第2話、招かざる客

 衣のような、白い上着。

 素足に、サンダルのようなものを履き、髪は、長めの金髪・・・


 僕は、彼の装束も気になったが、最大の感心事は、何と言っても彼の背中にある羽だ。

 どこかで、イベントでもやっているのだろうか? しかも、今・・ 池の上に、浮かんでたぞ・・・? イリュージョン役者かな?


 ・・僕は、香住を見た。


 香住は、目を真ん丸にしたまま、じっと彼を凝視している。 どうやら、僕の見間違いではないようだ。 香住も、宙に浮かんでいた彼の姿を確認している・・・!


 立ち上がり、ザバザバと池のフチに歩み寄る、彼。

 コンクリート製の池のフチに足を掛け、池から上がろうとしたが、水に濡れたサンダルで足を滑らせ、再び、池の中に倒れ込んだ。

『 ドバシャーン! 』

「 ぶっ・・ ぶわっぷ・・・! 」

 ベタなコントのように、池の中でもがく、彼。

 僕と香住は、笑う事も出来ず、じっと彼を観察していた。

「 はあ、はあ・・! ち、ちくしょう・・・! ぺっ、ぺっ! 」

 再び、立ち上がり、彼は池の中を歩き出した。

 先程、池の中に落ちたコーラ缶を踏み、ゴロッとコロがる足元に体勢を崩して、再度、水の中に倒れ込んだ。

『 バッシャーン! ゴキッ・・! 』


 ・・・何か、今、鈍い音がしたぞ?


 状況的に判断すると、後頭部を、池の底に打ち付けたらしい。

 物凄いマジな顔をして、こちらを見つめる彼。 両手で後頭部を押さえている・・・ 『 い、今の音、聞いた? すっげ~痛いよ? 』というような訴えが読み取れる表情である。

 彼は、池の中で体育座りをして、両手で後頭部を押さえたまま、顔を両膝に埋め、唸り始めた。

 相当に痛かったらしい・・・ 顔を埋めたまま、ゆらゆらと体を前後に動かし、唸っている。 もしかしたら、泣いているのかもしれない。

「 ・・だ・・ 大丈夫? ねえ? 」

 恐る恐る、僕は尋ねた。

「 だ・・ 大丈夫さ。 へ、へへへ・・・ 」

 平静を装っているが、後頭部のダメージは、かなりのものらしい。 笑っている顔が、引きつっている。

 手を池の底につき、立ち上がろうとしたが、池の底のヌメリで手を滑らせ、尻もちを突いた。

 途端、彼の表情に、戦慄が走る。 嗚咽のようなうめきを上げ、プルプルと体を震わし始めた。

「 ? 」

 よく見ると、彼が、尻もちを突いた辺りに、噴水の配管があった。 配管には、規則正しい間隔をおいて、噴水の噴出口があり、彼の尻は、その規則正しい配列間隔の真上にある。


 ・・・すなわち・・・である。


 優に、ヒトの指、3本くらいの太さはありそうな鋼鉄製の噴出口で、である。 想像するだけで痛そうだ。 コイツは、効いたであろう・・・

 ヒックヒックと、しゃくりあげながら、激痛に耐えている彼。


 ・・・そっと、このまま、ここを立ち去った方が、彼の名誉の為かもしれん・・・


 よろよろと立ち上がり、何とか、池のフチまで辿り付いた彼。 コンクリート製のフチに突っ伏し、しばらく唸っていた。

「 あのぉ~・・ 大丈夫・・ です・・・? 」

 再び、尋ねる僕。 不思議な事に、先程見た彼の背中の羽が、無くなっている。 やはり、目の錯覚だったのだろうか。

 彼は、突っ伏したまま、僕の方を見ないで言った。

「 ・・・君ンち・・ 近い? 」

「 え? え、ええ。 下宿だけど・・ この近くです 」

 僕が答えると、突っ伏していた顔を上げ、僕の方を見ると、彼は言った。

「 ○ラギノール、ある・・・? 」

「 は? 」

「 軟膏だよ・・・! 塗っても良し、注入しても良しってヤツだよ・・・! TVでもCM、やってるだろ? 知らんのか? 」

 涙ながらに答える、彼。

「 い、いや、知ってっケド・・ 僕は、痔じゃないから・・・ 」

 彼は、再び、コンクリート製のフチに突っ伏し、両拳を握り締めながら言った。

「 な・・ 無いのか・・! ○ラギノール・・・! 」

 ・・・大変、悔しそうだ。 声は、涙声になっている。

 香住が言った。

「 公園入り口から、駅の方に行った所に、薬局があったわよ? 売ってるんじゃないかしら 」

 その声に、瞬時に反応して顔を上げ、ナゼか僕の方をじっと見つめる彼。

『 ・・・当然、買って来るよな? お前 』

 そんな目だ。

( ヤだよ! なんで俺が、そんな薬、買ってこなきゃならんのだ! )

 僕は、目で、彼に返した。

『 ・・・・・ 』

 もの凄い、表情をしている。 体調が回復したら、ボコすからな、テメー・・・! というような、明らかな殺意を秘めた表情である。

 仕方なく、僕は言った。

「 じゃ、買いに行こう。 なんだったら、僕の下宿に来ます? 狭くて汚いトコだけど・・・服も、乾かさなきゃ 」

 彼の目は、途端に、にこやかになり、言った。

「 いやあ~、助かるなあ~! やっぱ、持つべきものは、友だねえェ~! 」

 ・・・僕、アンタの友だちでも、何でも無いんだケド・・・?


