♤2♤ 大槻隆、出会いを語る!

「――ああ、大槻君、こっちこっち」


 自分史上最速で書類を処理し、『串焼き屋とり若丸』に駆け付けると、当たり前のように伏見はカウンター席でジョッキを空けていた。ていうか、それは一体何杯めなんだ? それは恐ろしくて聞けないが。


 酒さえ飲めればご機嫌な伏見は、会社でのやり取りが嘘のように、にこやかにひらひらと手を振ってくる。その後ろのテーブル席では早くも落としたらしいどこぞのOLちゃん達が俺に向かってガンを飛ばして来た。


 たぶん、


「お前が彼氏かよ!」


 とか、そういう感じのやつだ。あからさまに「有り得なくない?」と言ってくるヤツもいる。いや、君達普通に失礼だろそれは。

 すまんね、姉ちゃん達、違うから安心してくれ。


「悪かったな、遅くなって」

「いや? 想定内。むしろちょっと早いくらいだよ。勝手に飲んでたから気にしないで」

「そのようだな。大将、生1つ。あと砂肝とネギま、あと……つくね。つくねだけたれで」


 着席と共に焼き場の大将にそう言うと、少々不愛想なその大将はちゃんと聞いてるんだか聞いてないんだか「あーはいはい」とうざったそうに返事をした。いや、これでもちゃんとオーダーは通っているのである。この大将の態度に腹を立てて注文をキャンセルし、店を出て行くヤツも一定数いるらしい。まったくもったいない話だ。きっと大将はあれだ、わざとやってんだ。これ以上繁盛しまくったら手が回らなくなるから。そうだ、きっとそうだ。

 ちゃんと注文が通っている証拠に、ほら、キンキンに冷えたジョッキが運ばれて来た。

 それを運んで来たのは、ここの息子さんで、こいつもこいつでまたあまり愛想がない。親父にそっくりの不愛想振りである。ここまで来るともう天晴あっぱれだ。嫁さんも不愛想なら完璧だな、と言いたいところだが、これがまた良く笑う可愛らしい奥さんなのだ。


 けれども俺はそれで良いと思っている。

 俺は何も店員の愛想笑いを見に来たわけじゃないんだ。冷えたビールと絶品の串焼きが食えりゃ愛想なんかなくたって構わない。そう思えないヤツはただ活気があるだけのチェーン店にでも行きゃあ良いし、きれいなお姉ちゃんのいる店だってある。たぶん伏見もそう思ってるだろう。


「で? 何、相談って」

「いきなりだな。まずちょっと飲ませろって。俺走って来たから喉カラカラなんだよ」

「走って来たの? 何、それもトレーニングの一環?」

「んなわけないだろ! お前を待たせてると思って急いだんだよ!」


 いや、若干頭の中で「これもトレーニングだな」とは思ったけど。


「そうなんだ。……別に良いのに、来なけりゃ来ないで」

「うん? 何かいまぼそっと聞こえたぞ?」

「何でもないよ。とりあえず落ち着いたら話してよ。大槻君のペースで良いからさ」


 そう言って、伏見は大将に向かって「すみません、生もう1つ」と空のグラスをあげた。大将はちらりとそれを見てから「あいよ」と返し、腕を伸ばしてそのジョッキを回収した。何だ、俺の時よりちょっと態度が柔らかくないか? 大将もやっぱり女にゃ弱いのかよ。ていうか、コイツだぞ? そりゃ美人は美人かもだが。


