第17話『Long good bye』

 ソニアK51、それが僕の名前だとようやく頭と耳がそれに馴染んできていた。

 首都から脱出した僕らを待っていたのは、帝国海軍に追われて散り散りになっていた共和国海軍の高速輸送分艦隊だった。

 ハル少佐曰く、僕たち海軍任務部隊一七八九は計画通りであれば、エアクッション艇四隻がすべてここに到着し、高速輸送分艦隊と合流の後、燃料や弾薬などを補給し、帝国と長年敵対関係にあるマリアネス連合へ向かう手筈になっているのだそうだ。それが帝国軍による首都陥落を想定した海軍軍事計画「プロジェクト09」の全容ですよ、と。


 そして今、《ヴェパール》と僕たちは、さっきまでの大混乱の戦闘が嘘だったかのように揺れる海の上で、補給を受けている。

 双胴高速輸送艦の《アスカロン》は僕らに割り当てられた輸送艦で、時速八〇キロ超、つまり四十五ノット以上で航行できる共和国最速の輸送艦だ。

 全長は《ヴェパール》よりも四〇メートルは長く、幅も少しばかり大きいように見えた。ヘリも搭載している。ただ、武装はない。


 僕は休むことなく《アスカロン》の艦長との打ち合わせをしているハル少佐に話かけづらくて、ぼんやりとその補給の光景を眺めている。

 燃料パイプがクレーンで吊るされ、受油口に接続され、必要分の燃料を流し込んでいく傍ら、弾薬を纏めたペレットを小型のクレーンで運び込んでいる。運び込んだ弾薬の中から一四〇ミリロケット砲弾を取り出して、ロケットの発射機に押し込む作業をしている人たちもいた。どれもこれもが重労働で、単純だけど手順を覚えていなければ死に繋がる危険な作業だ。僕はその手順を知らない。


 乗り込むシミュラクラを失って、僕は本当にどうしようもない役立たずに戻ってしまった。

 居心地の悪さを紛らわせるために甲板で友軍の艦艇を眺めていても、どこもかしこも生き残るために作業に没頭する兵たちでいっぱいなのは変わらない。

 僕はそうして、やっぱり彼と一緒にいないと落ち着けないのだということを再認識する。


 僕だけでうろちょろしているのは、落ち着かないからでもある。

 彼は今、戦闘による損傷がないかを検査中で話すこともできない。

 まあ、簡単に言えば人間ドックみたいなのの、AIバージョンみたいなのだ。

 だから今、僕はただ独り、女の子の身体の柔らかさや手の小ささ、その華奢さなどをぼんやりと感じながら、海風に吹かれていた。


 しばらくそうしていると、いきなり肩を叩かれた。

 びっくりして肩がビクッとなってしまって、とても恥ずかしかったけれども、僕は顔を赤くしながらもなんとか振り向いた。

 


「おう、さっきはよくやったな」



 そこに居たのは、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべる褐色肌の女性―――。

 僕は、彼女がメアリー・ラッセルズだとすぐに分かった。

 悪戯っ子みたいな笑みを浮かべ、猫みたいにすばしっこそうなスレンダーな体つきと、それでいて鋭い眼光は通信でも強烈に記憶に残る。

 それが軍で採用されているものなのか、メアリーはネイビーブルーのツナギ姿で、ごつい軍用ブーツを履いていた。

 僕はやっぱりこういう突然の自体は苦手でコミュニケーションも苦手なので、酸欠気味の魚みたいに口をぱくぱくしていると、メアリーは珍しいものを見るような目で僕を見て、とくになんの前置きもなく、僕の唇を指先できゅっと摘んで勝手に噴き出した。



「あにょ……」


「ぷっ、くはは……っ。なんだよお前、さっきはあんなに上手にやってたってのに、アガってんのか?」


「ひゃ、ひゃい……」


「まあ、しゃーねーか。オレはさっきまでダンの野郎とか整備兵の奴らに散々説教されててよ、礼も言えずにすまねえな」


「んぷっ……お、お礼、ですか?」


「ああ。あのリィンハイトに一泡ふかせただろ? なかなか出来ることじゃねえぜ、あいつを傷物にして生きてるだなんてな」



 褒められているのは分かるけれど、僕はむずむずとどうにも落ち着かない。

 僕が死ななかったのは単に彼が咄嗟に機体を操作したからで、僕だけではきっとあの棒手裏剣に圧殺されていただろう。

 


