♤3♤ 大槻隆、自分語りする。

 いや、正直、自分の変化に驚いている。


 先月、秋田に住む友人を訪ねたその帰り、『世界の洋蘭展』という看板が目に入り、思わず立ち寄ってしまったのである。


 その洋蘭展は秋田県本荘由利原市にある道の駅『フルールマルシェゆりはら』で毎年開催されているらしく、常連なのだというご夫婦の話では、「ここの洋蘭は外れがない」のだそうだ。洋蘭の当たり外れなんて正直わからないが、めちゃくちゃきれいだ、ということはわかる。それくらいなら。


 撮影もOKとのことで、他のお客さんが写りこまないように気を付けつつ、スマホのカメラでパシャパシャと蘭を撮っていると、アラサーかアラフォーか、といった女性の集団が明らかに俺を見ながらひそひそとしている。もしや、何か勘違いされているのでは……とこそこそスマホをしまうと、そこの責任者らしき男性から呼び止められ――、まぁ、とりあえず撮った写真を見せて誤解は解いたけれども。


 まぁそんな経緯はあったけれども、だ。


 そそくさとそこを立ち去り、飲食コーナーに移動してコーヒーを片手に撮った写真を見る。そういえばいつだったか夏果さんもこんなぶわぁっとした花をラッピングしてたなぁ、なんて思いながら。


 これ見せたら、夏果さん喜ぶかな。


 花屋で働いている彼女はさすがに花が好きだ。

 いや、花だけじゃないだろう。だってあそこの花屋には花の咲かない葉っぱだらけの植物なんかも置いてる。

 だから厳密には草花が――いや、自然そのものが好きなのかもしれない。


 彼女に勧められて買ったカランコエはアドバイス通りに育てたらオレンジ色の花が咲いた。コツコツと積み上げた――というほどのことはしていないのだが、それでもやればやっただけの成果が形として現れるのは嬉しいものだ。


 俺は昔、どちらかといえば要領が悪いというのか、運が悪いというのか、努力をしてもそれに見合った結果を得ることが出来なかった。猛勉強して臨んだテストは、突然の腹痛やら何やらが襲ってきて実力の半分も出せなかったり、部活では、3年生が引退してやっと試合に出られると思ったら、2年生のエースが問題を起こし、出場権そのものがなくなったり。

 

 筋トレにハマったのは大学の時だ。

 それまでの俺は、身長はそれなりにあったが、体重もそれなりにあった。もうその頃になると、自分はもうどうせどれだけ努力したって報われないんだ、といじけた気持ちに支配されまくっていて、運動系のサークルなんて時間の無駄だと思ったし、とりあえず単位だけはしっかりとって、どこでも良いからそれなりのところに就職出来れば良いかな、と無為に過ごしていた。留年さえしなけりゃそれで良いんじゃないか、なんて。徹夜麻雀で授業に遅刻したこともあったし、酒の味を覚えてからは毎日のように友人と安い酒を飲みまくったものだ。


 こんな風にだらだら時間は過ぎていくんだろう。

 そう思っていた。


 筋トレは、まぁ、何ていうか授業の一つだった。

 信じられないかもしれないが、本当の話だ。

 いや、厳密には、筋トレが授業内容なのではない。何の目的も知らされずに、講師である助教授からこう言われたのである。


「何でも良いから、何かを3ヶ月続けて、それの結果を報告せよ」


 という。

 そう言われれば、そりゃ大抵の生徒はその授業にちなんだものにしようとする。俺の学部は人文学部で、その授業は臨床心理学だった。心理学と、何かを3ヶ月続けることが、どう関係するというのだろう。そう思わないでもなかったが。

 それに、その課題は授業外で行うものであって、授業は授業で別にある。


 毎日駅前に立ち、〇人に幼少時のエピソードを聞きます。

「雨が降っても台風の時でも毎日駅に立てますか? それに見ず知らずの人にいきなりそのようなプライベートな質問をされて答える人がいますかねぇ」


 毎日、500円貯金します。

「志は素晴らしいですが、大学生にしては少々高額ではありませんか? バイトしてます? それとも仕送りのみですか? であれば50円くらいが妥当ではありませんかね」


 漢字の書き取り、あるいは英単語を覚えます。

「良いですね、それくらいがちょうど良いのです。ただし、あなたが漢字や英単語を苦手としている、という前提ならば、ですが。もしある程度得意にしているのであれば、そうですね、中国語ですとか、ドイツ語ですとか、そういう馴染みのない言語の方がよろしいかと思いますよ」


 友人達の案が次々と却下されていく。

 成る程、確実に毎日続けられるものでなくてはならないらしい。

 費用もかからず、天候にも左右されず、と。


 そこで浮かんだのが腹筋だった。

 これなら家で出来るし、金もかからない。


 助教授はあっさりとオーケーを出した。友人は毎朝トイレ掃除をする、にしたらしい。あいつン家のトイレ汚かったもんな、ちょうど良い。



 で、3ヶ月。

 俺はやり切った。

 聞いた話では、ほとんどの生徒がさぼっていたらしいが。でもそんなやつらでも、やり切った、という体でレポートを書くくらいの想像力はある。何の問題もない。

 それを見透かしたかのように、助教授は笑ってこう言った。レポートの束をひらひらと振りながら。


「恐らく、ほとんどの皆さんがこの3ヶ月、自身が決めたことを続けることが出来なかったでしょう。安心してください。例えこのレポートの内容が全くのファンタジーであっても、私はこれを受理します」


 じゃあ一体何がしたかったんだ、この人。

 誰もがそう思った。


「では、なぜ皆さんは――いえ、一部の方々は除きますが――、続けられなかったのか。それは、なぜそれをしなくてはならないのか、という『理由』と、それを続けることで得られる『結果』のイメージを明確にすることが出来なかったからです。もちろん、単位取得のため、を『理由』にし、無事単位を取得出来た自分という『結果』をイメージして頑張った方もいたでしょう。もちろん、これ以外にもあるでしょうけどね。重要なのは、大抵の人間は、ただ理由もなくやれ、と言われたことをやり続けるのはとても困難である、ということです」


 教室を見渡すと、何だそりゃ、という表情の生徒が大半だった。まぁ正直大してレベルの高いところじゃないからな。今日日大学には行くものだから、っていう感覚で入学したやつらばかりだった。俺も含めて。


「さて、それでは、本題に入りましょうか。先ほども申し上げましたが、このレポートはファンタジーでも受理しますが――、レポートについては、こうはいきません。もちろん、私の目を欺ける程度のリアリティがあれば別ですけれども。それでは、もう3ヶ月間、頑張ってください。理由を明確にしておきましょうか。私からは、『単位取得』ですが、それ以外でも構いません。それから、それを続けたことで3ヶ月後に得られる『結果』についてもしっかりイメージすること。内容はいまなら変更可能ですよ。その際は私に必ず報告してください」


 そう告げられ、教室内は騒然となった。

 何にしても3ヶ月間コツコツ続けたやつはけろりとしている。何せもう下地が出来上がっているからだ。けれど、そうじゃないほとんどの学生は、レポートを提出したその瞬間に、自分が何をするのかさえ忘れていたりもするのだ。そういうレベルの学生が集まる学校だと察してくれ。


 で、俺はというと。

 一応続けてはいた。丸く膨れていた腹が少しずつ引っ込んできて、ちょっと筋トレが楽しくなっていた時期だった。少しずつ欲も出るようになった。もしこれを続けていったらどうなるだろう、なんて『結果』の部分については実は割と早い段階でイメージ出来ていたのである。それが良かったのだろう。


 長くなったが、俺と筋トレとの出会いはこんな感じだ。

 俺はやればやっただけ形として――成果として現れる、つまり努力は実る、という体験をやっとこの筋トレによって得ることが出来たのである。


 努力も案外悪いもんじゃないと思うようになって、就職するならやった分だけ評価される営業職だなと思い始めたのもこの頃だ。


 けれど、どうやら世間には筋トレ以外にも、頑張った分の成果が目に見える形として現れるものがあるらしい。花だ。もちろん、うまくいくばかりではない。そういう点ではやはり筋肉に軍配が上がるわけだが。けれど、素人が手を出せる程度のものについては、正しいやり方で手をかければ、ほぼ間違いなく育ち、きれいな花をつける。


 うん、やはり。

 花を育てるのと、筋肉を育てるのは、似ているのだ。

 


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