♤3♤ 大槻隆、一歩前進する!

「へぇ。名前は聞いたんだ」

「おう。その一週間後くらいだったかな。お客さんの見送りだかで外にいたんだ。それで、こないだの花束はどうだったか、みたいなことを聞かれて、ちょっと立ち話をして――」


 普段花なんか愛でないような篠田係長だったが、その場の雰囲気もあったんだろうか、ちょっと涙ぐんで言ったんだ「とてもきれいな花ですね」って。自分は花なんか正直チューリップやヒマワリくらいしかわからないけど、とてもきれいだ、って。だからそのまま伝えた。

 すると夏果さんは、ぱぁっと明るい表情で嬉しそうに笑うんだよ。あれは私がアレンジしたんですよって。その感じからして、その時はまだ見習いだったのか、もしかしたらあまりそういうのは任せてもらえていなかったのかもしれない。真っ赤な手を顔の間で擦り合わせながら、笑うんだ。その日は割と暖かかったんだけどな、やっぱり花屋って冷たい水を使うみたいでさ。だけどまさか手を握ったりすれば大変なことになるだろうし。そりゃ俺にだって理性くらいあるからな? おい、何だよその目! おい伏見! お前やっぱり俺のことゴリラだと思ってるだろ!


「だから俺は一応言ったんだ。寒いからもう中に入ってくださいって。だけど、この後も外仕事あるんで、なんて言って、腕まで捲ってさ」

「うわお。すごいなぁ、花屋さん。外でも仕事あるんだ」

「いや、俺も驚きよ。何か店の前に出してる切り花を補充したり、傷んでるのを廃棄したり値引したりの選別作業ってのがあるらしい」

「へぇ。中でやれば良いのに」

「そう思うだろ? でもそれは外でやらんといけないらしい。客引きも兼ねて、ってのと、あんまり暖かいところに置くと花が咲ききっちまうんだと」

「へぇ、そうなんだ」

「まぁ、それで、だ。俺はさ、見たんだ」

「何が」

「彼女の腕、だよ」

「何か嫌な予感がするなぁ」


 そう、俺は見たんだ。

 切り花と水の入ったバケツをよいしょ、と持ち上げる彼女の腕を。


「何? ムキムキだったの?」

「いや? 逆」

「あぁ……成る程。それはそれでご愁傷様だ」


 わけのわからないことを言い、伏見は頭を抱えた。


「何がご愁傷様なんだよ」

「だってそのナントカさん」

夏果なつかさんだ。夏の果実と書いて、夏果さん」

「はいはい、夏果さんね。その夏果さん、これから大槻君のプロテインの餌食になるってことでしょ? 可哀想に」

「しねぇよ、さすがに!」


 さすがに俺だってそこは自粛する。それはもっと距離を縮めてからだ。


「いや、ただ、ちょっと驚いたのがさ、花屋って意外と力仕事だったっていうか。伏見もさ、花屋って何か可愛いだけのイメージなかったか? 常に花に囲まれて、良い匂いがして~みたいな」