「でも、僕がもっと上手くやれてれば、もっと帝国軍を倒せたかもしれないし……」


「初陣であれだけやれりゃ十分だ。ソニア……だったか? オレはパーシュミリア戦役の頃からあのアバズレとは腐れ縁でよ。新兵があいつの毒牙から逃れられたのは今回が初めてだ」



 荒っぽく僕の肩を叩きながら、メアリーは続ける。

 パーシュミリア戦役というのは、共和国の隣国であったパーシュミリア連邦が、帝国に侵攻され制圧された一連の戦闘のことを言う。

 宣戦布告から終戦までの期間はわずかに一ヶ月であり、その間にニルドリッヒ共和国、マリアネス連合が派兵した軍団が、帝国軍と何度も戦闘を繰り返している。


 メアリーはその戦役に参加していたらしい。

 そして、あの《穢れた白金》と出会い、殺しあってきたのだろう。

 同じ相手と何度も殺し合いをして平気なのか、と僕は思ったけれども、それを聞くのはやめておいた。

 どうせあの《穢れた白金》も、帝国軍も、殺さなければならないのであれば、あれこれと覚えておく必要はない。



「……でも、二隻がやられたよ。ジェシーも、サイモン准尉も、マルセイユとボリスニコフ艦長も………」



 僕が僕自身に感じている無力感をそのまま吐露すると、メアリーは僕の顔を覗き込み、目をじっと合わせながら言う。



「やるってなった時に、もう覚悟は決まってた。オレたちもあいつらも軍人だ。悔やむなよ、逝かせてやれ」



 メアリーの声と表情は、彼女も僕のような経験があるのだということを言わずとも理解させる。

 きっとこれは新兵にありがちな病気みたいなものなのだろうと、僕はそう決め付けて記憶の中で助けられたかもしれない人間たちの顔を、ゆっくりと記憶から消していく。

 悔やむには僕と彼、彼女らとの時間は短いものだった。


 だから、忘れることはそこまで難しいことではない。

 残ったのは、ジェシーが潰される時の声と音、炎上する《サレオス》と、ハルの震える小さな背中。

 きっとこれらは僕を苦しめるトラウマなのだろうと、僕はメアリーを見つめながら思った。

 僕はプロトコルなどで戦闘に適応するように調整されているけれども、それでも戦闘の精神的外傷は避けられないらしい。



「………分かった。逝かせる」


「よし。それでいい。今は一人でもドライバーが多い方が良い。お前が潰れるとオレも困るからな」

「……困るの?」


「困るに決まってんだろ? 他の奴らは知らねえが、オレはスラムの出だから、くだららねえ差別にゃうんざりだ。生きるも死ぬも預けあう戦友同士、仲良くやろうぜ。幸い、AIの補佐もあってかお前は筋が良い」


「あっ、はい……」



 乱暴に握手を求められ、されるがままに握手をし、僕はメアリーをぼんやりと見つめる。

 なんというか、戦闘時と違って雰囲気が少しだけ柔らかい気がするのは、気のせいではないのだろう。

 粗暴で自信に満ち溢れ、きっと筋を通した生き方以外をしたくない、そんなタイプなのかもしれない。


 僕とは違う、と僕はにっこりと笑顔を顔面に貼り付けながら、思った。

 僕はそんな生き方をしたことなんて、一度もなかったし、きっとこれからもないだろうと。

 僕は平凡な家庭で平凡な生き方をしようとして、周囲に虐められ、虐げられ、そして閉じこもった。

 

 それからはなにも感じなくなり、ただぼんやりと生きるだけの日々を送り、そして死んだ。

 だから、ここにいる。すべてが幻で、すべてが人造のものであったとしても、僕はそうして生きてきた。

 その幻の十数年間に、僕はきっと縛り付けられている。


 現実の僕はその間、ずっとシリンダーの中で夢を見ていただけなのだ。

 機械で繋ぎとめられ、まるで赤子のように身体を丸め、現実にはない世界を生きていた。

 僕は二重の殻に引き篭もっていたわけだ。自分という殻と、シリンダーというもので。



「ま、祈るくらいはしてもいいさ。オレたちが死人に出来るのは、それくらいだ」



 ツナギのポケットから煙草を取り出し、それを咥えるメアリーの目は、そういった経験を積み重ねてきたのだろうな、と分かるある種の諦めに似たものがあった。悲しみだとか、愁いだとか、義憤などではなくて、それはたしかに、それが現実であることを諦め、受け入れた人間の表情だと僕は思う。

 手持ち無沙汰な両手をぼうっと眺めながら、僕は祈り、戦おうと決めた。


 それが死んでいった奴らへの、せめてもの手向けになるのならと、そう思った。

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