第33話『仮想演習空間』

 仮想現実で生きてきた僕は、それが現実と大差ないということをよく知っている。

 そして、シリンダーの中で生きてきた僕は、その空間においては現実以上の早さで生きることに慣れているらしい。


 

『九時方向、シミュラクラ五機追加』


「四〇ミリフルオート、精密並列射!」


 

 ドドドドンッ、と腹の底から四〇ミリの発砲音を感じながら、僕は横一列に並んだ敵機を一発のミスもなく破壊する。

 補助でS-175が狙いを付けてくれているというのもあり、咄嗟射撃でも十分な精度を確保できるようになったのは五十一回目のシミュレーションからだ。

 演算するための猶予が短い咄嗟射撃において、僕が焦ってとんちんかんな方向に狙いを定めると、S-175はトリガーの激発タイミングを狂わせないようになんとか試行錯誤しながら補正をきかせてくれたのだが、あまりにも僕がヘタクソすぎた為にそれが追いつかないことがあったのだ。


 狙いを付ける、という前段階があれば、僕がどれだめヘタクソでもS-175の補助でなんとかなっていたが、咄嗟射撃ではそれも限界がある。

 というわけで、僕はかれこれ百四十一回の模擬演習を重ね、六十二回の偽死を味わい、三十五回の判定誤射をやらかし、二十一人の民間人を誤って殺害し、一回の休憩時間を味わったところだった。



「さすがに、きっついよ……」



 空になった四〇ミリのマガジンを廃棄し、補給車から新しいマガジンを受け取りながら、僕は呟く。

 仮想現実での生活に慣れているからって、S-175の作戦データからシミュレーションを生成し、仮想現実内で訓練する。

 それを提案したのはハル少佐で、他三名のドライバーが賛成し、反対票を入れてくれたのは《ヴェパール》にいるコードLだけ。


 僕だってそりゃ、虫のいい話だなって思ってたんだ。短時間で大量の経験値が入るだなんて、ゲームならまるで夢のようだ。

 しかし、これは現実だ。仮想とは言っても、僕にとっては現実なのだ。

 体内時計はとっくの昔に狂い始め、今やこの仮想現実に振り回されて身体が動いているような有様になっている。


 おまけにS-175は特殊部隊と言っても過言ではない第三〇三シミュラクラ大隊の作戦・実戦データを持っている。

 そのデータから生成されたシミュレーションは、最高の精鋭が実施することを前提としたもので、ニアミス=死が続出した。

 結果、僕はこれ以上ないと思えるようなブラック労働環境にぶちこまれて、体感で半日くらいは過ごしている。

 最初は遣り甲斐を感じていたけれど、次第に疲労が顔を現してきて、今ではなにをするにも機械的に反応するようになっている。

 敵がいる。ロックオン。射撃。撃破。索敵。敵がいる……その繰り返しだ。

 


『シミュレーション141終了。さすがにこれ以上は本来の作戦に支障が出る』


「この半分でも僕としては支障がでるようになってると思うよ……」


『反復することによって咄嗟射撃での射撃法をマスターした。これは進歩だ。君はよくやれている』


「ありがと。……これで終わり?」


『終わりだ。シミュレーションのシステムを終了。時間酔いに気をつけろ』


「分かってる。慣れてるよ」



 僕がそう言うと、ふわっとした一瞬の浮遊感の後、僕の意識は現実に浮上する。

 といっても、その浮遊感があったということ以外は、前の実戦とほとんど変わらない。

 シミュラクラの視点から、現実の僕の視点に切り替わる。

 僕がいるのは、棺桶みたいなシミュラクラの腹の中、ドライバーシート。

 今回は本物のシミュラクラではなくて、士官学校のポッドと呼ばれる演習用機材の中だ。


 マニュアル通りにシミュラクラのドライバーシートの開放手順を踏み、僕はへろへろになりながら外に出た。

 まっさきに時計を探した。デジタル式の時計があって、僕が過ごした半日くらいはたったの一時間だったのだと告げている。

 たったの一時間。

 百四十一回の模擬演習を重ね、六十二回の偽死を味わい、三十五回の判定誤射をやらかし、二十一人の民間人を誤って殺害し、一回の休憩時間を味わって、たったの一時間。



「………僕、二度とこの形式でシミュレーションしたくないよ」


『緊急時の即応訓練でなければ、推奨されていない方法だ。時間さえあれば、他の方法で出来るだろう』


「………つまり時間がなければまたやることもあるってこと?」


『そういうことだ』


「………うぅ」



 あんまりだ、と僕は項垂れながらポッドの並ぶ演習室から出た。

 精神的に疲れ果てた状態で、誰もいない更衣室で一人少女がドライバースーツを脱ぎ、いそいそと作業着姿になるのだ。

 いろんなことがあったせいか、僕は女の子になったというのに、この身体をまじまじと見てもなんの感情も浮かばないのだった。


 色気を殺しきったような軍支給の女性用下着を身につけ、僕は姿見の鏡の前に立ってみた。

 少年みたいな黒髪はぎりぎり耳と項を隠すくらいで、目の色はぼんやりと赤い。

 胸はたしかに膨らんでいて、形も悪くはないなと思えたし、触ると柔らかくてちょうど掌に収まるくらい。

 腰もちょっとはくびれてて、なんだかその体の線がとても少女らしいなと思うけれど、僕はやっぱり自分の身体だからな、としか思わない。



「僕は―――」



 じぃっと、僕は僕を見つめる。

 右手で鏡に触れ、じっと、見つめる。

 鏡は冷たかった。

 瞳は、血のように赤い。



「僕は、人間だよな」



 自問自答。

 自答していないのだから、これはただの自問だろうか。

 ただ、自分自身に問いかける。

 お前は人間なのかと。

 お前は、まだ人間なのかと。


 答えはなかった。

 答えられるような言葉を、僕は持っていなかった。

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