「あぁ、それはあるかも。でも華やかな業界もさ、裏では結構力仕事だったりするからね」

「それそれ。花が入ってるダンボールなんかもさ、女性が持つには結構な重さだったりな? デカい鉢植えなんかもあるし」

「それじゃきっといつか大槻君好みに筋肉ついていくって。気長に待ちなよ」

「いや、それもそうなんだけどな」


 彼女、夏果さんはこう言ったのだ。


「あの、もし腕の筋肉がついたら、腰に負担かけずにこのバケツとか持てるでしょうか」って。


「うわぁ、まさか自ら飛び込んでくるなんて。全く命知らずな女性だね」

「何言ってるんだ?」

「大槻君に『筋肉』なんて言葉ぶつけたら偉いことになるんだから。その日遅刻しなかった? お店にも迷惑かけてない?」

「失礼なヤツだな、お前。俺だってちゃんとその辺はわきまえてるに決まってるだろ」

「だったらこっちに対してもわきまえてよ」

「ふん、聞こえんな」


 そう、とにかくだ。

 夏果さんは俺にそう聞いてきたんだ。

 どうやら働き始めてから重いものを運ぶことが多すぎて腰を痛めたらしい。けれどそのせいで仕事を休んだり、辞めたりもしたくない、と。


 そりゃある程度なら腕の筋肉だけでカバー出来るだろう。いくら重いといったって20kgも30kgもあるわけじゃないだろうし。

 しかし、腕の筋肉だけでどうこうしようという考えも危険だ。 


 だから、腕の筋肉だけじゃなくて、もっと満遍なく鍛えた方が良いって言ったんだ。


「まぁ、そこだけに関しては同意するよ。この仕事も結構力仕事だし、多少は自分の筋肉に感謝してる部分はあるっていうか、陸上やってて良かったと思うことは――」

「だろ? だーかーら、俺はいつも言うんだ。な? お前のためなんだよ、伏見」

「あーはいはい、ストップ。それでもコッチはまだ軽い物が多いから。大槻君トコみたいに什器じゃないからさ、そこまでの筋肉は本当にいらないんだよ」

「何でだよ! お前、食う割にっせぇんだよ! もう少し厚み増やそうぜ!」

「良いんだよ、このままで。あんまり体重が増えると瞬発力がなくなるから。そんなことより。それで? 続きは?」

「お、おう。そうだったな」


 

 そんな話をしたのが先月のことなんだ。

 夏果さんは、「成る程! わかりました!」なんて快活な笑顔を見せてから俺に深々と頭を下げ、「ぜひまたいらして下さい。世間話だけでも」なんて言って、そのバケツを持って店の裏に行っちまった。

 まぁ、世間話だけでも、なんて言われて本当に話をするためだけに行くわけにもいかないだろ? かといって、退職者もいないのに花を買って出勤するわけにもいかない。何せ彼女がいるのは朝だけなんだ。帰りにちらっと見てみたんだが、夜番っつーのかな、その時間帯は老夫婦しかいないのよ。まぁあんな早くから開いてるわけだから、そんな時間まで働いてたら労働基準法に引っかかるわな。


 どうにか彼女ともっと話が出来ないか。

 だけど、仕事を邪魔したいわけでもないんだ。どうしたら良いんだ、と悶々と過ごすこと一ヶ月。


「……いまに至る」

「成る程。それじゃ結局何も動いてないんだね」

「まぁ、そうなる。あぁ、でも」

「でも? 何? ――あ、すみません大将、生お願いします」

「お前、相変わらずペース落ちないな」

「いや、ここのビール美味しいんだよね。何でだろ」

「知らん。いや、それで、だな。その――3日くらい前なんだけど、またちょっと見たんだ」

「何が。え? 何か怖いなぁ。犯罪じゃない? 大丈夫?」

「大丈夫に決まってるだろ! 伏見お前俺を何だと思ってるんだ!」

「ごめんごめん。で? 何が見えたの」

「彼女の腕だよ」


 ガラス越しだったけどな。腕まくりをして、何かでっけぇ花にラッピングしてたんだ。鉢に入ってるやつな。何て名前なんだろう。百合とかじゃないと思うんだよ。ほら、あの、でっかいスズランみたいなやつ。ぶわって垂れ下がった花のやつだよ。わかるだろ、伏見!


「こ、胡蝶蘭……かなぁ? ごめん、自分も正直花についてはよくわからないや」

「じゃ、それだ、そのってやつだきっと。とにかくそれを何か透明なやつでラッピングしてたんだ。その腕にな、うっすらと――」

「うっすらと?」

「筋肉だよ! 夏果さん、鍛えたんだよ!」

「へぇ……」

「わかるか、この感動が!」

「ごめん、わからない」

「わかれ! 畜生!」


 とにもかくにも、だ。

 もしかしたら鍛えたのではなく、ただ単に働いている中で筋肉がついただけなのかもしれない。だけど、俺は嬉しかった。それによって彼女がその仕事を楽しんで続けられると思ったからだ。


「だから、俺も彼女に歩み寄ろうと思ったんだ」

「てことはこれからバリバリのプロテイン営業をかけるってこと……? 悪いことは言わないから、それは止めた方が良いよ」

「そんなこと一言も言ってねぇだろ!」

「じゃあ何さ。そろそろ向こうと混ざりたいから早くしてよ」


 そう言って伏見は後ろのテーブル席を指差した。

 あの小憎たらしいOLの姉ちゃん達が、後ろを振り向いた伏見を見て、きゃあ、と声を上げる。違う違う、君達じゃないから。そのさらに奥の方な。そこに、伏見のホームともいうべき二課の面々が――こちらに気付き、ぺこりと頭を下げて来る。


