第9話「そして僕は失われた道を諦め、この場所を見いだした」
僕は、孤独だ。
もうなんの期待も持ってない。
僕はなんの恐れも無く、立ち向かう覚悟ができた。
僕の過ごして来た生活は、まだ僕の手と目の中に生々しく残っている。
人間として過ごしてきた生ぬるい生活の日々が、羊水の中のように感じられる。
母親のお腹の中で保護され、守られ、当たり前のように愛されてきたあの日々が。
僕は失望しながら涙を流し、少女から視線を外して振り返る。
傷だらけで壊れまくったロボットがそこにある。彼はそこにいる。
ゆっくりと鉛のように重くなった手足を動かして、僕は彼の肌に触れた。
とても冷たかった。
無機質で、無機物で、血の通っていない人工構造物の手触りがする。
ところどころがささくれていて、僕の柔らかい指先なんかスパッと切れてしまいそうだ。
『ソニアK51、危険だ。この機体はもう限界だ。すぐに避難するんだ』
「いやだよ……、だってあなたの近くじゃないと、僕はもうだめなんだ」
『早く私から離れるんだ。私の体は交換できる。だが君は交換などできない』
「いいんだ、僕は。このまま離れたくない。あなたの近くがいい」
『―――頼む。私のドライバーを二度と失いたくない』
モーター音を響かせながら、彼は指先を動かして無機質なそれで僕の頬を優しく撫でる。
どこかが壊れているのか、キュキュキュキュキュ、と異音が響いていたけれど、僕にはそれが彼の泣き声のように聞こえた。
彼はじっとセンサーで僕を見つめている。僕は、そんな彼をじっと見つめていた。
『君とワッツは違う。君はまだ生きている。私は自分のドライバーを二度と失いたくない』
冷たい指先で彼は僕が傷つかないよう、優しく遠ざける。
僕は彼の指先から手を離してヴェパール艦長、ハルのもとへと歩く。
彼女はとても小さかった。
僕の身体のデータは、身長一五四センチ、体重四八キロ。
それを頭の中においていても、僕よりも頭二つ分くらいは小さい。子供みたいだ。
僕は努めて笑顔をつくろうと思ったけど、失敗したらしい。
ハルの顔を見ていれば、それくらい分かる。
子供みたいにハルは感情がすぐ顔に出るタイプみたいだ。
「S-175ZW1の臨時ドライバーの、ソニアK51です。あらためて、どうぞよろしく、ハル……少佐」
「ニルドリッヒ共和国海軍少佐、ハルです。早速で申し訳ありませんが、あなたはS-175ZW1の言ったとおり、戦時特例により軍の管理下にあります。あなたは彼の装備品であり、軍の所有物となります」
「……分かりました」
「ついては、陸軍シミュラクラ訓練課程を終了したものとして、伍長として任命。我々、海軍任務部隊一七八九へ編入します。入隊儀式、ならびにシミュラクラ訓練課程の修了儀式は省略」
「分かりま―――」
した、と言う前に、ハルが僕の足を軽く蹴っ飛ばす。
痛みにちょこんと飛び跳ねながらも、僕はむすっとしているハルの顔を見た。
ハルは言った。
「了解、です。ソニア伍長。あなたは軍にいるのです」
「了解です、ハル少佐」
「よろしい。まずは我々の状況を説明します。一刻の猶予もありません。あなたにも、意見を聞く必要があります」
ハルを見ながら僕は苦笑しつつ返す。
「でも、僕はその、頭の中にいくつかインプットされただけで……役に立てるかどうか」
「役に立つかどうかは私と他の艦長が判断します。今は常識に囚われない頭脳が必要とされているんです。さあ、私についてきてください」
ぺちぺち、と僕を叩いて、ハルは踵を返す。
僕はその小さな背中を見ながら、でっかいホバークラフトのお化けに向かって歩く。
頭の中の共和国軍基本形態プロトコルによると、これはエアクッション陸上艦SS-42「ヴェパール」で、所属は海軍陸戦隊、なのだとか。
海軍なのに陸戦なのか、と素人の僕の頭が呟く。
共和国軍基本形態プロトコルによると、陸戦隊、あるいは海兵隊というのは上陸作戦などに投入される部隊なのだという。
それで、任務部隊というのは任務のために編成される部隊のことで、僕が所属することになった任務部隊一七八九というのは、共和国軍基本形態プロトコルによると、帝国軍による首都陥落を想定した海軍軍事計画「プロジェクト09」のために編成される揚陸艇四隻を中核とした部隊で、セント・パウエル海軍工廠から川を下って脱出するのが主任務なのだとか。
最終更新日が年単位で前のものに書いてあるって、いったいいつの計画なのだろうか。
素人の僕でも少し疑問に思ったが、たぶん、きっと、大本の計画がそれで今の計画は変更がされているものなんだろうと考えることにした。
さすがにそこまで馬鹿ではないだろう、と。
「ヴェパール」に乗り込む道すがら、あちこちから陰湿な悪口が聞こえた。
けれども、僕はそれを完全に無視することができるようになっていた。
最初からなにも期待しなければいいのだと分かったからだ、彼以外の奴らには。
タラップを昇り、僕とハルは「ヴェパール」の艦橋に入る。
艦橋はアニメとかで見たそれよりもかなりこじんまりとしていて、明るい灰色の塗装もあいまって軍用っぽさがにじみ出ていた。
人生初めての艦橋に僕が見ほれていると、ハルはとてとてと一段高いところに設置してある席に座り、肘掛にあるボタンをいくつか押す。
すると、天井から透明なフィルムのようなものが垂れ下がってきた。
なんなんだろうと思っていると、どうやらそれが画面になるらしく、OSの始動画面になり、各種のロードを経て一枚の地図が表示される。
ニルドリッヒ共和国首都、セント・ピーターズバーグの俯瞰図だ。
