○お題8―マフラー/お弁当/テレビ(改稿版)―
深夜0時すぎ。
自動ドアからまっすぐにお弁当コーナーに向かった彼女は、ぽつんとひとつ残っていた牛カルビ弁当を手にとった。その背中があからさまによろこんでいる。
会計をすませ、店を出ていく彼女の背中は、やっぱりどこかウキウキしていた。そんなに肉が好きなのだろうか。
☆
十二月に入ってから、彼女は毎日のようにぼくが働いているコンビニにやってくるようになった。時刻はいつも深夜0時をすぎている。売れ残りのお弁当が目あてらしかった。
うちのお弁当は一番高いものでも
ただ彼女は、いつもぐるぐる巻きにしたマフラーで顔を半分以上隠していて、それがとても印象的だったのだ。
☆
やわらかそうな白いマフラー。あざやかな水色のマフラー。色あいが女の子っぽい、グレーとピンクのチェック柄のマフラー。だいたいこの三本でローテーションを組んでいるようだった。
ぼくは心のなかで、彼女を『マフラーちゃん』と呼んでいた。
何歳くらいだろう。前髪とマフラーにはさまれて、ほとんど目しか露出していないものだから、何度見てもいまいちわからなかった。だけど、スッとしているのにどこかだるそうな歩きかたとか、わずかに見える肌のみずみずしさなどから、ぼくより三、四歳下――二十歳前後かな、とは思っていた。
そんなマフラーちゃんが、ある日マフラーを巻いていなかった。
☆
レジのまえに立たれても、最初はマフラーちゃんだとは気づかなかった。『あれ?』と思ったのは、その目が――吸いこまれそうなほど深い瞳の印象が、マフラーちゃんとおなじだったからだ。なにより決定的だったのは、その左の目尻でポツっと存在を主張している黒い点――泣きぼくろがおなじ位置にあったということだった。
そうして、目のまえにいる女性とマフラーちゃんが同一人物だと理解した瞬間、ぼくはたぶん、それまでの人生で一番驚いた。
その日、彼女がマフラーを巻いていなかったのは、単純にあたたかかったからだと思う。そりゃあそうだ。べつにマフラーに特別な意味があったわけじゃない。彼女にしてみれば、ただ『寒かったから』マフラーをしていただけだろう。それでもマフラーが特別ぼくの意識に残っていたのは、それをぐるぐる巻きにしていた彼女が、めちゃくちゃかわいかったからだ。
そう、マフラーを巻いた彼女は、とてつもなくかわいかった。
だけど――
マフラーをとった彼女は、すさまじく綺麗だった。
年齢はやはり二十歳前後だろうと思われた。くりっとした勝ち気そうな目と、小さいながらすっきり通った鼻梁と、ふっくらとみずみずしい唇。張りのある白い肌は内側から発光しているみたいで、しがないフリーターのぼくの目では受けとめきれないくらい、とてもあでやかに、まぶしく映った。
そんな綺麗な彼女が買っていったのは、やっぱり売れ残りのお弁当だった。そりゃあ、顔のつくりと買い物内容に直接関係はないと思う。服装にしたって、ジャンパーにジーンズというそっけない格好だったのに、なぜだろう。マフラーをはずした彼女から浮かんだのは、高級フランス料理でもたべていそうな洗練されたイメージで――なんというか、なにもかもがすごいギャップだった。
とんでもなくかわいくて、おそろしく綺麗なマフラーちゃん。
そして、ぼくの心に強いインパクトをあたえたマフラーちゃん。
彼女の顔を見るだけで、ぼくの心は浮き立った。――とはいえ、ぼくと彼女がどうにかなるなんてことはないと思ったし、実際ならなかった。
『いらっしゃいませ』と『ありがとうございました』をいうだけの関係である。せいぜい『(お弁当)あたためますか?』とか『おはしつけますか』とか、たずねるくらいだ。どうにかなりようがない。あれほどの美人をナンパするような度胸もなかったし、ぼくはなんのとりえもない、その日ぐらしのフリーターだ。声をかけたところで、とても相手にされるとは思えなかった。だから、見ているだけでよかったのだ。眼福というやつである。
☆
春、桜が散りはじめたころ。彼女はぱったりと姿を見せなくなった。おかげで深夜勤務の楽しみがなくなってしまったけれど、人間は慣れる生きものだ。一週間もすれば、彼女がこないことがあたりまえになった。
もしも。もしもぼくが、彼女のためにお弁当をとり置きしておいたりしたら、なにか変わったのだろうか。正直、そう考えたことはある。だけど、やっぱり個人的に声をかけるような勇気はなかったし、きっと、それでよかったのだと思う。
☆
あれから二年。
ぼくは相変わらず、しがないフリーター生活だ。
特に夢もなく、深夜のコンビニでせっせと働いている。
だけど――
いつも売れ残りのお弁当を買っていた彼女の顔を、ぼくはまた毎日のように見ていた。
休憩室に入ってテレビをつける。
ちょうど流れていた口紅のコマーシャルで、挑発的な笑みを浮かべているのは、まぎれもなくあのマフラーちゃんだった。
☆
アマチュア劇団の舞台に立ちながら、めぼしいオーディションをかたっぱしから受けていたと、彼女がテレビの対談番組でそんな話をしているのを見たことがある。落ちたオーディションの数は軽く百を超えると、からから笑っていた。
どこまでほんとうなのか、それはわからない。もしかしたら、少しおおげさにいっているのかもしれない。
だけどぼくは、深夜だるそうに来店した彼女の、お弁当が残っていなかったときのしょんぼりした背中を知っている。
逆に、がっつり系のお弁当が残っていたときの、うれしそうな背中も知っている。
きっと、ぎりぎりの生活のなかで、必死にがんばっていたのだと、今ならわかる。
あれから二年。
彼女は若手実力派女優といわれるようになった。
日本中にその顔を知られるようになった。
コマーシャルでは魅惑的にほほ笑み。
ドラマではコミカルな表情も見せる。
彼女は今日も、テレビの向こうで輝いている。
二年まえよりもずっと、輝いている。
(おわり)
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