするしかない。

 それくらいしないと今日はもう眠れそうにない。

 いやもういっそ今日は眠らない?!

 一晩中でも筋肉お前達と語り合いたい気分だ!




※ ※ ※ ※ ※

 

 夏果さんがパフェを食べ終え一息ついたのを見計らって、通りがかった店員に会計をお願いすると、夏果さんは急に何やらもじもじとし始めた。どうしたんだろう。トイレかな?


「あの、やっぱり少し出させてください、私、デザートまで食べちゃいましたし……」


 そう言われ、デリカシーの欠片もない我が思考を即座に恥じた。馬鹿か俺は。


「良いんですって、むしろ毎回出すのが普通というか」

「そんな、別に男の人が必ず奢るっていうものどうかと思います。私だって働いてるんですから」

「もちろん、それはそうかもしれませんけど……。あの……今日は俺からお誘いしましたし、それに……これは……ホワイトデーのお返し、と言いますか……」

「ほわ! ホワイトデーの……? え? でも……」


 夏果さんが驚くのも無理はないだろう。

 だって今日は3月20日。ホワイトデーでも何でもないのだ。

 それに、バレンタインのあの夜、こちらから誘ったのだから、と食事代を出そうとしたところ、最後の最後まで「せめて端数だけでも!」と食い下がってきた夏果さんを「それじゃこれがホワイトデーのお返しということでいかがでしょう」と言って説得したのである。だから、彼女の中でホワイトデーはバレンタインに終わっていたはずなのだ。


 夏果さんが混乱している隙をついてさっと会計を済ませて店を出る。日中は春の温かさだが、さすがに夜は冷える。


「あ、あの、やっぱり少しくらい……」


 と言いながら鞄をごそごそしている夏果さんに「その前にコートを」と促すと、頬を撫でる風の冷たさに背中を押されたのか、彼女は手に持っていたコートをばさりと羽織った。襟を立て肩を竦める。今日も仙台は暖かかったから、首に巻くようなものは持ってきていないらしい。外仕事のせいかほど良く焼けた――といっても俺に比べればまだ白いその頬が少し赤くなっている。


「本当に今日は、出させてください。ですから……そうだ、角館の道中で、どこか寄りましょう。その時にコーヒーでもご馳走してもらえれば……」


 どうにかこれくらいで彼女の気が治まらないだろうか。

 そう祈りながら夏果さんを見ると、『角館』というキーワードに彼女の目はきらきらと輝き出すのがわかった。


「もちろんです! コーヒーだけじゃなくてスイーツもご一緒に!! 楽しみにしてますから! 私!!」


 きゃあ、と可愛らしい声を上げ、両手をがしっと掴まれると、そのままぶんぶんと上下に振られた。


「ニュース毎日チェックしますね。満開になったら、すぐに連絡します」

「私も毎日チェックします。どっちが先に連絡するか勝負ですね」

「勝負……受けましょう!」

「負けたら、罰ゲームですよ」

「罰ゲームですか。何にしましょうか」

「それはお互いに決めましょうか。紙に書いて、明後日の朝にでもウチのお店の前で交換するんです。どうでしょうか」

「わかりました。考えておきます」


 そんなことをしている間にタクシーが速度を落として近付いて来るのが見えた。手を上げて停め、乗るように促す。扉が閉まる直前、夏果さんは「今日はごちそうさまでした」と言って、ぺこりと頭を下げた。



 そのタクシーが角を曲がるまでずっと手を振り続け、見えなくなったところで俺も歩き出す。


 罰ゲーム、罰ゲーム、罰ゲーム……。


 そうだな、『俺の金でスイーツ食べ放題』とかなんて良いかもしれない。

 

 そんなことを考えて、緩みそうになる頬を抑え――なくても良いかなんて思いながら家路についた。


 

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