第二章:共和国宇宙軍第三艦隊
第18話『割れることのない海の中で』
ニルス・オーラヴ・フスベルタほどやる気のない軍人は、共和国軍にはいない。
士官学校ではそこそこ優秀な成績を収めているにも関わらず、左遷先として名を馳せていた戦史編纂課勤務を熱望し、夢はさっさと退役して軍人年金生活を送りながら本を読み、本を書くことだと憚らず、おまけに酷く船酔いをするから海軍ではなく宇宙軍に入ったのだとまで苦笑しながら公言し、ブリティッシュの血が一滴も混じっていないにも関わらず紅茶狂いの味覚音痴なのだから、もはやこれ以上ないほどの伝説的怠惰の権化であり、それなのにやけに頭の周りは速いために左遷させるわけにもいなかい面倒くさい野郎なのである。
だからといって、フスベルタが軍人でないわけではない。
軍人年金生活が出来なければ安定した怠惰を、それさえ満喫できないのであれば、彼は最低限の労力と頭脳労働で脅威を排除しようと渋々腰を上げるし、必要に迫られれば見ただけで殴りつけたくなるようなほどの嫌そうな顔をしつつ拳銃を取って戦うこともある。
無抵抗に殴られるだけの未来が見えているのであれば、それに対抗するし、自分が住み心地の良い世界の為にやる気を覗かせることもある。
今が、まさにその時であった。
ニルドリッヒ共和国宇宙軍第一及び第二艦隊の残存艦が、散り散りになって宇宙港に駆け込んでくる。
アステロイドベルト―――小惑星帯から幾つかの資源惑星を掻き集め、国営宇宙鉱山として運営されていた。
その宇宙鉱山、
すでに着岸した艦艇からは負傷兵らが山のように運び出されている。
あまりにもその数が多すぎるため、軍港の区画の一部を仮設の野戦病院として割り当てねばならないほどだ。
「………長官の艦隊総旗艦《ワルシャワ》はいない、か」
溜息を吐くように、フスベルタは軍港を見渡すことができるロビーで一人呟く。
宇宙艦隊司令長官イワン・ヴァリャーグ元帥率いる、共和国宇宙軍第一及び第二艦隊。
彼ら帝国軍側から通達された停戦交渉のため、マリアネス軌道エレベーター《ユグドラシル》へ向かった。
幕僚の一人であるフスベルタは情勢から察して、停戦交渉は無意味だと元帥に進言し、座り込みまでして反対したものの、ヴァリャーグ元帥はそれを退けてフスベルタを第三艦隊参謀長へ左遷し、そして戻ってこなかった。
恐らく帝国軍は停戦交渉をするフリをして、軌道エレベーターの防衛プラットフォーム射程内へ誘き出し、それを決裂させて攻撃したのだろう。
でなければ、数でも質でも帝国軍を上回る共和国宇宙軍がこうもやられて帰ってくるはずがない。
「そもそも、そうなるだろうから反対したんだがね」
愚痴りながらも、フスベルタは持ち込んでいた端末から艦隊の状態を確認する。
フスベルタの階級は大佐であり、役職は第三艦隊参謀長である。
共和国宇宙軍第三艦隊とは、つまるところ練習艦隊のことだ。
旗艦はカセドラル級練習巡洋艦一番艦《カンタベリー》であり、他には旧式の駆逐艦や海防戦艦、地球連邦からのレンドリース品など、まるで不良在庫の目録のような有様であり、戦闘能力はまだしも、艦隊運用性などに関してはそれこそ武装商船で構成された海賊の方が楽だとさえ言えそうなものである。
低速で移動砲台染みた性能の海防戦艦に、見栄えと図体だけの練習巡洋艦と、旧式で小型の駆逐艦、さらには地球連邦のまったく異質な艦艇があわさっているのだから、無理もないことだ。
「………エドワルダ、帰還できた艦艇の目録を作ってるだろ?」
がしがし、と頭を掻きながら、フスベルタは虚空に向かって声を上げる。
『ええ、もちろん大佐。ご覧になられますか?』
「僕個人としては見たくもないけれど、必要になる。第三艦隊だけになった現状でも仕事はしなきゃならないの」
『珍しいですね、フスベルタ大佐が積極的に作戦立案に入られるのは』
面白おかしそうにイヤホンから声がした。
声の主はカセドラル級練習巡洋艦一番艦《カンタベリー》に搭載されている補助ユニット、エドワルダだ。
元々は地球連邦軍からレンドリースされた駆逐艦《カミカゼ》から取り外されたものである。
間を置かず、フスベルタの持っているスマート・クリップボードにデータが来る。
一番上にはグダニスク級重巡洋艦《グダニスク》があり、これは第一艦隊第一巡洋戦隊の所属で、大破している。
スマート・クリップを下へスクロールしながら、フスベルタの顔はどんどんと渋くなっていった。
「……かつての共和国艦隊が、今や帝国軍の三分の一にまで減ってしまった」
『加えて、現在共和国政府は所在が不明であり、マリアネス連合も今回の戦役に介入か非介入かの決議をしている最中です。地球連邦はいつも通り、静観を決め込むでしょう。我々と連絡が取れるのは、ニュー・ワルシャワ市のヤン・ソビエスキー士官学校のみです』
「そこにいる最上級将校は……士官学校校長のカーロフ中将かな?」
『はい。いいえ、大佐。カーロフ中将は既にニュー・ワルシャワを脱出しているようです』
「じゃあ、その場の最上級が誰か分かるかい?」
『第九首都防衛師団《グルィフ》のフランシス・シュヴァルツ少将がおります』
「じゃあ、僕に少し考えがあるから、第三艦隊司令官のコンラット中将に連絡をしてくれ」
『はい。大佐』
「今日はクソ忙しくなりそうだ」
この戦争が終わったら超過勤務分の給料入るかな、と冗談っぽく言いながらフスベルタは紅茶を求めて自販機の方へと歩いていく。どうせこれからもっと忙しくなるのだから、今のうちに紅茶でも飲んでおこうという腹積もりらしかった。
だが、彼がのんびりとロビーを歩いていると、イヤホンから再びエドワルダのソプラノの声が響いた。
『フスベルタ大佐、コンラット中将が再起不能となりました』
ニルス・オーラヴ・フスベルタは次の一歩を踏み外し、なにもないロビーのど真ん中ですっ転んだ。
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