♡ 2 ♡ 岬夏果、胸がどきりと。

 ――と。


「?」


 そのおしぼりの横に差し出されたのは、色とりどりの洋蘭が表示されたスマートフォンだった。


「これって……?」


 それを見つめたままそう言うと、大槻さんは画面をスライドさせて次々と別の蘭の画像を表示させてから、最後に一覧表示に切り替えてみせた。24分割された画面は、白や紫、ピンクに黄色の蘭でモザイクのようになっている。


「実は先月、洋蘭展に行って来まして」

「洋蘭展!? に、おひとりでですか!?」

「生憎、一緒に花を愛でてくれるような友人がおりませんで」

「そう……なんですか……」


 いや、こういうのって恋人同士がデートで行くんじゃ……。いや、でも、あんまり若い人なんていないかな。前に行った時も年配のご夫婦ばかりだったような。


「実は、今日はこれを見せたくてお誘いしたというのもあったりなかったり……」

「そうだったんですか。きれいですねぇ、洋蘭……」

「きれいでしたよ。ただ、割と年配の女性とかご夫婦しかいなくて、ちょっと恥ずかしかったですけど」

「さすがに男性ひとりっていうのは浮きましたよね?」

「もう、浮いたなんてもんじゃないです。俺だけでしたから。もう不審者一歩手前ですよ、ほんと」

「そんな! まさか!」


 いつの間にか涙は引っ込んでいて、私は顔を上げて笑った。目の前には照れたように笑っている大槻さんがいる。


「でも、ちょっと意外ですね」

「何がですか?」

「洋蘭展ですよ。もともとお花お好きでしたっけ?」


 そんなわけはない、と思う。

 初めてお店に来た時も、花なんて何が何やらといった顔をしていたのだ。


「もともとは全然ですよ。夏果さんからカランコエを勧められて、それから何だか道端の花にも目がいくようになったというか。ここも、行こうと思って行ったわけじゃないんですよ。たまたま通りがかって、ちょっと寄ってみようかな、って」

「そうだったんですか。それならちょっと納得かも」


 だよね。

 ほんのついでに、ふらっと、そんな感じだよね。あるある。私もそんな感じでヒーローショーを見たことがあるもん。わかるわかる。案外面白くて最後まで見ちゃったもん。


 納得納得、とグラスに口をつける。ピンクグレープフルーツサワーは氷が溶けて少し薄くなっていたけど、いまの私にはそれくらいがちょうど良い。

 大槻さんは、私がグラスを置いたタイミングで、「それに」と言った。話にはまだ続きがあるようだ。


「い、行こうと思って行くなら、夏果さんを――」


 その時、ぴろりぴろりぴろりん、と卓の上に置いていたスマホが鳴った。

 私を? 私を何ですか? と聞きたいところだったけれど、画面がちらりと目に入ってしまった以上、無視も出来ない。ぴろりぴろりぴろりん、は無料メッセージアプリCOnneCTコネクトの着信音だ。しかも相手は莉子。


「莉子からだ……」

「もしかして、具合が悪くなったとかですかね。結構飲んでましたし」

「……かも。ちょっとすみません」


 そう断って『応答』をタップする。お酒にはかなり強かったはずだけど、もしもということもある。


「もしもし? 莉子?」

「あ、ごめ~ん」

「――は?」

「あたし帰るね~」

「え? ちょ、どういうこと?」


 確かにすぐ帰るって約束だったけど。あなたさんざん飲み散らかし食い散らかししてたじゃない。次どこ行きます、なんてことも言ってたよね?


「それがさー、元カレがねぇ、やっぱり戻れないか? なぁんて言うわけよぉ。だから、ちょっと行ってくる」

「ちょ。えぇ? だって荷物とか――な、ない!」


 隣の席に莉子の荷物はなかった。トイレに行くなんていうのも嘘だったのだろうか。


「それにあなたさんざん飲み食いして」

「良いじゃん、どうせ大槻さんの奢りでしょ?」

「そんなわけないでしょ!」


 きっちり割り勘はさせてもらえないけど。だけど、全部出してもらうわけじゃない。だって私達はそういう関係じゃないんだから。


「何それ、だっさ。払わせなよ。そんなんだから駄目なんだよナツは」

「余計なお世話!」

「はいはぁ~い。そんじゃ、今度会った時に返すから立て替えといて。じゃね」

「ちょっと、莉子!? 莉子!? ……あの、莉子、帰ったみたいです……」


 居酒屋とはいえだいぶ声は押さえていたつもりだったけど、だんだんヒートアップしていたらしく、大槻さんは目を丸くしてこちらを見ていた。そして、私が通話を終えると、顔を背けて、クックッと笑い出した。


「え? あの、大槻さん……?」

「すみません……くくく……。いや、夏果さんも怒るんだな、って……ははは」

「だ、だって! ちょっと勝手すぎると思って!」

「いやいや、具合悪いとかじゃなくて良かったじゃないですか」

「それは……そうですけど……」

「それと、今日くらいは奢らせてくださいよ」

「へ?」

「いや、毎回出させてもらっても全然俺としては」

「え? あ? も、もしかして聞こえて……?」

「ええ、まぁ……」


 もう私の馬鹿――――――――!!!!

 どうしてここで電話に出ちゃったんだろう!


 大槻さん、何かめちゃくちゃ笑ってるけど! どうして!?


「まぁ、良いじゃないですか。飲みましょう、夏果さん」

「そ……そうですね」


 そう言うと、大槻さんは、半分くらいになったジョッキを軽く上げた。それに倣って私もかなり薄くなったサワーを手に取り、彼のジョッキと軽く合わせる。


「あの、それで、ですね」

「はい?」


 さすがにこれを飲み続けるのはちょっと恰好悪いかも。そんなことを考えながら、でも残すのももったいないし、と、ちびりと飲む。


「ほら、あの、もう3月じゃないですか」

「……? そうですね」

「3月といえば、ほら、春じゃないですか」

「……? まぁ、そうですよね」


 うん、3月といえばもう春。うん、ちょっと肌寒い日もあるけど、もうすっかり春だ。もうコートもいらないし、あったかシーツも片付けた。


「は、春といえば……ほら……」

「春といえば……?」


 どうしたんだろう、大槻さん。

 どんどん顔が真っ赤になっていくけど。飲みすぎたのかな? まぁ、ビールには氷なんて入っていないわけだし、私のサワーみたいに薄まることもないしね。


「あの、も、もし良ければ。その、夏果さんさえ」

「私? 私が?」

「な、夏果さんさえ良ければ、その、さ、桜を……見に行きませんか?」

「桜を?」


 桜! そうよ、春といえば桜! 桜でしょ! 桜に決まってる!


「ええと……さすがに仙台ココから弘前まではちょっと遠いですけど、角館かくのだて……ですとか……」

「角館! 武家屋敷!!」

「そ、そうです! 武家屋敷の!」

「行きたいです! 絶対行きます!」


 行ってみたかったんだぁ、角館の桜!

 ああ、楽しみ!!


 あれ、でもそれって、デートだったりする?

 ていうか私達って、いまどういう関係なんだろう。

 

「あの、大槻さん……?」

「何でしょうか。あ、お代わり頼みます? それとも何かデザートでも」

「デザート……」

「実はここ、和パフェが絶品だと聞いてまして」

「和パフェ!?」

「ほら、ここに! 抹茶アイスにきな粉、黒蜜と……牛乳寒天に小豆……」


 何ですかそれ。もう頼むしかないっていうか。私に食べられるために存在してるでしょ、アナタ?


「食べます。大槻さんはどうします?」

「俺は良いです。ビールに甘いのはちょっと」

「言われてみればそうですね、では、私だけ……。ええい、カモン、店員さん!」


 と、呼び出しボタンを押してから気が付いた。

 あれ、そういや今日って大槻さんが奢るとか言ってたよね? なのに私ってば人のお金でデザートまで食べる気!?


「お待たせしましたー」


 しまった!

 ここの店員さん優秀すぎる! 対応が早い!

 どうしよう。これは頼むべき? でもなぁ気付いちゃったら正直頼みづらいというか。


「和パフェとビールお願いします」


 なんて私があわあわしている間に、大槻さんはさらりと注文してしまった。

 いやこれは、絶対少し出させてもらおう。うん。

 店員さんは「かしこまりましたー」と言いながら伝票を書き、それをエプロンにねじ込んだ。


「空いたグラス、お下げしますね」


 いえ、これはまだ、と、返答する間もなく私のさんざんに薄まったサワーのグラスが回収されていく。あぁ、もったいない。けどあれは店員さんからすれば回収すべき対象なのだろう。


 でもあれが良かったというか……、と、少々名残惜しい気持ちで去っていく背中を見つめた。

 

 ぼぅっと見つめながら、さっきのやり取りを思い出す。


 大槻さんと一緒に桜を見に行けるんだ、と。

 それで心臓がどきりと跳ねる。

 

 確かに、角館の桜はずっと行ってみたいと思ってた。

 だけど、あそこをひとりで行くのは少々寂しい、というか。だって家族連れやらカップルばっかりなんだもん。そりゃひとりの人もいるけどね? でもそういう人に限ってなんかもうガチのカメラ首から下げたり三脚立てたりしてるんだもん。


 だから――そうだな、例えば周りの人から見たら、私達って、どういう2人に見えるんだろう。


 そんなことを考えると、いまさら酔いが回って来たのか、顔があっつくなってきた。


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