第44話『珈琲メーカーの行方』
カレル・ファンリーベックは生粋の商人であることを自負している。
というのも、古くは地球の欧州低地地方のオランダ東インド会社に勤めていた人物が祖先であり、そこから宇宙航海時代を経て現在に至るのである。
士官学校時代もちょっとした副業で儲けを出しすぎて、間一髪のところでなんとか私財の隠蔽に成功したこともある。
そんな男であるから、ファンリーベックにはある種の特殊な嗅覚があった。
商機を計る嗅覚だと本人は最近まで思っていたし、士官学校時代の怠惰な先輩であるフスベルタもまちがいなくそうだろうねと紅茶と本を両手に適当に頷いていた。
けれど、その実際は危機察知能力なのだとファンリーベックは駆逐艦の狭苦しい艦橋に立ちながら思っていた。
第六感という言い方もあるのだが、どうもそういう言い方は象徴的で神秘主義すぎる。
実利と利潤を尊ぶファンリーベック家の男子たるもの、ここはこの感覚を嗅覚であると主張しようと思ってから、もう十年近く経っていた。
その十年の思い込みを消し去ってしまうほどの違和感、嗅覚的に表現するなれば、きな臭さを、ファンリーベックは感じている。
作戦自体に不満があるわけではない。
むしろ乗り気だ。この作戦の最重要部分に自分が組み込まれたことを感謝している。
だが、それでもどうも匂うのだ。
なにが匂うのか、それすら分からない。
しかし、それでも任務は果たさなければならない。
ファンリーベックは観念したように溜息をついて、懸念を払いのけるように命令を発した。
「重力錨解除。微速前進」
「アイアイ・キャプテン」
「戦隊各艦へ、『ベガルタ戦隊』は我に続け。これより状況を開始する」
通信で戦隊旗下の艦から応答を得ながら、ファンリーベックはその面々を眺めた。
乗艦である駆逐艦《コンドル》は完全にマリアネスの星系内で運用する目的で作られた小型駆逐艦だ。
星系間を航行するための超光速航行能力は備えていないし、艦載AIもなく、大気圏突破能力や重力下での運用は考えられていない。
無骨な見た目だが、それはある種のスマートさにも繋がっていて、ファンリーベックはそれが気に入っている。
星系内機動力の確保の為に共和国軍艦艇にはよく見られる実体兵器中心設計で、主砲もすべてレールガンを採用している。
遠くにはいけないが、手の届く範囲であれば不可能なことはないと思える、非常に心強い軍艦の一つだ。
対して、帝国軍鹵獲艦は設計思想がそもそも違うのだと、その優美な船体を眺めながらファンリーベックは考える。
流線型に整形された船体には同じく流線型の形状に纏め上げられた兵器が積み込まれ、見た目ほど艦内スペースは広くはないと伺わせる。
しかし、そのような構造であるにも関わらず、帝国軍の駆逐艦クラスの船には超光速航行が可能な装備が積み込まれていた。
その代償に、艦内の重力制御や気密性が犠牲になっており、この駆逐艦の中で人間が過ごすにはなにかしらの装備が必要になるほどだ。
艦橋は辛うじて与圧されているが、生命維持に必要な最低限の空間を作り出すだけでしかなく、最低でも体温保持用に装備を着込む必要がある。
また、軍艦であるにも関わらず保安部署のようなものが存在せず、共和国軍駆逐艦にある設備が帝国軍駆逐艦には存在しない点も複数存在した。
居住性を犠牲に、性能を底上げしたというべきだろうか。
もちろん、それらに乗り込むことになった共和国宇宙軍の兵達からの評価は手酷いものだったが。
いくつか例をあげると「
共和国軍でも先の海戦から最低限の気密チェックと生命維持で妥協した艦艇がいくつかあるが、それがデフォルトだというのはとんでもないことだ。
そもそもの設計思想が違うというよりも、それ以上に軍艦に求めているものが違うのだろうかと思わざるを得ない。
それは駆逐艦よりも小型のコルベットにも現れていて、このコルベットは共和国軍駆逐艦と似た構成だが、対艦ミサイルに重点が置かれている。
攻撃偏重のようにも見えるが、総合的な性能だけを見るのならばたしかに優れている。
問題は運用要員の居住性に関しての妥協が、共和国軍基準だとありえないレベルで低く見積もられているということだ。
おそらくこれは国民性や国民精神というものを考慮してのことだろうが、この棺桶のような艦橋に詰め込まれるのは御免こうむりたいと思った。
ただでさえ駆逐艦の艦橋は棺桶みたいなものだというのにと、彼は艦橋をぐるっと見回した。
各部署を司る士官達、砲雷長や航海長などが勤めているが、広さは旧世紀の潜水艦の司令所のようなものだ。
ここより広い空間といえば厨房と食堂が一体化したスペースくらいなもので、それも戦闘時には外科処置室兼負傷者置き場になる。
「戦隊旗艦だけ共和国製なのにも納得だな。帝国製じゃ満足に仮眠もできやしない」
苦笑しながらファンリーベックが言うと、砲雷長がくつくつと笑いながら応じた。
「あっちじゃ今頃、珈琲も淹れられずに苦労してるでしょうな」
「そいつはどうかな。民生品持ち込んでなんとかしてる気もするぞ。帰ったら通路の珈琲メーカーが一つ無くなってたりするかもしれんな」
まあ、そいつが問題になるとしても戦後の話だろうなと呟けば、砲雷長は「数があいませんよ」と面白おかしく言った。
なんの数があわないのだかとファンリーベックが「ふむん」と腕を組むと、答え合わせと言わんばかりに砲雷長は告げた。
「艦長、なくなってた場合は一つじゃすみませんよ。うちの戦隊の該当艦は三隻ですから」
「そいつは確かに」
笑いを堪えていた航海長が腹を抱えて爆笑し始めると、もう止める者はいなかった。
駆逐艦《コンドル》の狭苦しい艦橋は、一瞬にしてうるさい男どもの笑い声で満たされた。
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