第60話「我が亡き後に洪水よ来たれ」
シュリーフェン帝国がパーシュミリア連邦を武力併合した≪パーシュミリア紛争≫。
そして、ニルドリッヒ共和国が同じくシュリーフェン帝国に侵略された≪ニルドリッヒ紛争≫。
今や一つの連邦と一つの共和国はそれぞれ、別の名前で呼ばれ、思想の異なる者たちによって統治されている。
≪パーシュミリア連邦≫は連邦制を解体され、≪パース国家弁務官区≫が設立され、土地は帝国貴族たちに分け与えられた。
抵抗運動の下地となるはずだった連邦軍はその壊滅的被害から立ち直ることができず、その支配基盤は盤石となりつつある。
新たに国家弁務官に就任したのは、ベルザリア家の分家である、ヴェルテンベルク家の当主、金髪碧眼の獣、〝マンフレート・フォン・ヴュルテンベルク〟。
彼の苛烈な性格が、パーシュミリア人たちを抑圧し弾圧することは目に見えている。
それでもヴェルテンベルクを国家弁務官に任命したのは、占領地からの収奪を焦る帝国という一面があったからだ。
旧態依然とした帝国の体制は効率的とは言えず、そのためにはまず先立つものがなければならない。
―――我らは侵略者ではない。あなたがたの友人としてここにやって来た。
一方で、≪ニーダーライヒ≫総督就任式典でそう宣言し、冷笑で迎えられたのは〝パウル・フォン・ネーデルラント〟であった。
≪ニルドリッヒ共和国≫あらため≪帝国領ニーダーライヒ≫の総督として就任した彼でさえ、ニーダーライヒの復興は前途多難である。
パーシュミリアと違って≪ニルドリッヒ共和国≫は軍残党が各地に潜伏している上に、市民の中には予備役資格を持つものが大勢いた。
予備役資格を持つ市民は、いわゆる民間人といえども、銃の扱いと軍事訓練を受けた準兵士だ。
市井にそうした火種を持っている上で、国土内に正規軍残党という強大な抵抗勢力を抱え込んだ≪帝国領ニーダーライヒ≫では、連日のようにゲリラ活動があちこちで起こっている。
公共交通機関へのサボタージュのみならず、民間企業の中にはストライキに打って出てあからさまに抵抗する者さえいた。
そうした抵抗運動、抵抗勢力、それらは≪レジスタンス≫と呼ばれていたが、彼ら彼女らの希望は外にある。
一つは、≪マリアネス連合≫へと逃れた共和国軍が政府中枢を掌握し、戦時軍事政権を確立させたフランシス・シュヴァルツ少将率いる≪自由ニルドリッヒ軍≫。
そしてもう一つは、空の上にあった。
――――――
フランシス・シュヴァルツ少将による共和国議会権力の凍結と、戦時軍事政権≪自由ニルドリッヒ軍≫の樹立の翌日にその宣言はなされた。
マリアネスの大地のどこにもその勢力は存在せず、その電波は人々の空の遥か上から届けられたものであり、その宣言は民主主義政治の代弁者を名乗った。
設立者はニルドリッヒ宇宙軍第三艦隊司令官、ニルス=オーラヴ・フスベルタ代将であり、彼は、
〝軍事政権の樹立は、民主主義に対する冒涜である〟
と≪正統共和国≫の名乗りを上げた。
それは戦略的に考えれば内輪もめと言っても過言ではなく、実際に第三艦隊旗艦である練習巡洋艦≪カンタベリー≫の搭載AIのエドワルダや何名かの艦長は苦言を呈した。
しかしながら、共和国軍が本質的に民主主義の砦であり、民主主義の盾であり槍であるために、賛同者は多かった。
ニルドリッヒ共和国軍の軍人が入隊時に宣誓する〝忠誠宣誓〟は、憲法と憲法により定められた政府に忠誠を誓うものであって、軍に忠誠を誓うものではない。
軍はあくまで民主主義の下に行われた普通選挙により選ばれ、そして組織された政府により運営され、軍人はその政府に忠誠を誓うのだ。
自ら政府の権力を凍結し、祖国奪回を名目に掲げて軍事政権を樹立するというのは、ニルス=オーラヴ・フスベルタにとって許しがたい裏切り、蛮行として映ったのだった。
「だからと言って、あそこまで敵対的な言葉選びをする必要はなかったと思いますよ?」
