第3話 狩人 下(鎧狩)
雲はすっかり晴れていた。
月明りのおかげで獲物の痕跡を辿るのも苦労しない。
『ソレ』の足跡は、影の大きさに似合わず深く土を抉っていた。そして、片足だけ引きずったような跡。
坂の上で伊助が主人を待っている。
しばらく獣道を行くと、開けた場所に出る。小屋だ。薪が大量に積み上がっている。炭焼きだろうか。
足跡は、小屋の中へ消えていた。
戸口から石を投げ入れる。
物音はしない。
商人は背負っていた杖を下ろすと、先端に小刀を取り付けた。構えながら慎重に歩みを進める。
静かだ。
かすかな吐息だけが聞こえる。
暗がりに目を凝らすと、囲炉裏の前に塊が見えた。
軽くつついてみても反応せず、およそ体動というものが無い。
商人は詰めていた息を吐いた。
『ソレ』が逃げ込んだ小屋には、一組の死体が放棄されていた。恐らく夫婦。腹はぺこりとへこみ、太股や二の腕などの肉が削がれている。
床下の穴…貯蔵庫だろうか、深鉢の中に何かの殻が散らばっている。かまどには蜘蛛が巣を張っており、その上に掛けられた麻紐が、すきま風にあおられてくるくる回っている。
外に炭焼き小屋があった。戸を開けると、こもっていた空気が吹き出す。思わず手で口を押さえた。逆流する胃の酸を押し戻し、中を探る。
部屋の隅に莚が敷き詰められている。野菜くずや鳥の羽が散らばり放題で、椀と箸が転がっていた。
赤く伸びる角、歪に膨張した禿頭を覆う鱗状の皮膚、体格に不相応な肉体の重さ。
『ソレ』のような特徴を持つ人を、商人らは『鎧人』と呼んでいる。
彼らの皮膚は固く、肉を苛む。年数を経るごとに、奇異な見た目に変わっていく。
頭部が変化した鎧人は、他よりも凶暴であることが多い。分厚い骨が脳を締め付ける痛みによって我を失う、と商人は推察している。
きっと何かの拍子で夫婦を殺害してしまい、自力で食事を取れなくなった。空腹のあまり、手頃に腹を満たせる肉に手を伸ばしたに違いない。
どこにも行けず、馴染みの範囲で食べ物を探し。時には里に降りて民家を漁っていたのだろう。
商人は鎧人の元に戻ると、頭を垂れるように体勢を直した。分厚い剣を抜き、首に対して垂直に構える。ぴたりと狙いを定め、振り下ろした。刃は固い鱗をものともせず、骨と骨の隙間を割り開き、喉の管も柔い骨も裂く。
胴体から頭が切り離される。長年支えていた重みから解放された首から血が溢れた。
空の上で鳥がぐるぐる回っている。気の抜けるような鳴き声に、商人の口から大きな欠伸が漏れた。
「あんさぁ、もう帰ぇるんか」
「あらかた捌けましたからね…」
村を出る際に、市で出会った村人が声をかけてきた。
眠たげに目を擦り、しょぼしょぼとまぶたを瞬かせる。陽気が毒だ。
「鬼は見れたか?」
「見たには見ましたけど、鬼じゃないですね。小柄な猪が畑を荒らしていただけでした」
「ほうかい」
村人がこれ見よがしに鼻を摘まむ。
「…『くすり』を売るんだば、ちゃんと下拵えせねば買い手はつかねぇど」
商人はすんと空気を嗅いでみたが、それほど不快には感じられなかった。だが、文句を言いたくなる気持ちも分かる。いくら臓腑や脂を削ぎ落としても、こうも風が無くては淀んだ臭気が漏れてくる。
「山でいい材料を見つけたので…」
商人は村人に会釈し、籠を背負い直し村を出た。後ろをついて歩く伊助をちらりと見やる。
可哀想なほど、鼻に皺が寄っていた。
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