 えーっとアイツは片岡だろ。アイツもまずまずの身体をしている。が、しかしあれは俗にいう『細マッチョ』ってやつだ。駄目だ駄目だ、そんな女ウケだけを狙ったような筋肉は。そんで、その隣にいる小動物みたいなのは小橋だな。まぁアイツは仕方ない。体質っていうのもある。残念だが、俺のような筋肉は万人に微笑むわけではないのだ。ただもちろん生きる上で必要最低限の、ということであればいつでも相談に乗るぞ。

 それと、あの可愛らしいのは瀬川っつったか。でもアイツああ見えてこと営業となると人が変わるからな。ウチの新人を同行させてみたんだが、いやー、かなりショック受けてたなぁ。……と、あっ! ちょっと前までウチにいた川崎もいるじゃねぇか! 俺が誘うと絶対断る癖に! 畜生、アイツ二課の牧田と仲良かったのか。明日覚えてろよ。お前のコーヒーにプロテイン混ぜてやるからな!


 多少の苛立ちを押さえつつ、焼き場の大将へ視線を向ける。


「大将、生ひとつ」

「あ、大将すみません、ふたつにしてください」

「もう飲んだのかよ!」

「良いじゃないか。それで? どう歩み寄るの?」

「それをお前に相談したいんだよ」

「はぁ? ちょっと待ってよ、ここから本題? 大槻君、君、普段どんな営業してんの? これ、お客様だったらとっくに帰ってるか本社にクレーム入ってるよ?」

「さすがに仕事の時はもっと端的に話すに決まってるだろ!」

「そうかなぁ、どうかなぁ。それで? 夏果さんともっと共通の話題で仲良くなりたいってこと?」

「まぁ……そういうことだ。彼女だって筋肉こっち側に来てくれたんだ。意識的にかはわからんが。だったら、俺だって彼女の分野に多少なりとも……」

「ふむ」


 そう言うと、伏見はまるで1杯めでもあるかのように、実に美味そうにビールを呷った。そして、焼き場の煙を目で追いつつ、「だったらさぁ」と言った。


「そのお店で、何か種でも買って育ててみたら?」

「育てる?」

「そ。切り花でも良いけど、すぐ萎れちゃうじゃん。だったら、何か種を買ってさ、その上手な育て方とか聞いたら良いじゃん。芽が出たとか、元気がないとか、そういうのだったらお店に行く口実にもなるんじゃない?」

「な、成る程! さすが伏見!!」

「はい、そんじゃこの話はお終いで良いかな? じゃ、向こうに行くね」


 と言うや否や、伏見は自分のジョッキと鞄を持って立ち上がった。


 ――が、ちょっと待て。


「ちょっと、何。急に掴んだら危ないじゃん。ジョッキ落としたらどうするんだよ」

「そう思って鞄持ってる方掴んだだろ」

「それはそうだけどさ。感心しないなぁ、レディの腕を断りもなしに掴むなんて」

「けっ、お前のどこがレディだ」

「うるさいな。生物学的には条件を満たしてるんだよ、これでも」


 まったく口の減らねぇやつだ。さすがはやり手の営業マン。いや、ウーマンか。


「何こっそり伝票まで持ってんだよ」

「あ、バレた? いや、さすがに大槻君の倍は飲んでるからさ」

「俺が誘ったんだから俺が出すに決まってんだろ。恥かかせんじゃねぇ」


 そのためのクーポンだろうが。


「ふん、どっちが誘ったとか別にどうでも良いんだけどな。だったら大槻君もあっちで飲もうよ。ほら、川崎君もいるから寂しくないでしょ。3年前だっけ? 一課にいたの」

「何だよ、寂しいって」

「いや、二課しかいないからアウェー感あるかなって」

「はっ、川崎がいなくたってお前がいるからな、全然アウェーじゃねぇわ」

「えぇ? ちょっと止めてよ、気持ち悪いなぁ」

「安心しろ、俺の心はいま夏果さんに向いている」

「それを聞いて安心したよ。じゃ、行こうか。大将すみません、席、あっちに移動して良いですか?」


 そう、夏果さんに向いているんだ。


 まぁ実は、そのちょっと前まではお前だったんだけど。


 でもそれは墓場まで持っていくことにするさ。

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