第29話 みやげ話(鎧狩)
かまどの中であかあかと燃える火を背に、祖父は小さな皿を見ていた。
「お義父さん、それは…」
×××の父の硬い声音に、祖父は目を伏せる。柱のそばで腹這いになり、馬の人形を走らせていた×××の視線は皿に吸い寄せられた。
「川下の甥が送って寄越したのだ。南のクニと物を交換するついでに酒もと、手土産にな」
人形を放り投げ、素焼きの土皿へ手を伸ばす×××に、祖父は皿を手渡す。小さな手にざらざらした感触が伝わる。色は赤くて、裏の高台に、薄い黒の染みが、みみずのようにのたくっている。
「おじじ、これ何?」
「『文字』だ」
×××は祖父の声が好きだった。深みのあるその声はなんでも知っている。
「『文字』は、言いたいことを木や石に刻みつけて、直接話さずともだれかに伝えることができる印だ」
薄黒い線は、甥の村の名を表していると祖父は言った。
「じゃあ、風の馬のおはなしも、太陽のカラスのおはなしも、『モジ』を書いたら誰でもわかるの?」
「そうだな。私がうたわずとも、わかる」
声を聞いてもいないのに伝えたいことが理解できる、×××は少し気味悪く思った。
「三日月の時には、近隣の若者を誘い砦に向かったらしい」
「城の者は…」
「熊皮と引き換えに米と布を与えて帰した」
父は苦々しく顔を歪めた。
「あのクニは、ただ物をよこして儀式をするだけではない。恐ろしい相手だ、それをあの人たちは…」
「忠告はしておるでな。それ以上は、お前がやきもきする必要はない」
父は強ばった顔つきで皿を見つめている。
「お前が逃げ込んでから、もう十年もたつだろう。あれらも関心を失くしていよう。どこの誰かもわかるまい」
「私はくわも槍も捨てた者です。見つかれば戻されます」
父は火傷痕の残る頬を撫でた。額から頬骨にかけて、盛り上がった肉が、顔の造形を変形させている。
とつぜん鋭い音が鳴った。
皿が×××の足元で割れている。×××は、高い音に驚き目を白黒させて固まっていた。
「すみません!×××、お祖父さんに謝ろう。」
「ご、ごめんなさい……」
「よい、よい。」
祖父は許した。
父は、×××に皿の欠片をあつめて捨てるように言いつけた。
皿は四方に割れていた。
薄黒の交差した線は、もう形を保っていなかった。
※墨書土器、土師器、730年代の黒川以北十群設置、逃亡農民、移民、饗応、朝貢、
時代設定:740年くらい
舞台:宮城県北部山間部河川流域のどこか
人物:続縄文・古墳複合的文化を持つ中規模首長、天平五柵、柵戸移民の娘婿、その孫
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