「現在、我々がおかれている状況が危機的であるという事はご存知ですね、ソニア伍長」
「はい、少佐殿」
「私は海軍です、殿は結構。……こほん、続けます。我々、任務部隊一七八九は海軍軍事計画「プロジェクト09」を完遂する必要があります。現在集結しているのが軍属だけという状態ではありますが、彼らはこれからの反攻作戦に必ず必要となってくる存在です。よって、我々の主目的、セント・ピーターズバーグからの脱出に変わりはありません」
「はい、少佐」
「しかし我々は首都の完全陥落が時間の問題となっているこの状況の中、当初の計画通りにセント・パウエル海軍工廠から川を下って脱出するのは極めて危険であると判断しました。そのため、目下別の脱出方法を模索しているのです」
「はい、少佐」
「それであなたにも、意見を求めるわけです、伍長。なにか思いつきませんか?」
人間、もう少し思考時間を与えられてもいいと思うと頭の中で思いながら、僕は考える。
頭の中のプロトコルとマニュアルと、ど素人の僕とで一人三足だ。
ここに彼がいてくれたら、もっと良い考えをすぐに出して見せるんだろうに。
彼との繋がりの証でもある項のジャックを撫でながら、僕は呟くように言う。
「いい案がないなら、消去法で当初の予定通り馬鹿正直に川を下ればいいんじゃないかと……」
「そんなことをすれば両岸から集中砲火を受けてしまいます。やるとしても、なにか欺瞞手段を使わなければなりません」
きっぱりとそう言われ、僕はむうと唸る。
その態度が気に入らなかったのか、ハルがなにかを言い出そうとした。
けれど、その言葉が口から出るよりもさきに、別の声が艦橋に響く。
『ふむ? いっそのこと音楽でも流しながら正々堂々と川下りなんてどうでしょう、ハル』
「はぁ………ガーティベル、あなたも? ソニア伍長はど素人だからまだ問題ないですけど、あなたまでそんな馬鹿みたいなことを言いだすなんて」
『人間は人間である限り自分が信じたいと思う事象を信じるものです。翻って、信じられない、信じたくないという事象に対しては程度こそあれ、拒絶の反応を返します。反射的にといってもいいかもしれません。計算よりもさきに願望によって動作する顕著な例です。それを利用できるのでは?』
「相手が巨人で機関砲で武装してなければ私だってそう考えたでしょうね。……ああ、これで正面突破を選んだ人が四人目、AIが一機ですか。どうしてこう脳筋が多いのかしら?」
どうやら僕以外にも単純思考の人間がいたらしい。
ちょっとだけ嬉しくなった僕とは対照的に、ハルはうんざりしたように続ける。
「それで、ガーティベル。あなたがその案に乗り気になった理由は?」
『他のエアクッション艇のAIと協議しました。賛成は我々ガーティベル、ペチュニア、ダグラス、アダムズの全会一致でした。現状、どのような手段を用いるにしても機材と人材の不足により実行不可能ということからです。
ぐっぐっぐ、というくぐもったノイズが艦橋に響き出した。
機械が壊れたのかと僕は思っていたのだが、どうやら違うらしい。
ハルが顔を真っ赤にして怒り始めるのを見て、僕はようやくそれがガーティベルというAIの笑い声であったということに気付いた。
「……他の艦長はどうだったの、ガーティベル」
溜息を吐きながらハルがぼそっと言うと、ガーティベルは紳士的な声で返す。
『あなた以外の艦長は皆、賛成です。それぞれ反応はさまざまであったそうですが』
「自分の艦を十字砲火の中に突っ込ませて喜ぶ艦長がいるなら、わたしは軽蔑しますけどね」
『でしたら《サレオス》のボリスニコフ艦長を軽蔑すべきでしょうね。彼は小躍りしながらダグラスに戦闘準備を命令していました。《アガレス》のマルセイユ艦長は渋々とアダムズにおなじことを命令していました』
「マルセイユは……いえ、マルセイユ艦長はそうでしょうね。彼は彼らしく、もっとスマートにしようとします」
なぜか苦笑しながらハルがそう言い、ガーティベルにさらに問うた。
「それで、残った《フォルネウス》のアーサー艦長はどうしたのかしら?」
『アーサー艦長はペチュニアと一緒に数分間喋りあった後、了承しました。それとついでに「まいったな、またか」と呟いていましたね』
「相変わらずわけのわからない人ですね……。いいでしょう、それならわたしも賛成です。戦闘準備を」
『アイアイ・マム』
ガーティベルの応答を聞くと、ハルは僕の肩に手を置いて言った。
「ソニア伍長、やれますか?」
なにが、と彼女は言わなかった。
こんな状況でなにをやれるか問われれば、それ以外に選択肢はないだろう。
彼女は僕に、戦えるか、と聞いているのだ。
僕はすぐには答えられなかった。
けれども、僕には頼れるものが、頼れる彼がいる。
それが僕の背中を押してくれる。
ハルの瞳をじっと見返す。
彼女の瞳は僕よりも幼いけれど、より現実を見ているような気がした。
そして、僕は答えた。
「
「よろしい。機付長には偏見のない者をつけます。道案内はガーティベルがするでしょう。スマートグラスに経路が表示されます」
「了解」
「では、幸運を」
ハルは僕に向かって敬礼をした。
僕は、プロトコルに従い返礼をする。
スマートグラスにアップデートがあり、道順が表示された。
「行きなさい、伍長。
受話器を手に取りながらハルが言った。
僕は胸に込み上げてくる感情を押し殺しながら、表示された道順をなぞり始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます