第15話、万能、ハンス!

 静かな学生ホールに、飯島の腕時計が、ピピッと鳴る。

 時間を確認しながら、飯島は言った。

「 ・・ところで、真一。 お前、昨日、電解理論のレポート、ナンで出さなかったんだ? 」

「 は・・・? 」

 確か、提出日は、1週間後のハズでは・・?

 ぽか~んとした表情の僕に、飯島は笑いながら言った。

「 やっぱり・・! 掲示板に張り出されていた通達、読んでないな? 期限は、昨日に変更されているぜ? 」

「 ・・・・・ 」

 

 終わった・・!

 

 やってしまったようだ・・!

 レポートは出来ているが、下宿のパソコンの中だ。 プリントアウトすら、していない・・!

「 ・・き・・ 昨日だったのか・・? 提出日・・・ 」

 呆然としながら、呟くように、僕は言った。

「 ああ。 別段、難しくも無い単位だったのに、残念だったな 」

 薄ら笑いを浮かべ、ペットボトルのキャップを開けながら、飯島は答えた。

 すると、ハンスが言った。

「 昨日、香住のコンサートに行く前に、提出したじゃないか 」

 ・・そんな記憶は、無い。 なぐさめだったら、もっと現実的な話しにしてくれ・・・

 飯島は、ミネラルウォーターを飲むのをやめ、ポケットの中から、提出確認表のコピーを出しながら言った。

「 提出漏れにされたら、かなわんので、オレはいつもコピーをとるんだが・・ 確か、お前のチェックは・・ 」

 見んでもいい・・・ 出した記憶が無いのは、自分自身が一番よく分かっている。

 僕、来年、香住と仲良く通学するわ・・・

 飯島が言った。

「 ・・あ、出してんじゃねえか。 オレの見間違いだったかな? 」


 はい・・? 出してませんけど・・・?


 飯島は、コピーをポケットにしまうと、軽く右手を上げ、会釈しながら言った。

「 じゃ、講義が始まるんで、行くわ。 またな 」

「 ・・・・・ 」

 どうなってんの・・?

 有罪判決された後( 経験は無いが )、裁判長が 「 あ、間違ちゃった。 キミ、無罪ね? これにて閉廷! 」 と、さっさと退廷したようなカンジだ。

 ぽか~んとした顔のまま、ハンスを見る。

 ハンスは、腕組みをすると言った。

「 パソコンの中に入っているレポートで、良かったんだな? ったく・・ これからは、気を付けろよ? 」


 ・・ハンス・・!

 今、出してくれたのかっ? すげえっ・・! サイコーだよ、お前っ!

 帰りに、牛丼、食っていかないかっ・・?


 僕は、ハンスの手を握り、感謝した。

「 助かった・・! 恩に着るよっ・・! さすが、天使だな! やるコトが違うぜ・・! 」

「 お前が、しょげていると、香住も心配するからな。 香住の為に、やってやったんだぞ? 香住に礼を言え 」

「 分かった、分かった。 ・・ふう~~っ! アブない所だったぜ♪ 」


 午後からの講義も、快調に飛ばした。

 今日は、朝から香住のパンツは見れるし( 2回も )、提出忘れしていたレポートは出せるし、イイ事だらけだ。

 僕は、いつになく真面目に講義を受けた。 1日、居眠りをしなかったのは、大学入学以来、初めてかもしれない。


 講義が終了し、僕はハンスと共に、外へ出た。

 朝の雨は、完全に上がり、穏やかな春の日差しが注いでいる。 何とも、気持ちが良い。

( 香住に、会いたいなぁ・・ )

 こんな日は、愛しい香住に会いたい。 だが、今日は、バイトがある日だ。

 ハンスを、どうしようか? 体験入店とか言って、タダ働きでもさせようかな?

 ・・いや、待て。 ソバを食べて、巨大化したらマズイ・・!

 犬にでも化けさせて、しばらく放浪していてもらおうか?

