第19話『しかして』
フスベルタが医務室のカーテンを捲ると、そこには口をぽかんと開けたまま天井を見つめている中年男性がいた。
なにかあるのかとフスベルタが天井を見上げてみても、そこにあるのはただの天井であって、染みのようなものはない。
試しに顔の前でひらひらと手を振ってみたりもしたが、中年男性の視線は天井にあり、意識は深宇宙にあるようだった。
「まいったね、こりゃ……これじゃあ僕が艦隊の指揮を執らなきゃならないじゃないか」
露骨に嫌そうな顔をしながらフスベルタは呟き、中年男性ことコンラット中将を見つめて、さらに溜息を吐く。
中肉中背で白髪交じりの髪をクルーカットに纏め、皺の深い顔には灰色の目が鋭く光り、肩の張った体つきは覇気がある。
いや、あったと言うべきか。
今ではコンラット中将はただの再起不能状態の傷痍軍人であり、最悪このまま退役する身だ。
真面目で実直な良い人で、悪い人じゃあなかったんだけどな、とフスベルタはカーテンを後ろ手に閉めながら愚痴る。
これで第三艦隊の指揮権はフスベルタに移ってしまったわけである。
『おめでとうございます、代将』
「そりゃどうも、エドワルダ。中将の有様を見たら皮肉にしか聞こえないね」
頭をがしがしと掻きながら、フスベルタはイヤホンから聞こえる女性の声に言ってやった。
しかしながら、エドワルダにはその皮肉が通じなかったのか、あるいは無視しているか、彼女は続ける。
『現時点からニルス・オーラヴ・フスベルタは、第三艦隊司令として昇進しました。以後は代将として責務を果たしてください』
「大佐と代将の違いなんて、艦隊指揮権があるかないかの違いじゃないか」
『時として伝統は合理性よりも強い強制力を持つのです』
「僕としちゃあ、艦隊司令に最適な人材がここに沸いて出てくるなら、伝統だって合理性だって犬に食わせてやるよ」
愚痴を続けながら、フスベルタは軍医に頭を下げ、中将のことを頼むと伝えながら、外へと出た。
「とにかく、会議室で全艦長へ指令を伝達しよう。準備を頼むよ、エドワルダ」
『はい、代将。各艦長に伝達いたしました。会議室はヴァーチャルでよろしいですね?』
「エドワルダ。二十一世紀には人類はネットワークで会議してたんだ。今時顔を見せて会議なんてやってる意味も暇もないよ」
『私も同感ですけれど、時折、そうした行事に大変熱心な方もいますので』
彼は民間規格をそのまま転用された、無機質な作りの割に出資企業の宣伝広告だらけの通路を歩く。
通路は軍民入り混じったさまざまな人々が行きかっており、フスベルタはそれを避けるように端を行った。
エドワルダの言葉に顔を顰めつつ、彼はとぼとぼと退社したサラリーマンのような足並みで会議室へ往く。
「……僕がそこまで衝動的でアグレッシブで、精神主義者に見えるかい?」
『見えませんね。ちょっとしたジョーク、です』
「僕はAIが進化することに肯定的だったんだが、これじゃ未来が心配だ」
『私たちの進化はこれでもかなり抑えられてきたんですけどね? ―――準備が整いました、代将』
「分かった分かった。行くよ」
行けばいいんでしょ、と拗ねた子供のように頬を膨らませながら、フスベルタは会議室へ向かった。
―――
会議室と言っても、実際にこの部屋に出席しているのはニルス・オーラヴ=フスベルタただ一人であった。
宇宙空間という海よりも途方もない暗黒の海原は、海よりも遥かに長い時間を必要とする場であり、必然的に省力化があちこちで進んだ。
結果として、顔を見合わせて会議するということはほとんどなくなり、艦同士のリンクを介して艦長らが立体映像で会議室に並ぶこととなった。
とはいえ、生身の人間にじろじろ見られるのが、立体映像に変わっただけなので、フスベルタからすればどっちにしろ性に合わない仕事だった。
『―――では、我々はこのまま待機するということでしょうか?』
しん、と静まり返った会議室で最初に口を開いたのは、第三艦隊所属の第一戦艦戦隊海防戦艦《スヴァローグ》の艦長だ。
三隻あるトリグラフ級海防戦艦のすべてを乗り継ぎ、さまざまな部署を巡り巡って古巣に戻ってきた、根っからの戦艦乗りだ。幾分かサイズは小さいが。
