◇2◇ 片岡君は奢られたくない。

 会社から徒歩5分のイタリアンキッチンである。


 正直こういうおしゃれな空間は苦手なんだけど、片岡君が指定したのだから仕方がない。なぜか店は片岡君がいつも決めてしまうのだ。


 もう少し歩けばしょうが焼きが美味しい定食屋もあるんだけど、片岡君からすれば、自分達のような若者が昼休みに入るようなところではないのかもしれない――なんて言ったら、あそこのおばちゃん怒るんだろうなぁ。


 片岡君は熟考の末、きのこたっぷりのカルボナーラを頼んだ。視線はずっとトマト系に注がれていたが、よりによって今日のシャツは真っ白なのだ。だったらなぜイタリアンをチョイスしたのか、せめてピザじゃ駄目だったのか、という部分はさておいて、カルボナーラならまだ万が一の場合でも目立たないだろう、ということらしい。


 パスタも嫌いじゃないけど、正直どうにも足りない。出来れば白米が食べたいのだ。

 せめてもと照り焼きチキンがどどんと乗っかった和風パスタにする。せっかく片岡君が泣く泣くトマトを諦めたのだ、上司がこれ見よがしにチーズハンバーグの乗ったミートソースを頼むわけにはいかないだろう。


 しかし、イタリアンキッチンなのに和風パスタもあるなんて。すごいな、昨今のイタリアン。


 そんなことを思いつつメニューを端に避け、片岡君から手渡された資料に目を通す。


「うん、今回も内容は問題ないよ。レイアウトも工夫されているし、見易い。特にここのグラフが良いな。イメージが沸きやすいし、数字や文字ばっかりだとそれだけで面倒だって印象を持たれかねない。さすが片岡君、ばっちり」


 そう言って資料を手渡すと、やはり片岡君は手のひらサイズの手帳型電子メモパッドのディスプレイに専用のペンを走らせた。


 そこに書かれているのは、片岡君が書いた『ありがとうございました。』という一文。ただし、片岡君の字は少々癖があり、『り』が何となく『い』に読めなくもない。逆もまた然りである。

 だから片岡君の字の癖を知らない人が見れば『あがとうござました。』と読んでしまうかもしれない。いや、さすがに意味は汲めるだろうが。


 しかし、案ずることはない。


 片岡君が使用している電子メモパッドこそ、我があけぼの文具堂のヒット電子文具『PenペンTalkトーク』の最新機種『PenTalk 3.0』なのである。


 『PenTalk』というのは、手帳サイズの電子メモパッドであり、いまから10年ほど前に発売した『1.0』はただひたすら、付属のペンで書いたり消したり出来るだけだった。書いたものを内部に保存出来るのも1,000字程度を4件までである。

 それが『2.0』になって、この【フォント変換】機能が加えられた。平仮名で書いた文字を、明朝体かゴシック体のいずれかに変換することが出来るのである。さらにそこから【単語変換】をタップすることで漢字や片仮名、簡単な英単語などに変換することも出来る。それから、画面の明るさ調節や、メモリーカードによる外部保存機能なども追加された。

 この『2.0』を発売するにあたり『1.0』は廃番となったのだが、意外にも『ただ書いて消せるだけ』というシンプルさが年配の方からは受けが良く、熱いラブコールに応える形で『1.0』は『PenTalk Sシンプル』と名を変え、華麗なる復活を遂げた。

 が、一応、というのか、せめて明るさ調節とメモリーカード対応くらいは、と、それも追加されたが。


 さて、この『3.0』だが、では、どんな機能がプラスされたのかというと、【音読】である。明朝体もしくはゴシック体に変換した文章を読み上げることが可能となり、声は選べる4種類。男性声、女性声がそれぞれ2種類である。

 『PenTalk』シリーズは筆談によるコミュニケーションツールとしても大変好評を博しており、この【音読】もまたなかなかに評判が良い。開発部の新卒が「人気声優さんとコラボ出来ませんかねぇ」などとナイスなアイディアを出したらしく、数量限定の人気声優コラボモデル(男性声優ver・女性声優verの2種類、限定革カバー付き)はあっという間に完売した。当時のネットニュースにも取り上げられ、『3.0』の良い宣伝になったものである。


 ただ、この『PenTalk』シリーズにも短所はある。ワープロと同じく、変換するために一度平仮名で書かなくてはならない、という点である。

 しかし、いまはパソコンやスマホの普及により、『読めるけど書けない』漢字が多くなってきているため、むしろ都合が良いという面もあるのだそうだ。曖昧な漢字や、間違った漢字を書いて恥をかくことなく、これはそういう製品だからと、いっそ平仮名で誤魔化せる、ということらしい。

 けれど、だからといってそこに胡坐をかくわけにもいかない。企業というのは、いまあるものを研鑚することも大事だが、進化もし続けなくてはならないのである。そこで、現在は手書きの漢字にも対応出来る『PenTalk』も開発中とのこと。


 ただこの【フォント変換】だが、片岡君のような癖字には上手く対応出来ないことがあり、『2.0』については、読み取ってもらえるまで何度も書き直す必要がある。そこで、この『3.0』では何度か学習させることで読み取りの精度が上がっていくようになっているのだ。