練習巡洋艦≪カンタベリー≫の艦隊司令室で口元に笑みを浮かべつつ、そういうのは補助AIエドワルダだった。
そのホログラムの視線の先には不機嫌そうに口をすぼめながら、淹れたばかりのインスタントの紅茶を飲むフスベルタの姿がある。
名実ともに第三艦隊司令官かつ代将となっただけでなく、今や彼は〝正統共和国〟の軍務長であると同時に‶提督〟だった。
「君はあと何回そのことを蒸し返すつもりなんだい、エドワルダ。僕だって反省してる。現に僕ら≪正統共和国≫と≪自由ニルドリッヒ軍≫は同一陣営で協力してるじゃないか」
「それはシュヴァルツ少将の人心掌握能力が高く、反対する部下や将軍たちを説得できたからでしょうね。とはいえ、共和国における民主主義の灯という点において、あの宣言の意味はあったと私は思っていますよ」
「……≪マリアネス連合≫だって一枚岩じゃない。第一、歴史を紐解けばいかに僕ら〝民主主義陣営〟がシュリーフェン帝国の〝権威主義体制〟を危険視していたか分かる。その点において権力を自らに集中させやすい軍事政権は、それ自体が独裁というイメージに直結しやすい。だから僕らは、いまだにニルドリッヒ共和国の民主主義が生きていることを示さなきゃならないんだ」
「同じ軍人が二つの異なる亡命政府を打ち立てる構図は、なかなか興味深いものです」
「エドワルダ、あくまで僕ら≪正統共和国≫は、共和国暫定議会を仰ぐ文民統制の亡命政府だよ。そこがシュヴァルツ少将と違うところだ」
「それがあなたの、そしてあなた方の〝拘り〟ですね」
「こいつは〝拘り〟なんかじゃない。イデオロギーの問題だよ」
「私には〝拘り〟に見えますけどね」
口元を抑えてエドワルダが笑うのを見ながら、フスベルタは肩を竦めてインスタントの紅茶を啜った。
―――
地上においては、必要に迫られて複数の勢力がシュリーフェン帝国と対峙している。
二か月ごとに紛争調停監視機構のドミニオン級二等戦艦≪カストラ・ウェテラ≫が、停戦協定更新協議を行い、それによって認可された場合には停戦が終了するという流れだった。
そうして二か月、四か月、六か月と停戦期間が過ぎていった。
≪マリアネス連合≫の緊急会合においてはサンベルナール共和国を筆頭に、帝国強硬派がロビー活動を展開し、停戦後三か月後には対帝国戦争への参加が共同声明として発表された。
これによって≪マリアネス連合≫加盟国の八割を占める二四ヵ国が≪シュリーフェン帝国≫との戦争に参戦することが決定した。
また、この会合において≪マリアネス連合≫のオブザーバーとして、ニルドリッヒ共和国の文民亡命政府たる≪正統共和国≫とパーシュミリア連邦の亡命政府たる≪自由連邦≫が会合の参加権を与えられた。
さらには≪正統共和国≫の地上軍事部門として≪自由ニルドリッヒ軍≫が制式に連合から認められ、同時に≪自由連邦≫もパーシュミリア連邦軍残党を集結させ、来るべき解放作戦に備えた。
各国が戦時体制に移行し動員が開始されるのを尻目に、八か月目に行われた停戦協定更新協議の結果は簡潔に惑星全土にもたらされた。
―――停戦期間延長の要を認めず、停戦協定の効力は今月末日、一二月三一日に失効し、翌一月一日より両陣営の戦争状態は再開される。
それは、この惑星が再び戦火により燃え上がることを意味していた。
この結果を受けて≪マリアネス連合≫は多国籍軍を編成し、≪自由ニルドリッヒ軍≫とサンベルナール陸軍参謀本部が協同して立案した対帝国反攻作戦を採択。
賛成多数により可決され、これによって多国籍軍は旧パーシュミリア連邦国境沿いに展開を始める。
対帝国反攻作戦、
その最前線には、ニルドリッヒ撤退戦にて活躍した
再編成がなされたパーシュミリア連邦軍唯一の装甲部隊である、アゲラン大隊が投入されていた……。
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