○お題4―大雨/お風呂/孤独―

 雨はいつもミチに孤独を運んでくる。


 母親が浮気相手と駆け落ちした日も、父親が事故死した日も、たったひとりの友だちが自殺してしまった日も、きまって暴力的な雨が降っていた。


 そして今日、つとめていた会社が倒産した。


 もはや笑うしかない。


 もちろん、なにごともなく終わった雨の日もある。というか、たぶん圧倒的に多い。ただ、そういう日は記憶に残らず、そうではない、人生の岐路となるような強烈な出来事は深く心に刻まれる。それだけのことだ。


 今日はまた、バケツどころか、バスタブをひっくり返したような大雨だ。


「あれ……みっちゃん?」


 玄関でレインブーツを脱いでいると、洗面所からそろーっとタクが顔を出した。


「おかえりー、ドロボーかと思ったよー。どうしたの? まだお昼なのに。あ、早退? どっか具合悪い?」

「あんたこそ、なにやってんの」


 ドアから顔だけにょっきりのばしてこちらを見ている。不自然というか間抜けというか、変なかっこうである。


「あ、今お風呂洗ってて、手泡だらけなの」

「ああ……そっか、ありがと」


 そういえば、住み込みのハウスキーパーって名目で同居を認めたんだった。


 タクは二歳下でおなじ小学校にかよっていた。集団登校もおなじ班だった。つまり、ご近所さんで、幼なじみだったわけだ。

 ただついでに、ミチの母親が駆け落ちした男の息子でもあって、単純に幼なじみというには複雑なものがあるようなないような。


 まぁともかく、駆け落ち事件から数年後、タクは母親の再婚のため引っ越して、それっきりになった。


 ああ、そういえば、あの日も雨だったっけ。


 再会したのは二か月ほど前。同僚に連れられて行ったカフェバーで、二十五歳になったタクがカウンターの中でカクテルをつくっていた。


 そして、ここに転がりこんできたのは五日前だ。

 住んでいたアパートが火事で全焼したという。どうやら放火だったらしい。


『たのめば泊めてくれそうな友だちは何人かいるけど、みんなワンルームなんだよ。ついでに恋人持ち。ぼくは夜の仕事だし、帰りはいつも明け方四時とか五時とかだから、お互いなにかと気つかうと思うんだ。その点、みっちゃんちは戸建てだし。ね、光熱費とか食費とかちゃんと半分払う。新しい部屋がみつかるまで、ここに置いて。お願い!』


 土下座しそうな勢いでそう懇願されたものの、ためらわなかったといえば嘘になる。


 幼なじみとはいえ、親に捨てられた者同士というまったくうれしくない連帯感があったとはいえ、十五年、会っていなかったのだ。


 それはもう、赤の他人とほとんどおなじだ。


 だがそこでつっぱねたら、後々まで罪悪感をひきずることになる自分の鬱陶しい性格をミチはよく知っていた。


 それに、部屋があまっているのも事実だ。高校二年生の時に父親が死んでしまったため、ミチのひとり暮らしは実家を出ることなくはじまったのである。


 条件をつけたのは――なんでだろう。よくわからない。自分に対するいいわけ――だろうか。臆病、なのだ。純粋な友情や愛情なんて持ちたくないし、持たれたくない。


「熱は? はかった?」


 なのに、こうして出迎えてくれる人間がいるという事実に泣きそうになる。そんな自分が、心底鬱陶しい。


「べつにどこも悪くないよ。会社がつぶれただけ」

「ああ、そうなんだ……よか……って、え!? 今なんて?」

「どこも悪くない」

「ちがう! そのあと」

「会社がつぶれた」


 一瞬タクの顔が泣きだす直前の子どもみたいになった。が、なぜ――と思う間もなく、すぐにニカッと明るい笑顔でそれをかき消した。


「じゃあ、今晩はごちそうにしよう」

「――は?」

「いやなことがあった時は、おいしいもんお腹いっぱいたべるのが一番だよ」


 人間はおいしいものをたべるとしあわせな気持ちになる。栄養をつければからだも元気になる。心とからだに力がつけば、たいていのことは乗り越えられる。という理屈らしい。


 なんとも単純で健全な意見だ。


 でも、そのとおりかもしれない。


 すくなくとも今回は、味がわからなくなるほどのダメージは負っていない。苦しくて食べ物がのどを通らない、なんてこともない。

 すこし前から『危ないかもしれない』といううわさは耳に入っていたから多少心の準備はできていたし、幸か不幸かこういったことに耐性もついている。


「でも今晩て、タク仕事でしょ」

「ううん、休みだよー。だから今日は家中ピッカピカにしてやろうと思ってたんだけど、予定変更。あ、みっちゃんお昼ごはんは?」

「まだだけど」

「じゃ、軽くなんか用意してくれる? そのあいだにこっち終わらせちゃうから。んで、お昼たべたら買い物行こ」

「え、わたしも行くの?」

「あったりまえじゃん。今日はみっちゃんがたべたいもん、ぜーんぶ買うよ」

「いや、でも、外すごい雨だよ」

「うん。買い物にはちょっと鬱陶しいけど、そのぶんお得だし、ふたりで行けばたのしいよ」


 そういえば、このあたりはスーパーも商店街も、割引とかおまけとか、雨の日限定サービスをしている店が多い。


 ……ふたりならたのしい――か。


「……着替えてくる」

「うん」


 タクはうれしそうに笑って顔をひっこめた。


 ――まったく。

 ついあの笑顔にのせられてしまう。


 ちいさい頃は、怖がりで人見知りで、いつもメソメソシクシク、泣いてばかりいたのに。



 今日のことはきっと、『雨の記憶』に追加されるだろう。


 会社がつぶれた。

 土砂降りの雨だ。

 なのに、ひとりじゃない。



 ……せめて、彼がここから出ていくときは晴れていますように。


 そう願いながら二階にあがっていくミチの足は自然と軽くなっていた。



【完】

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