第8話、アジア拳法研究会部室にて

 市川のアジア拳法研究会の部室は、視聴覚室だった部屋で、3号館の中では、一番広い。 準備室を部室とし、視聴覚室にビニール製のスポーツ畳を敷き、稽古場として使っている。 時々、空手部や柔道部の連中が、個人練習用に借りたりもしていた。

 ここにもドアは無く、開けっ放しである。


「 市川~? 」

 及川が、声を掛けながら部室に入る。


 ・・・誰も、いない。


 ガランとした部室・・・ 板の間の床に、ダンベルの重り( 2キロ )が、置き忘れたようにコロがっている。

 壁に掛けられた胴着の、胸の辺りにある赤黒いシミ・・・ 隅には、サビたトゲトゲが、いっぱい付いた鎖付きの鉄球・・・!

 こんなん、何に使うんだ? てゆ~か、どっから持って来たんだ・・・?

 及川が、静かに言った。

「 気を付けろ・・! 油断するな・・・ 」


 ・・・お前、ナニを言ってんだ? おい。

 必要性の無い、余計な余興をするんじゃねえよ・・・!


 手刀を2~3回、はっ、ほっ、と振り回し、ほう? と言う短い声と共に、及川は、足を、じわりと部室の奥に踏み入れた。

 ・・・どうやら僕の危惧するシチュエーションは、全く持って無視されるらしい・・・

 クルクルっと体を回し( その行動については、意味不明 )、部室の中央辺りに踊り出て、再び構える。 手刀を構えたまま、ニヤリと意味不明な笑いを浮かべ、視線をゆっくりと移しながら、部屋の中を見渡す及川。


 ・・・ダメだ。 得体の知れん世界に、勝手にハマっとるわ、コイツ。


 敵の根城に侵入した、孤高の格闘家を気取っているつもりらしい。

 慎重に索敵をしているようだが、ただのガランとした部屋だ。 ドコにも、敵が潜んでいられるようなスペースは無い。

 しかし、そこはアホの及川。

 悦に入っているヤツには、既に、自分の世界に酔いしれており、ヤツにしか見えない倉庫の木箱とか、積み上げられたドラム缶とかが、リアルに見えているのだろう。 はうう・・ とか、ほほう? とか、小猿のようなうめき声を上げながら、室内を動き回っている。


 ・・・ええい、たわけが! 日が暮れるわっ・・・!

 お前は、そうやって一日中、部屋の中を動き回ってても楽しいだろうが、コッチには、予定と言うモノがある。 いい加減にしやがれ。


 ハンスが、僕に尋ねた。

「 なあ、真一。 アレが、社交ダンスか? 」

 ・・・タイムリーな表現だ。 音楽、かけてやろうか? 『 ラストダンスは、私と 』なんて、どうだ?


 散々、部屋中を動き回った、及川。

 気が付いたように、キッと、準備室の方を振り向く。

 ・・やっと、そう来たか。 多分、市川は準備室の中だ。 はよ行け。


 及川が、フフンッ、と鼻で笑い、構えた右手の親指で鼻先をコスる。 ・・お前も、ブルース・リーの映画を、見過ぎだわ。

 ほっ? と言う声と共に、少し準備室の入り口に寄り、構える及川。

 訝しげな表情と共に、もう一度、ほっ? と言いながら、更に接近し、構える。

 また更に、ほ? ほほっ? と接近。

「 ほ・・ 」

 もう一度、言おうとした瞬間、準備室の入り口の向こうから、竿竹( 多分、モップの柄 )が飛び出し、及川の顔面を、ガンッ! と突いた。

「 ぁばっ、ばぶぅっ・・! 」

 意味不明な叫び声と共に、ズダダンっ! と、床にコケる及川。

 ・・むっくり起き上がり、親指の先で鼻をコスる。


 痛かったんだろ? カッコつけずに、泣けよ、お前。


 ゆっくり立ち上がり、シャドウボクシングのように、軽くフットワークを流しながら、何事も無かったかのように、テンポよく体を動かし始めた及川。( 多分、メッチャ痛いのを我慢している )

 ついでに、ヒザの屈伸を始める。( 意味不明:おそらく、痛みを紛らわせているのだろう )