 イカン・・! コイツだと、犬の姿のまま喋り出すかもしれん。 他人( お姉さん )に向かって、『 僕、サミュエル・ハンス・クリューゲル・・( 以下、略 ) 』とか言って・・

 色々と思案しながら、僕は、正門に向かった。


 ふと、脇のテニスコートの方を見ると、和弘の姿が見えた。 傍らには、久美もいる。

( 久美の相手を、してるのか・・・ )

 一瞬、そう思ったが、様子がおかしい。 和弘が、向かい合って立っている男に、何かを言っている。 雰囲気的に、緊迫した様子だ。

「 ? 」

 僕は、コートの方に行った。


「 よしっ、分かった! いいだろうっ・・ 受けて立つ! 」

 和弘の声が、聞こえる。

 コートに入って来た、僕とハンスの姿を見つけ、久美が言った。

「 あ、真一! ちょっと、止めさせてよ、和弘を・・! 」

「 どうしたんだ? 」

 和弘が睨んでいる男も、テニスウエアを着ている。 ちょっと茶髪の長髪に、キリッとした眉・・ なかなか、イケ面風の男だ。

 僕の方を見ると、その男は言った。

「 立会人の登場だな。 よく見ておいてくれよ? 」

 ・・・どういう事だ・・・?

 久美が、僕に言った。

「 和弘、あたしを賭けて、試合をするって言うのよ・・! 」


 ・・・ナンじゃ、そら?


 和弘は、イケ面の男を睨みつけたまま、僕に言った。

「 久美と、楽しくテニスしてたのに・・ イキナリ、しゃしゃり出て来て『 久美を、オレによこせ 』ってんだぜ? コイツ・・! 」

 そんで、テニスでもって、決着を付けようってのか? 西部劇の決闘みたいだな。 一観客としては、余興を見ていたい気分だが、和弘は、ダチだ。 ここは、やっぱ一言、注進しておかねばなるまい。

 僕は言った。

「 和弘、バカなコトは、やめとけ。 お前さんのウデは認めるが、もしも、ってコトがある。それに、彼女を賭けの対象にするのは、失礼だろうが? 」

 和弘は、男を睨んだまま、答えた。

「 男と男の勝負だっ・・! 」

 ・・アカン。 悦に入っとる。 一度言い出したら、聞かんからな、和弘は・・

 イケ面の男が、薄笑いを浮かべながら、僕に言った。

「 キュートな彼女が、気に入ってね。 ちょっと貸してくれ、って言っただけなんだけどね? 僕としては、ワンゲーム楽しめたら、それで良かったんだ。 ところが、彼が・・・ 」

「 フザけんな、テメー! その後、洒落たイタ飯屋で、食事するって話しは、ドコ行ったんだよっ! ああっ? 」

 ・・・どうやら、ここは、和弘の方を信用した方が良さそうだ。 このイケ面男は、やり手らしい。

 男が言った。

「 イタ飯屋じゃないよ? パスタ専門店さ 」

「 ドッチでもいいんじゃ、ゴルァ! ワレ、スマキにして、川ァ、放り込んだろか? ああ~? 」

 中学時代、堺市に住んでいた、和弘。 興奮すると、未だに関西弁が出る。

 男は言った。

「 やれやれ、乱暴な彼氏だなあ・・ じゃ、早速、始めようか? 」

 コートに入る、イケ面男。

 久美が、和弘に言った。

「 ちょっと・・ ホンキ? 止めてったら、和弘・・! 」

「 だぁ~い丈夫だって。 任しておけって 」

 片目でウインクしながら、イケ面男の、対面のコートに入る和弘。

 和弘は、ここの所、毎日のように、このコートで久美をコーチしている。 イケ面男も、その姿は見ているはずだ・・ それでも尚、和弘に挑戦を挑んで来たと言うからには、コイツも、ウデには相当な自信を持っていると考えられる。 ホントに、大丈夫なのだろうか・・?

