第9話、標準的世界

 大きな公園の隣に、隣接して建っている養護施設。 公園の木立に囲まれ、閑静だ。 比較的新しい建物で、白い外壁が緑の木立に美しく映えている。 窓の上部に設けられたひさしのみが明るい茶色に塗られ、外観的にも美しい。

 公園の敷地から続く散策道が、施設への入り口になっており、駐輪場を抜けると、養護施設の玄関アプロ-チだ。


 大きな、ガラス製の自動ドアを入る。

 タイルカーペット張りの広いロビーがあり、幾つかのソファーが置かれてある。

『 聖華女学院 チャリティーコーラス 』の掲示板が立ててあった。

 左側にある受付の中から、女性職員が僕を見とがめ、小さなガラス窓を開けて言った。

「 真一さ~ん、こんにちは~! いつもすみませ~ん。 宜しくお願いしますね~ 」

 小さくお辞儀をしながら、僕は答えた。

「 どうも~ 控え室は、いつものトコですか? 」

「 ええ。 ちょっと子供たちの工作が置いてあって、邪魔かもしれないですけど 」

「 構いませんよ。 じゃ、僕、先に舞台に行ってますんで 」

「 お願いします。 あたしも、後から聴きに行きますからね 」

 廊下突き当たりの部屋の方から、リハーサルしている歌声が聴こえる。 教会の聖歌隊より、格段にうまい。

 僕は、受付の横にあった細い通路を通り、多目的ホールへと向かった。


「 あ、真一さん! いつもすみません。 今日も、宜しくお願いします 」

 ホールへの通路で、1人の女生徒に会った。 香住の後輩の、詩織ちゃんだ。 2年生で、副部長をしている。

「 あれ? 詩織ちゃん、髪・・ 切ったの? 」

 背中まであった、彼女のトレードマークのようだった黒髪が無い。

 詩織は、テレながら言った。

「 思い切って、切っちゃいました! 頭、スゴク軽いんですよ~? 」

 うなじ位の長さになった髪を触りながら、詩織は続けた。

「 実はね、薄~く染めてるの。 分かります? 」

 聖華女子は、厳しい校則で有名だ。 パーマ・脱色はおろか、制服のスカート丈などに至っては、センチ単位で管理されている。 学校指定の校章入り白ソックス以外の靴下など履いて登校して来ようものなら、即、保護者の呼び出しである。

 だが、厳しい校則を見越して入学させる親が大多数であり、規律に対しての反論は無いようだ。 しかし、生徒は現代っ子。 校則違反ギリギリの線で、かくも可愛らしく、自己表現を怠らない。

「 ん~・・・ そうだね。 地毛っぽい茶色だね。 これなら、問題無いだろうね 」

 僕が答えると、詩織は、嬉しそうに言った。

「 あたし、香住センパイみたいに、茶色っぽいのが憧れなんですぅ~ 」

 確かに、香住の髪は茶色っぽい。 時々、生活指導の先生に呼び出しを食らう事があるらしい。 地毛の事実を証明する為に、いつも香住は中学時代の写真をサイフに入れ、持ち歩いている。

 僕は言った。

「 逆に香住は、黒い髪が理想みたいだよ? 1度、黒く染めた事があったな。 金かかるから、続かなかったケド 」

「 え~? そうなんですかぁ~? ん~・・ でも、黒髪のセンパイも、良さげですよね~ 」

 もう1人、ホールから、進行表を持った女生徒がやって来た。 会計をしている宮野という3年生だ。 小柄な身長に、短めの髪型。 丸いフチ無しメガネを掛けている。

「 あ、真一さん! いつもすみません。 今日も、宜しくお願いします 」

 ペコリと、お辞儀をしながら言う彼女。

「 こちらこそ、宜しく。 進行は、どんなカンジ? 何曲、歌うのかな? 」


 ああ・・ 大学の連中と比べ、何と標準的なんだ・・・!


 皆、一般的で、礼儀正しい。 会話もスムーズで、何の障害もストレスも無い。 私立の、有名校の生徒たちであると言う事も加味しているとは思うが、先程までの大学内の情況に比べ、その差は歴然である。

 宮野が、僕に、プログラムを一部、渡しながら言った。

「 全部で8曲ですけど、施設の子たちとの合同もありますので・・ 9曲ですね。 途中、MCが3回。 ・・あ、所長さんの挨拶の時、スポットをお願いしたいんですけど、いいですか? 」

 渡されたプログラムを見ながら、僕は答えた。

「 ああ、いいよ。 ・・録音は、どうする? 」

「 会館の職員の方が、やって下さるそうです。 あの・・ 出来れば、花束贈呈の時も、スポット当ててもらっていいですか? 」

「 え~と、花束贈呈、花束贈呈・・ あ、最後だね。 合同の後か 」

 プログラムの進行を確認しながら、僕は言った。

「 はい。 子供たちが3人、出て来るそうです。 所長さんと、顧問の秋元先生、部長の香住が受け取ります 」

「 OK。 舞台転換は、今日は無いみたいだね・・ じゃ、ヒナ段、設営しようか。 スポットの調整もしたいし 」

「 はい。 お願いします。 みんなを、呼んで来ますね! 」

 僕に一礼し、パタパタと、控え室へと駆けて行く、宮野と詩織。

 う~ん・・ 走り方も愛らしく、初々しい。 その素直なまま、純粋な大人になって欲しいな・・・ 間違っても、初対面の人間に対し、ガムを噛みながら、足組み腕組み状態でパイプイスに座るような『 動物 』にはなって欲しくない。