 首を回し、コキコキと鳴らす。 両手をプラプラさせ、ほほっ? と言う声と共に、再び、スッと構えた。


 竿竹( モップ )は、準備室の入り口付近にコロがったままである・・・

 用心深く、入り口に接近する、及川。

 入り口に向かって左側の壁に、スッと背中合わせで立つ。 そこからは、準備室の右奥が見えるようだ。

 ・・どうやら、誰もいないらしい。 残るは、左奥・・・

 及川は、壁に背中を付けたまま、そうっと顔を、入り口のフチから準備室の中に入れ、中の左奥をうかがった。

『 ベシッ! 』

 一瞬、入り口のフチから何者かの素足が見え、及川の顔を蹴った。 蹴られた反動で、物凄い速さでこちらを向く及川の顔。 びっくりしたような表情で、左眼は、痛そうに閉じられている。

 ・・・ハイキックを、顔面に食らったらしい。

 壁際に立ったまま、プルプルと肩を震わせ、じっと僕の方を見ている。 『 今の見た? ホンキで蹴りよったわ、野郎・・! 』と言う訴えが、読み取れる表情だ。


 ・・・なあ? もう、ヤめんか?

 エキジビションとしては、充分、面白かったわ。

 俺、もう香住んトコ、行きたいんだケド・・・?


「 ハイやぁ~ッ! 」

 意味と必要性が、全く無い掛け声と共に、入り口の右側に移動する及川。

 途端、準備室の左奥から、クールな顔立ちの、男のマネキン人形( 全裸 )が投げ付けられた。

「 あいやぁ~っ! 」

 叫びつつ、そのマネキンを抱き止め、床に倒れ込む及川。 素早く、四方四字固めに展開し、マネキンの首を締め上げると言った。

「 ボスは、どこだっ! 言わないと・・ 」

 突然、準備室の中から市川( 上半身、裸 )が飛び出し、マネキンを押さえ込んでいる及川の後頭部を、満面の笑みを見せながら、素足で蹴り上げた。 蹴るだけ蹴った市川は、慌てて巣穴に戻る小動物が如く、準備室の中に逃げ帰る。


 ・・・アホだ、こいつら・・・

 分かってはいたが、再認識・・ と言うか、痛感させてもらった。


「 ほいやぁ~っ! 」

 突然、もう1人、これもまた、アホと認定出来そうな男が、前の出入り口から部室内へと乱入して来た。 ・・・どんどん、ヘンなのが出て来るね、ココ。

 似たような奇声を発するところから推察するに、どうやら、アジア拳法研究会の部員らしい。

 意味不明な前転( 頭を床に付けた瞬間、一瞬、体の動きが止まっている )をし、部屋の中央に来た( コロがって来た )男。 マネキンと格闘している無防備な及川の頭を、掛け声と共に、平手で打ち始めた。

「 はいっ、はいっ、はいっ、はいっ、 ・・へへっ・・! はい、はい、はい、はい、はいいいいいい~っ! 」


 ・・・途中の、一瞬の笑いは、ナンだ・・・?


 たかるブヨを振り払うかのように、男の平手打ちを、右手で制する及川。

「 痛て、痛てっ・・! ヤメろって、この・・! 」

 この男・・ さっき、1階のロビーで寝ていたヤツじゃないか・・! 市川ンとこの、部員だったのか。

 ハンスが、ワクワクするような目をしながら、僕に言った。

「 新しいキャラの登場だね! 退屈させないね 」


 ・・・充分、しとる。 もう帰りたいわ・・・!


 男は、マネキンの腕をスポッと抜くと、それを及川の首に掛け、エビ反らしのように後へ引き上げた。

「 ほほお~おおぉぉ~~? 」

 ほほお~、じゃない。 及川の首、ミシミシ言ってるがな。 死ぬぞ・・・?

 アホは、加減を知らないから困ったものである。

 たまらず僕は、部室に入り、手を叩きながら言った。

「 はい、カット、カットォ~! お疲れ~! ちょっと、小休止しよかあ~? 」

 男は、嬉しそうに落ちていたダンベルの重り( 2キロ )で、僕の後頭部を思いっきり殴った。


 ・・・アホの行動は、計り知れない。 このクソアホウは、一体、何ちゅうコトしてくれよんじゃ、ホンマ・・・!