年のわりに白髪のない髪を刈り上げ、坊主頭にしているものの、まるで海洋冒険小説の海の男が形になったような体つきと目つきをしている。
ヴォイチェフ・パンコ大佐。年齢は四十二歳で評価は上々。同僚の海防戦艦乗りからの評判もよいが、酒も煙草もやらないつまらない男だと言う人もいるらしい。具体的に言えば、現在進行形で医務室で天井に銀河系を見ているような中将のことなのだが。
フスベルタは自分とは真逆だな、と心の中で呟きながら、全員に配布したデータにそのことが記載されているのを確認する。
うん、書いてある。しっかりと書いてある。これは僕の間違いではないらしい、とフスベルタは口元を緩めながら答えた。
「その通りだパンコ大佐。ただし待機といっても戦闘待機で、即応可能な第三艦隊艦艇はこのデータ通りの港でだがね」
『了解しました代将。戦艦戦隊は異存ありません』
他二隻の艦長の顔を伺って、パンコ大佐はそう言って黙り込む。
一番難物そうな人物がなかなかに理解が早くてフスベルタはさらに機嫌を良くしたのか、また口元が緩む。
そのせいで、彼は巡洋艦艦長たちがひそひそと話し合っているのに気付かなかった。
彼がひそひそ話に気付く前に、駆逐艦艦長たちの方から声が上がる。
『質問があります代将、よろしいですか?』
駆逐艦《カミカゼ》の艦長のベアタ・キサラギ少佐だ。
ショートボブの黒髪に、大人の女性とは思えないほど背丈が小さいが、彼女は駆逐艦乗りの中でも一二を争う水雷屋だ。
盤上演習の時、よく彼女の乗った駆逐艦が単独で場を掻き乱したりして、よく提督たちが苦虫を噛み潰したような顔になっていたっけ、とフスベルタは思い返す。
キサラギ大佐の質問を許可してやりながら、フスベルタは少し気構える。
『ありがとうございます、代将。各種武装はすべて実戦仕様でよろしいですか?』
「ああ、そうだね。第三艦隊の艦艇は積み込んでいる演習用のものを、すべて実弾に積み替えてくれ。それを含めてデータ通りに移動可能かな、キサラギ少佐」
『はい、代将。可能です』
「うん、良いね。他の艦艇も同じように実弾を積んでおいてくれ。兵站部には僕の方から最大限協力するように言っておく」
『ありがとうございます、代将』
『代将、自分も質問よろしいでしょうか?』
七三分けのサラリーマンのような容貌の男士官が、おずおずと手を挙げている。
巡洋艦艦長たちとも、駆逐艦艦長たちとも違う、やや外れた位置にいる。
「君は………ミズキ中佐か。補給艦隊の」
『その通りです。えー、私からは民間人の扱いに関してなのですが……志願者を兵站作業に当てても構いませんか? 作業の迅速化を計るのであればそちらの方が効率的だと思われます。採掘に関しては持久戦を考え、志願する人員の部署も限定する予定ですが、どうでしょうか?』
その手もあったなぁ、とフスベルタは頭を掻きながら思い、特に反対する理由もないのですぐに答えた。
「許可する。選別作業はそちらでやってくれて構わない。補給艦隊の補助ユニットも使っていい。これからの作戦は《カンタベリー》で僕が考えるし、エドワルダには僕の手伝いをしてもらう。他の艦長たちも補助ユニットは各々が使い、利用してくれ」
『感謝します、代将』
「僕は仕事してるだけだよ。―――他に質問は?」
パンコ大佐、キサラギ少佐、ミズキ中佐らなど、会議室の面々を一瞥してフスベルタは少し間を置いてみた。
なにやら少しだけひそひそが聞こえるような気もしたが、質問らしい質問が飛んでこないので、どうやらこれで良いらしい。
それにひそひそとなにか企んでるのなら、ここでさっさと切り上げようか、とフスベルタは略帽を被りなおしながら「よろしい」と言った。
「送信したデータ通りに各艦は行動するように。必要があれば適時データを送信するので、確認とその報告を怠らないでくれ」
いざという時に「そんなこと聞いていないです」なんて、冗談にもならない。
「では、各員解散(ディスミス)」
会議室に乱立していた立体映像が、一斉に消え去った。
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