「いや、その……、俺のアパートのさ」

「うん」

「近くに、ほら、花屋が……あるじゃん?」

「じゃん? って言われても知らないよ。そもそも大槻君のアパートがどこにあるのかなんて知らないし」

「駅裏だよ、東口から出て、デカい道路まっすぐ行ってさ、24ニーヨンマートのすぐ近く」

「ふぅーん。で? その花屋さんが? ていうか大槻君、花を愛でる趣味があったんだね。それがまず驚きだよ」

「うるせぇ! 人並みに花くらい愛でるわ! 俺をゴリラか何かだと思ってんだろ、伏見!」

「いや、意外だなぁって思っただけ。ちゃんと人類にはカウントしてるって。それで? 続きは?」


 疲れた身体と空っぽの胃にビールがしゅわしゅわとしみていく。一応酒には強いつもりだったんだが、こいつと出会ってその認識を改めざるを得なくなった。とにかく今日は脱衣するわけにはいかない。あれだけ釘を刺されたからな。それにここは個室でもないし、たぶん、後ろの姉ちゃん達がここぞとばかりに通報するだろう。


「その……先々月、一課でひとり定年退職者が出てな」

「あぁ、篠田係長だね。ご苦労様でした」

「ほんとにな。営業一筋で定年までって、なかなか出来ることじゃないと思うぜ、このご時勢。本社の総務の方からも声がかかってたらしいのに、蹴ってまで残ったんだからな」

「筋金入りだ。見習いたいもんだよ、ほんと」

「いやまったく。……って、そうじゃなくて。それで、だ。真田さなだが係長のために、退職日に合わせて花を注文してくれてな。俺の通勤ルートだからってことで、朝、それを受け取ってから出社することになったんだ」

「へぇ……」


 おい、何で早くも面倒くさそうな顔してんだ。伏見! 貴様!!



 その日、正直俺は憂鬱だった。

 いや、誤解しないでもらいたいのは、大先輩にあたる篠田係長を送る気持ちがないとかそういうことではない。

 ただもう純粋に恥ずかしかったんだ。

 俺みたいな大男が朝っぱらから花束を持って会社に行く、ということが。


 確かに、その花屋――フローリストMISAKIは俺の通勤ルート上にあったし、ネットの評判だけで注文したらしく、真田の住むアパートからはかなり遠かったから、注文したという責任だけでそこまで取りに行け、というのも酷な話だ。こういうのは近くに住む人間が行った方がどう考えたって効率が良い。

 それに俺はあの満員電車というのがどうにも苦手で――単に窮屈で暑苦しいというのもあるし、最近じゃ痴漢の冤罪も恐ろしい――トレーニングも兼ねて徒歩や自転車で通勤しているということもあり、そういった意味でも好都合だったのだ。考えてもみろ、あの地獄のような満員電車の中で花束だぞ? 絶対潰れちまう。


 そんなこんなで安請け合いしたわけだが、前日の夜辺りになってそれが結構恥ずかしいことだとやっと気が付いた。けれどまさかやっぱり恥ずかしいから代わってくれ、なんて言えるはずもない。


 そんなわけで俺はいつもより30分ほど早く家を出た。

 ネットで調べてみると、そこの花屋は一体どういう層に需要があるのか知らないが、なんと朝の7時から開いているらしい。花屋ってみんなそういうものなんだろうか。いままでまったく馴染みがなかったのでさっぱりわからない。

 けれどもとにかく、俺が6時50分に到着した時には、開店準備っつーのかな、若い女の店員が店の前を箒で掃いてたんだ。


「ふんふん。それで? あぁ、大将すみません、生もうひとつお願いします」

「伏見お前何か食いながら飲めよ。大将、鶏むね、塩とたれ2本ずつと、皮、塩で2本、それからうずらとアスパラベーコン……食うよな? な? じゃこれも2本ずつで」

「ありがと。ええと、それで? 花屋の店員さんがお店の前を掃いてて?」


 そうそう、それで、だ。

 彼女は俺に気付くと、「もしかして御注文の?」と聞いて来た。そういや何て名前で注文したんだろうって思ってさ。まさか俺の名前なわけもないし。だからとりあえず正直に言ったわけよ。


「あの、予約したのは別の者で――真田陽子っていうんですけど、その、なんて名前で注文したかわからなくて……、その、退職者への贈り物で」

「ああ、はい、承ってます。あけぼの文具堂様ですよね? 今日この時間にお受け取りに見えるのお客様だけでして。どうぞ、中へ」


 時刻はまだ7時前。開店時間じゃないんだけどな。数分くらいは良いんだろう。それともさっさと渡してしまいたかったのかな、それはわからんが、とにかく、ミッションはクリアした。領収書も切ってもらったしな。


