第53話『スナイパー』

 二脚歩行型自律支援兵器、シミュラクラの搭載火砲の中でも、一〇〇ミリを超えるものは少ない。

 炸薬量にものを言わせた対人火力、機関砲クラスとは比較にならない長射程と精度、そしてなにより大半の装甲目標を破壊する貫通力。

 だが、この武器にも勿論欠点は存在する。


 物干し竿のような長砲身のため使用可能な場所が限られると言うこと。

 移動しながらの使用にかなりの癖があるという点。

 なにも走行間射撃ができないわけではないが、発砲時の反動を制御するためにバランサーは一定以上の機動を受け付けなくなる。

 

 だから彼は―――ニルドリッヒ共和国陸軍所属、ニール・サイモン准尉は、そのメリットだけを生かせる戦術をいつも取り続けてきた。

 ドラーバーシートに収まっている彼がいつもそうするのだ。自分に合った戦術を、自分の出来る最高を、自分の出来る最良の戦術を。

 何時も、呆れるほどまっすぐに、嫉ましいほどまっすぐに、妥協を許すことなく、鍛え極めた自分だけの才能を。



「―――貫通させる」

 


 単独距離測定結果は五五〇〇〇メートル、だが土の降り注ぐ中での観測結果であることを留意。

 装填するのは装弾筒付翼安定徹甲弾APFSDSではなく、距離を鑑みて粘着榴弾HESH

 火器管制システムの設定と周辺の環境データのマッチングを確認、完了。

 

 戦術データリンク、オンライン。

 海軍陸戦隊のシミュラクラより敵目標との距離データを参照。

 ならびに各部隊のシミュラクラ、主力戦車よりデータ参照。



「…………」



 距離修正、四.八四五メートル。

 零点修正、五〇〇〇〇メートル。

 オートバランサー、長距離砲撃姿勢適応、適正射撃姿勢を―――。



「間に合わんな」 

 


 ニール・サイモンはそこから、オートバランサーに割り込みを入れる。

 強行出力、火器管制システムとのリンク切断、全力で加速。

 最大望遠ではブレが激しいため距離を調整し、敵の多脚砲台の動きを観察する。


 動きは最低限、ほとんど移動していない。

 長距離砲撃をするべき時に移動しないのは、単純に移動しながらの砲撃では偏差を修正する必要があるからだ。

 しかし、理由はそれだけではないだろうとニール・サイモンは確信する。


 シミュラクラを木っ端微塵に粉砕するほどの威力と、高い初速の砲弾。

 戦車の主砲をゆうに上回るほどの長砲身に、どっしりと重心を低くした体勢。

 奴は、そこまで機敏ではない。


 だからどうしたと、ニール・サイモンは笑みを浮かべる。

 障害物もなにもないこの平野で、まるでOK牧場の決闘のように遣り合うのか。

 なんだって自分は、どうして時折こうもバカなことしてしまうのか。


 それが良いんですよと、彼女なら笑うのだろう。

 ああ、きっと笑うに違いない。その笑顔を見るために、俺は戻ると言ったんじゃないか。

 では、やるべきことは心得ているだろうと、ニール・サイモンは乾いた唇を動かした。



「さあ、来い」



 無限に引き伸ばされたような時間の中、彼は発砲炎を目視する。

 瞬間、バランサーの介入を組み伏せて重心位置を後ろへずらし、前のめりになりそうになる機体を押さえつけながら急速反転。

 ドライバーシートがぎっちりと身体を締め付けていなければ、モニターに顔面を打ち付けていたかもしれないほどの衝撃。


 だが、次に訪れる衝撃は桁違いのものだ。

 頭部のメインカメラが閃光を感じると同時に、機体は地面に叩きつけられる。

 しばしの浮遊感の後、背骨が折れたような感覚と共に肺の空気が強制的に叩き出された。


 平衡感覚も痛覚さえもが消えて、彼は暗闇の中を転げ落ちるような錯覚に陥る。

 機体どころか、全身がどうなっているかさえも分からない。だが無感覚状態ではない。

 感覚器官と脳を繋ぐ神経がどこかでぶっつりと断線してしまったかのようだ。


 どちらも正常だと言うのに、配線が断たれているから、情報がやってこない。

 なにがおこった? と彼は思い、瞼を開けようとした。しかし、瞼を開けることは出来なかった。

 暗闇の中で痛みというシグナルが警報を発していたが、彼はすべきことを即座に実行した。


 メインカメラからサブカメラへの視覚情報切り替えと、破損した機能を代替手段へ移行。

 しかし、再び現れた視界は酷いものだった。機体各所に設けられたサブカメラの情報を統合して映し出される視界は、見事に歪んでいる。

 まるで痛飲した後のように酷い視界だ、と彼は笑う。


 一八〇ミリカノン砲、そのクラスの砲弾ならば空中炸裂機能があってもおかしくはない。

 複数の観測ドローンからの測定データを元にすれば、この降土がやまない中でも精確な距離が把握できるだろう。

 だからこそ、奴は空中炸裂弾を撃った、ただそれだけのことだ。



「……っ、ぅ」


 

 奴は、仕留め損ねたのだ。

 俺はこうして生きて、見て、感じることができる。

 血潮を感じ、痛みを感じ、愛する者への渇望を感じる。


 そうしてニール・サイモンは、―――シミュラクラは立ち上がる。

 俺は銃座だと、ニール・サイモンは思った。しかし、人間は銃座にしては不完全な銃座だと、同時に思った。

 人間の身体には関節を一定の角度で固定する機構など存在しないし、心臓の鼓動と身体の末端まで駆け巡る血流の所為で、完全な不動的存在になることができない。


 心臓が鼓動する度に血流が血管を膨らませ、必要不可欠な酸素を供給し続ける。

 その度に身体は微動を続け、脳は考えを巡らせ続け、必然的に悩みが生まれる。

 完璧な銃座は悩むことなどない。


 目的のために考えることもしない。

 敵が何であるかも考えず、時と場所も憚らずに装備した銃器を撃ちまくるだけだ。

 引き金を引き、反動を全身を使って受け止め、装填する。


 この場におけるただ一つの目標を、ただ一つの標的を、ただ一人の好敵手を見据えながら、彼は考えた。

 俺は銃座のように節操無しではない。

 では、俺は何なのだろうかと。

 


『俺は狙撃手スナイパーだ』



 狙撃という行為を構築する手順一つ一つが、俺と言う人間の在り方を示しているのだと。

 シミュラクラに乗っていても、それは決して、それだけは決して、断じて、変わることはない。

 引き金にサイモンは指先をそっと当てる。


 銃の引き金と違って、随分おもちゃめいた感触が返ってきたが、それは仕方がないことだ。

 今、俺はこの鋼鉄の巨馬がぶっ放す大砲に集中しなければならないのだと、彼は一〇五ミリ砲を遥か彼方へ向けた。

 人間どころか車にだって積めないサイズの巨砲を、眼前でのうのうと狩人を気取った敵にぶち込むのだ。


 お前は狩る側なんかじゃない、と彼は小さく呟いた。

 お前は狩られる側にいるのだ。

 それを今から、教えてやる。 



「……狩りの時間だ。相棒」



 至近弾によって傷ついたシミュラクラは、なにも言わず、ただ主の操縦のまま砲撃を実行した。

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