 一応、何度か試させてもらったが、自分の字はわざと下手に書いても一発で読み取られてしまうため、いまいちイメージがわかない。けれど、お客様からの反応はすこぶる良好とのことである。ということは、上手く機能している、ということなのだろう。


 そしてこの『PenTalk 3.0』は使い始めて20日ほどらしく、もうすっかり片岡君色に染まっている。


「ねぇ、片岡君。せっかく向かい合ってるんだからさ、良い加減筆談じゃなくて会話しようよ」

『いえ、自分はこのままで大丈夫です。』

「いや、片岡君は大丈夫でもね……。何ていうか、やりづらいんだよなぁ」

『お気になさらず。』

「お気になるよ。さすがにさぁ」

『業務に影響はありません。』

「そうかなぁ? でも片岡君、午後からお客様のところ行くんじゃなかった?」

『問題ありません。午後はミギ⇔ヒダリ(株)さんですから』

「あぁ! そうだった! 是畑これはたさんか!」


 医療機器メーカー『ミギ⇔ヒダリ(株)』の営業部にいる是畑さんは、生まれつき聴覚に障害がある女性だ。前任は手話でやり取りをしていたのだが、昨年、その子が寿退社してしまい、それを引き継いだのが片岡君というわけである。片岡君、手話は目下勉強中らしい。

 是畑さんに限らず、お得意様の中には耳や発声などに障害のある方も少なくはない。そこで、この『PenTalkシリーズ』はそういった方とのコミュニケーションツールとして大変重宝している。なので、中西班に限らず、営業担当は全員この『PenTalk』が支給されているのだ。


 片岡君が使用しているところを見ると、どうやら自分が研修に行っている間にいよいよ『3.0』が支給されたらしい。総務に行って交換してもらえば良いのだが、自分は別に『2.0』でも不自由はないので、不具合が出るまでこのままで良いか、と思っている。



「まぁ、お客様に迷惑がかからないなら良いけど……」


 しかし、かれこれ2週間、何だかんだと昼食を一緒にとっているのに、片岡君は一言もしゃべらないのだ。お客様に迷惑はかけていないが、一番身近な上司が迷惑を被っている。まさにいま。ナウ。


 何だよ。

 毎日毎日そっちから誘って来るくせに。


 そう思わないでもないが。

 上司としての権力を振りかざし、「ちゃんと口でしゃべりなさい」と命令するのも違うと思うのだ。そもそも、その『ちゃんと』って何だ。

 きっと片岡君には片岡君の事情があるのだろう。それに課長も中西主任も何も言わないのである。ということは、その2人にはその何かしらの事情を話しているのかもしれない。課長はまだしも、あの中西主任が指摘しないわけだから。


 まぁ、お客様からクレームが来るわけでもないから、良いけどさ。



 食事を終え、2人分の会計をする。

 こういう場合はやはり上司が払うものだ。


 ――と思うのだが。


「――え? ちょ、何? 何?」


 店を出た後で無言で差し出される千円札。


「何? いらないよ。だからさ、こういう時は上司が払うに決まってるんだって」


 と返すと、やはり無言で『PenTalk 3.0』が差し出される。

 そこに表示されているのは、明朝体で変換されている『自分で食べた分は自分で払います。』という文章である。片岡君が明朝体表示にしている時は、黙って聞くのがベターだ。これはちょっと怒っているというサインなのだ。


 だからその千円を大人しく受け取り、ジャケットの胸ポケットに入れた。いちいち財布を出すのが面倒だからだ。


 これも毎日のこと。


 片岡君は断固として奢らせてくれないのである。

 一度だけたまたま会社に財布を忘れてきたとかで奢ることに成功したのだが、戻るなり、鬼のような顔でやはり千円札を渡されたのだ。


 そういえば片岡君は毎回きっちりと自分が食べた分の代金を払っている。釣り銭のやり取りなんてしたことがないし、そもそも釣り銭も出ないように渡して来る。というか、千円とか、ワンコイン、とか、そういうのがほとんどなのだ。

 もしかしてそこまで調べて用意しているのだろうか。

 あるいは、値段ありきでメニューを決めているとか?

 果たしてそこまでするだろうか、と考えたが、仕事も細部までこだわるタイプだし、下調べも入念に行う片岡君なのである。可能性は大いにある。


 それにまぁ、いちいち財布を取り出して「えーとお釣りがいくらで……」なんていうのは正直面倒だ。だから、そうなれば自分の性格上、面倒だから、というのを大義名分にして全額出してしまうだろう。もしかしたら、そういうところまで読んでいるのかもしれない。


 いや、普通そこまで気を遣うか?

 いくら片岡君でも。



 とはいえ、一応こっちにも上司としての面子ってのがあるんだけど。


 と、最初にそう反論したのだが、片岡君のその鬼のような顔が怖く、つい受け取ってしまったのである。

 で、次からは一か八かで全額払うものの、結局キャッシュバックされる、という、この流れが定着してしまったのだった。


 相手が片岡君だと、どうにも押しが弱くなってしまうようだ。

 

 調子狂うなぁ、まったく。

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