 さて、ここまで来たらもう恥ずかしいもクソもあるか! と胸を張り、花束の入った紙袋を持って店を出ようとした時だった。


「お客様!」


 ってさっきの店員が声をかけてくるわけ。

 何だ、忘れ物か? って振り返ったらさ、その彼女が何かデカいビニールをばさばさしながらこっち来るわけ。


「これ! これ忘れてました!」


 って。

 何だ、忘れてたのは俺じゃなくてそっちか、なんて思いながら立ち止まると、その店員――岬という名札がついてた。どうやらこの店のMISAKIというのは名前じゃなくて苗字の方らしい――はそのやたらとデカいビニールを紙袋に被せてくれたんだ。雨の日なんかに被せてくれるだろ、あれだよ、あれ。透明じゃなくて、ちょっとグレーっぽくてな。紙袋もシンプルな水色のヤツ。もしかして俺みたいに花束持ち歩くのが恥ずかしいヤツのために準備してんのかね、わからんけど。


 とまぁ、そんなわけで、とりあえず恥ずかしさはかなり軽減されたわけだ。

 ――え? 0じゃなくて軽減なのかって?

 いやだって俺は中身を知ってるからな、そりゃやっぱり恥ずかしいさ。


「そんなわけでな」

「うん。……うん? それで? まさかそれで終わりじゃないよね?」

「いや、この話はここで終わり」

「えぇ。それじゃただ大槻君が恥ずかしいのを我慢して『はじめてのおつかい』頑張りましたってだけじゃない。何でそんな話聞かせられなきゃなんないんだよ」


 伏見はぶうぶうと口を尖らせてうずら串を食べている。

 

「いや、この話はここで終わるが、もちろん続きはある」

「あるの? だったら早くしてよ」

「お前、俺に冷たくないか?」

「そんなことないよ、たぶん」

「たぶんかよ!」


 

 などと軽く突っ込みを入れる。

 そりゃそうだろ、これだけで終わるわけがないんだ。


 さっきも言ったけど、その花屋は俺の通勤ルートにあるんだ。

 それにほら、季節も季節だしな、雪が降りゃ自転車は危ないから、ここ最近はずっと徒歩で通勤してた。するとさ、いままで気にも留めてなかったんだが、何となく――ほんと何の気なしにその花屋をちらりと覗くようになった。いや、もちろん中に入ったりはしないぞ。用なんかないんだから。だけど、ああ、儲かってんなぁ、とか、そういう感じっつーか。立ち止まったりはしないけど、通りすぎる時にさらっと見るっていうか。朝っぱらから結構お客がいんのよ、そこ。まぁ確かにあの時注文した真田も「すごく人気のあるお店なんです」なんて言ってたしな。しかしそんな朝早くに花なんて買ってどうすんのかねぇ。まぁそれは良いんだけど。


 そこの店員、まぁ俺が見るのは通勤時だけなんだが、毎朝いるんだよ。そこんちの娘さんなのかね。店名がMISAKIで岬って名札付けてんだからそりゃそうなんだろうな。だったらむしろ名札なんかいらねぇと思うんだけど。

 ああ、だからそういうのは良いんだった。

 えーっと、だから、まぁ、何だ。その――……、



「つまり、大槻君がその子のことを好きになったってことで良いかい?」


 ため息まじりにそう尋ねられ、「んな……っ!!」と思わず腰が浮く。


「ちょっと、あんまり大きな声出さないでよ、恥ずかしいなぁ。ほら、座って座って。……で? つまりはそういうことなんでしょ? 導入が長すぎだよ、大槻君。そんなんじゃお客様に逃げられるぞ」

「ううううるさい!」


 でもまぁ、その通りだ。

 俺は彼女――みさき夏果なつかさんにどうやら恋をしてしまったらしい。



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