 ホールに行くと、顧問の秋元先生が、マイクの調整をしていた。

「 あら、真一さん! いつも済みませんね 」

 最近、結婚したばかりの、新婚先生である。 旦那さんは、この施設の職員の人で、毎年恒例の、このコンサートで知り合ったと香住から聞いている。 32歳だが、とても、30過ぎには見えない。 20代前半に見える。 緩やかにウェイブの掛かった、栗色の長い髪が美しい。 涼し気な目元も魅力的で、生徒たちからも慕われている人気先生である。

 秋元先生が言った。

「 マイク、ここしか立てられないの。 例年だと、もっと後なんだけど・・ 今年は、他の施設の子たちも招いたらしくて、客席のイスが、いつもの年より5列も多いのよ。 このマイク、指向性なんだけど・・ 大丈夫かしら 」

 確かに、例年より客席数が多いようだ。 しかし、観客にとって邪魔な位置には、マイクは立てれない。

 マイクを見た僕は、答えた。

「 あ、このマイク、指向角度が変更出来るヤツですよ? ほら、このツマミ・・ 90度から、120度に変換出来ます 」

「 あら、ホント! 気付かなかったわ。 これなら大丈夫ね。 良かった! 」

 ホッとした表情の秋元先生。 僕に、笑顔を見せる。


 ・・・上品な、笑顔・・ ミョーに、ドキドキする、僕・・・

 イカン、イカンっ・・! こんなデレた顔、香住に見られたら、ソッコーで殺されるわ。


 マイクコードを拾う為、秋元先生がしゃがみ込んだ。 黒いストッキングを履いたダークグレーのノープリーツスカートの奥が、一瞬、目に映る。

( はううっ・・! )

 見えたような、見えなかったような・・・?

 想像が更に、アタマに残った残像映像をデジタル修正の如く、着実にエロ化する。

 ごめんなさい、香住・・! 僕、今・・ 確実に、オトナの色気に惑わされてます。

「 じ、じゃ、僕・・ ち、調整室に入ってますね。 すす・・ スポットの照準、か、確認しておかないと・・・ 」

 言葉を噛みながら、僕は言った。

「 お願いね? あたしも、すぐイキますから 」

 ・・イ、イクですと・・? もう? なんちって・・・! イカ~ンッ! これじゃ、及川レベルと変わらんじゃないか! ナニ考えてんだ、僕はっ・・!

 両手で、ほっぺたを叩きながら、僕は、調整室に向かった・・・


 香住たちが、ホールにやって来た。 ヒナ段を出し、ステージの中央に置く。 舞台の脇には、花台も置かれているようだ。 赤いバラ、ピンクのカーネーションなどが、舞台に彩りを添えている。

 ステージ上部から、『 聖華女学院 チャリティーコンサート 』と言う看板が、下りて来た。 香住が、部員たちを組みあがったヒナ段に乗せ、並びのバランスを調整している。

 僕は、調整室のスポットライトに電源を入れた。 光源を最小に絞って、狙いを香住の顔に当て、数回、パッシングする。 気付いた香住が、調整室に向け、小さく手を振った。 僕との『 やり取り 』に気付いた数人の部員が、香住を冷やかしている。 顔を真っ赤にして、恥ずかし気ながらも、嬉しそうな香住。

 う~ん・・ 至福の、ひと時だ・・・


 やがて、秋元先生が指示を出し、発声練習。 綺麗なコーラスが、ホールに響いた。

 特別な衣装は着ていないが、制服姿は、皆同じ格好なので、集団で集まると統一性があり、舞台は、落ち着く。 昔ながらのセーラー服だが、濃紺ではなく、明るい青であるのも幸いしているようだ。 襟と、袖口に入った3本の白いラインが一斉に並び、視覚的にも美しい。 リボン風に結ばれた、薄青い色のスカーフ・・・ 制服の胸当てにある、白い校章の刺繍や、スカーフ留めに刺繍してある『 S・J 』の英文頭文字も、ワンポイントのように綺麗だ。

 小汚い3号館の風景の中にいただけに、僕の目には、いつになく清々しく、清楚に映った。 コントロールパネルのイスに座り、しばらく僕は、美しい歌声に聴き入っていた。


 秋元先生が、曲中の部分を生徒たちに歌わせつつ、調整室にやって来る。

「 ココの所、どうかしら? アルトが高音になって、和音がヤセた感じになっちゃうのよね 」

 僕は、モニターのヘッドフォンで、ライン音声( 舞台前天井にある、吊りマイクからの音声 )を確認しながら言った。

「 ちゃんと、会場には聴こえてるようですよ? どうぞ 」

 ヘッドフォンを、秋元先生に渡す。 しばらく、それを耳に当てて聴いた後、秋元先生が言った。

「 ・・うん、良さそうね。 あと、3番ライト、もう少し落としたいな。 眩しいの 」

 そう言って、コントロールパネルのツマミを、僕の肩越しに動かす。 秋元先生の、胸の膨らみが、僕の肩に触れた。

( はううっ・・・! )

 ステージ上の香住と、目が合う。 歌いながらも、じっと、こちらを凝視している香住・・・ ステージからは、この調整室の中は、暗くて見えないはずだ。 ましてや、一瞬の不埒な感情など、分かるはずも無い。 しかし香住は、何もかも、お見通しであるかのような表情をしている。 他の部員たちは、ほがらかな顔で歌っているのに、香住だけ、気のせいか憎悪を秘めたような表情だ・・! こ・・ こわいよ~・・・!

 秋元先生が、客席へ降りて行った後も、香住の視線は、じっと僕を捉えていた・・・


 ・・・トイレ、行って来ようっと・・・

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