 イケ面男が言った。

「 サービスエースを、最初に3本取った方が勝ちだ。 ライン外でも、ネットタッチしても、打った球は、必ず返す・・! 」

 イケ面男を睨みつけながら、頷く和弘。 イケ面男は続けた。

「 負けた方は、久美さんから手を引く・・ いいな? 」

 和弘が叫んで答えた。

「 望むところだ! ドッチから打つ? 」

 イケ面男は、言った。

「 紳士的に行こう。 キミからで、構わない 」

「 ・・ふっ・・! 後悔するぜ・・? 」

「 どっちが? 」

「 ~~~~~・・・! 」

 怒りで、顔を真っ赤にする、和弘。

 既に、相手の手玉に、取られてんじゃねえか? お前。 大丈夫か・・?


 黄色いボールを数回、コートでバウンドさせ、ゆっくりと構える、和弘。 ふわっと、空中に上げ、見事なスイング。

「 ・・んはうッ! 」

 掛け声と共に、イメ面男の、向かって右コート隅ギリギリの所に、ボールは吸い込まれて行く。 なかなか、いいサーブである。

 しかし次の瞬間、瞬時に移動して来たイケ面男のラケットが、バックハンドでボールを捕らえた。

 ポーンと、訳もなく返される、ボール。

「 ・・・・・ 」

 右横を通り過ぎて行った返球を、追う事無く、微動だにせずにイケ面男を見つめる、和弘。


 ・・・やはり、ヤルぞ? コイツ・・・!


 乱れた前髪を、左手で直しながら、イケ面男は言った。

「 いいサーブだね。 だけど、安直過ぎる。 もっと意外性が欲しいね 」

 ・・・ナンの意味か、分からん。

 多分、和弘も同じだろう。 久美の表情が、険しくなった・・・


 イケ面男が、ニヤニヤしながら、ボールをコートにバウンドさせている。 今度は、和弘の番だ。 絶対、捕れよ? お前・・!

 ボールを左手で握り、顔の前まで上げる。 構える和弘の姿を、ボールとだぶらせ、イケ面男は、ボールを高く空中に上げた。

「 はっ! 」

 短い掛け声と共に、スイング。 ボールは、一直線に、和弘の顔面を襲った。

「 ・・うわっ! 」

 慌てて、ラケットで、顔をガードする和弘。 ボールは、ガットに跳ね、コート外へアウトした。

( ・・ワザと、プレイヤーを狙ったな? )

 フェアじゃない。 ナニが、『 紳士的に 』だ。 コイツは、相当な食わせ者だぞ・・!

「 まず、1本だな! 」

 イケ面男が言った。

「 ・・・・・ 」

 渋い顔で、イケ面男を睨みつける和弘。

 コート内に打った球は、必ず返す・・ 『 ナンでもあり 』の裏腹には、こう言う事もあり、と言う意味だったのだ・・!

「 はっ! 」

 続いて、第2球が、放たれた。 今度も、プレイヤー狙い・・!

「 ・・くっ・・! 」

 胸元めがけて、飛んで来たボール・・! 和弘は、ラケットを構えたが、ボールはラケットのグリップに当たり、大きく弾んでコート外へアウト。

「 和弘っ・・! 」

 たまらず、久美が叫ぶ。

 和弘は、左の掌を久美に見せ、『 大丈夫だ 』と言うジェスチャーをした。 しかし、その表情に余裕は無い。 展開は、和弘に不利だ。 アンフェアだが、2本を獲られている。 あと1本だ・・!


 余裕の表情の、イケ面男。

 彼は、薄ら笑いを浮かべながらサービスモーションに入り、第3球目をサービした・・!


 ・・・のハズだったが、ボールは、イケ面男の足元で弾んでいる。

「 ? 」

 ナンと、空振り・・!

 彼にしては、有り得ないミスなのだろう。 信じられない表情をしながら、足元で弾んでいるボールを見つめている。

「 ・・・助かったぁ~~~・・・! 」

 祈るように、胸で組んでいた両手をアゴ先に付けながら、呟くように言う久美。

( 今のは・・ 完璧にサーブしていたように見えたが・・? )

 もしや・・!