 僕の脳裏を、幼き頃の思い出が、走馬灯のように駆け巡った。

 次に、まぶたに映るは、夕日に煌く渚を、嬉しそうに笑いながら駆けて行く、愛しき香住の姿。

『 ほ~ら、真一ぃ~・・! 』

『 やったなぁ~? そら~! 』

『 あはは! きゃっ、きゃっ! 』

 ああ・・ 耳に響く、エコーの掛かった愛しい香住の笑い声・・・


 ・・・死ぬわッ!


 瞬間、三途の川が見えたような気がするぞ、おいっ!

 隣にゃ、ご丁寧に、天使までいるんだ。 ソッコーで、天国まで『 ご案内 』されたらどうしてくれンだよっ!


 及川が、マネキンを放して言った。

「 座興は、ここまでだ。 中々、ウデを上げたな、お前ら・・! 」

 ・・・どのレベルを基にして、ウデを上げた、っちゅうの? お前か? 確かに、コメディー路線としてなら、評価をやってもいいぞ? ・・40点な。

 準備室から、市川が出て来た。

 素足に3本線のラインが入った青いジャージを履いている。 最初、スウェットかと思ったが、見事にヘボジャージだ。 しかも、出身中学の物らしく、名前と『 3の2 』と書いた白い布が、お尻のポケットに縫い付けてある。

 アバラの見えるヤセた体格に、ニキビ顔・・ 相変わらず、チープなフンイキだ。 池袋の路地裏辺りで、カラーズのヤンキー共に絡まれ、金を巻き上げられていそうなキャラである。

 市川が言った。

「 もう少し、バイオレンス的に行こう。 迫力に欠けるな 」

 ・・・お前らじゃ、無理だ。 ヤメとけ。

 途中で乱入して来た男が言った。

「 市川先輩、自分、ヒゲ生やします! 迫力出ると思います! 」

 てめえは、まず、俺に謝らんか! いきなり、ダンベルウエイトで後頭部、殴りやがって・・・!

 僕が睨んでいると、彼はニコニコしながら、僕に言った。

「 殴られた後の演技、良かったですよ? 」

 ・・・演技じゃねえ! お前にも、してやろうか? 見事に、三途の川が見えるぞ? ハイデジタルのクリアビジョン、75型ワイド画面でな。

 及川が言った。

「 ハンス君の設定は、テコンドーの使い手だしな。 こりゃ、面白い絵が撮れそうだ・・・! ウデが鳴るぜ 」


 ・・・そんな設定、いつ決めた? 恋愛モノだったんじゃなかったのか? おいっ!


 どうやら、この『 新作 』も、ハチャメチャな展開になるような気がする・・・

 スタッフ以下、キャスティングがどうこう言う以前の問題だ。 更に、ヤツは監督として、その『 手腕 』とやらを発揮する前に、一度、友好関係をリセットした方が良さそうである。

 及川は、ハンスの肩に手を置きながら言った。

「 とにかく、イケ面主役のハンス君がいれば、大丈夫だ。 今度の作品は、イケるぞ! 」


 ・・・ねえ? 主演ってさ、サエコ君だったんじゃないの?

 及川・・ お前、忘れてない? お前の、映研の部室で、群馬の家出少女が寝てるんだケド・・? 今のうち、近くの交番に、寝たまま置いて来いや。 な?


 及川が、手を叩きながら言った。

「 ようし! 今のシーン、もう一度、カメリハしよう! ハンス君、さっきの僕の動き、トレースして。 ・・イッてみようかぁ~! 」

 ・・・付き合っとれん。 俺は、帰らせてもらう。 ハンス、みんなと仲良くな。 テキトーに天国、連れてってもいいぞ? あ・・ 映研の部室で寝とる動物は、うっとおしいから、雲の階段の途中から落とせ。 多分、途中で燃え尽きて、地上には届かないだろうから。


 僕は、香住の学校近くにある、養護施設へと向かった・・・

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