 僕は、隣にいるハンスの方を見やった。 僕の視線に気付き、小さくウインクするハンス。


 ・・・やはり、お前の仕業か! その手が、あったか・・・!


「 キミは、運が良いらしいな 」

 腑に落ちないながらも、そう言いながら、ボールを和弘に投げ返す、イケ面男。

 ・・行け、和弘! ハンスが、テキトーに誘導してくれる。 ドコでもいいから、打てっ・・!

 ボールをコートに弾ませ、左手に取り、サーブモーションに入る和弘。

「 ・・んはあっ! 」

 イケ面男の、わずか左だ。 いいサーブだが、やはり正攻法過ぎる。 ある程度の腕があれば、楽に処理出来るであろう。

 イケ面男は、余裕の笑みを浮かべながら、ボールを捕らえた。


 ・・・ハズだった。


 ボールは、遥か後方を点々としてコロがって行く。

「 ・・・!? 」

 再び、信じられないと言った表情の、彼。

 まさにボールが、ラケットのガットを通り抜けて行ったように見えた。 ・・いや、抜けて行ったのだろう。 彼のガットは、完璧に、和弘のサーブを捕らえていたのだから・・!

「 やったっ! 1本、奪取よ! 和弘っ・・! 」

 小躍りして、久美が喜ぶ。 親指を立て、久美にウインクする和弘。

 もう1発、イッたれ和弘。 これでヤツも、少々、アセる事だろう。

 不可思議な表情で、ラケットのガットを見つめているイケ面男。 だが、気を取り直し、コート内で構えた。

「 ・・んふはっ! 」

 和弘の第2球が、イケ面男の右方に飛んだ。

「 ・・ふっ・・・ 」

 短く笑い、またしても、余裕の表情でボールに追い付く、イケ面男。 ラケットを振り被り、まさに返球しようとした瞬間・・! ボールが大きく落ちた。

「 !? 」

 空振りする、イケ面男。

 ・・・エゲツない、ボールだな。 キレの良い、フォークボールみたいだ。 あんなん、絶対に打てんぞ・・・?

「 きゃあ~~~っ! イーブンよ、イーブン! 和弘、カッコいい~っ! 」

 ぴょんぴょんと跳ねて、喜ぶ久美。

 今度は、和弘の方もびっくりしている。 自分のラケットをマジマジと見つめ、呟くように言った。

「 ・・・捻りでも、入ったかな・・・? 」

 入るワケ、ねえだろうが、あんなタマ・・ 物理的にも解明、出来んわ。

 イケ面男の顔から、余裕の表情が消えた。 これで、振り出しである。 最初に獲った方が、勝ちだ・・!

 ラケットを両手に持ち、クルクル回しながらコートに構える、イケ面男。 和弘が、運命の第3球目をサーブした・・!

「 ・・はあうっ! 」

 もう一度、イケ面男の左・・! 瞬時に反応し、走る、イケ面男。 次の瞬間・・!


 ・・・コケた。


 まるで、何かに捕まえられたかのように両足を揃え、うつ伏せのまま、コート内に倒れた・・!

「 ぶふふっ・・! 」

 点々と、後方へコロがって行くボール。

「 やったあ~っ! 3本、奪取! 和弘おおぉ~~~ッ! 」

 嬉しそうに、コート内の和弘に駆け寄る、久美。 和弘は、久美を抱き締め、雄叫びを上げた。

「 っしゃあああ~~~~っ! 」


 ・・・ブザマにコケた、イケ面男。

 鼻先を、コートで擦りむき、うっすらと血が出ている。


 しかし、最後までクールだ。 むっくりと起き上がると、靴の先を確認しながら言った。

「 シューズの、紐を踏んだか・・ どうやら幸運の女神は、キミに微笑んだようだな。 ま、いつも僕に微笑んでくれているんだ。 たまの浮気くらい、許してあげないとね。 ははは 」

 ・・・相手が、悪かったな、イケ面クン。 こちとら、モノホンの天使がいるのだよ。 牛乳とタクアンで、拡大・縮小するケド・・・

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