 ずぶ濡れの彼を引き連れて行ったところ、薬局のオヤジは、かなり警戒したようだった。

 ○ラギノールを下さい、と言ったら、かなり躊躇し、商品名を何度も聞き直して来た。

 ちくしょう・・! 今日は、大好きな香住との大切なデートの日なのに・・・ 何で、痔の薬なんぞ買ってんの? 僕。 こんな、良い天気の日なのに・・・

 どうやら、余計な厄介者と、知り合ってしまったようだ。 まだ、あの、クソガキ共の方がマシだ。 ボールを投げていれば、いいんだからな・・・


 僕は、2人を下宿へ案内した。

 中央線の高架脇にある、築35年の安アパート。 2階建ての木造だ。 壁に塗ってあるグレーのペンキは、あちこちが剥がれ、ひなびた印象を、より一層、鮮烈に印象付ける。 大屋は、今年80になる、『 おきぬ 』と言う、お婆さんだ。 住人( ほとんどが、貧乏大学生 )からは、通称、『 おきぬさん 』で通っている。

 入り口側の壁半分だけ、不可思議にペンキが塗り直されているが、これは、塗り始めたおきぬさんのご主人が、2年前に脳溢血で亡くなった名残である・・・

「 すんげ~ボロいんで、あんまし、案内したくないんだけどな 」

『 すみれ荘 』という、木製の札が掛かった入り口の前で僕は、彼に言った。 彼は、お尻を押さえつつ、不安そうな顔でアパートを見上げながら言った。

「 コレ・・ 映画か何かの、セットか? 」


 ・・・住んでんだよ、人がな・・・!


 ガラス戸を、ガタピシと開ける。

 薄暗い、玄関。 ホネの折れた傘が差し込んである傘立ての横に、木製の下駄箱がある。

 『 弐の壱 』と書いた、黄色に変色した小さな紙が貼ってあるスペースを指差し、僕は言った。

「 ココが、俺のスペースだ。 そのサンダル・・か? そいつを入れてくれ 」

 消し炭で、磨いたかのような光沢を放つザラ板に上がり、彼は言った。

「 時代が30年くらい、止まってんじゃないのか? ここは 」


 ・・・甘いわ。 50年は、止まってるな。

 むやみに、その辺のモンに触るんじゃないぞ? 不発弾が、爆発するかもしれんからな・・!


 僕が先に立ち、廊下を歩く。

 床の板木は、歩く度に、1枚1枚が独立してしなるのが、ハッキリと分かる。 おそらく、震度5で、完全倒壊するであろう。

 香住は、しょっちゅう来ているので良いが、初めての彼は、かなりのカルチャーショックを受けているようだ。 まあ、当然だろう。 初めて来た時は、香住もかなりの衝撃を受けていたからな。 ココへの初訪問は、昼間に限定される・・・


 玄関脇の共同トイレ( 中は、見るもおぞましい )を過ぎると、各住人たちの小部屋である。 小さな磨りガラスがはまった木製のドアが並んでおり、その多くのガラスは、角が割れていた。

 人気を感じたのか、一番手前の部屋の住人が、その割れた穴からこちらを見る。 目と目が合うと、慌ててその部屋の住人は、部屋の奥へと姿を隠した。


 ・・流れ着いたお尋ね者を、格子の間から見る村人のような行動、するんじゃねえよ。ブキミじゃねえか。


 この部屋の住人は、何と、12年も、大学へ通っている。 確か、工学部だ。 僕も、この住人( 男 )には、あまり近寄らない。 昼間は、この部屋にこもり、ナゼか、夜になると大学へ行く。 一体、何しに、行くのだろう・・・?


 突き当たりに、階段がある。 これまた、木製のうえに、恐ろしく急階段である。

「 急だから、気を付けてくれよ? 」

 ココで落ちて、またケガでもされたら、たまったモンじゃない。

 ミシミシと音がする階段を登りながら、彼は言った。

「 なあ・・ ココ、月いくら? 」

「 3650円 」

「 安っ! しかも・・ 何気に、中途半端な端数。 その、50円って、ナンだ? 」

「 知らないよ。 前に住んでいた先輩から紹介されたんだけど、その先輩が入る前から、変わってないらしい 」

「 食事は? 」

「 朝は付く。 夜は、言っておけば、大屋のおきぬさんが作ってくれるよ? 」

「 う~む・・ そう考えると、かなりの好物件だな 」

 コイツ、住むつもりか?

 今のところ、空室は無い。 何せ、安いからな。 ほとんど卒業前に、後輩との間で、話し合いがつく。 僕の部屋も、ゼミの後輩が、来年の春から入居予定だ。 ただし、留年したら、1年撤回だがな・・・


 僕の部屋は、2階の、一番東だ。

 廊下の角が、死に地なので、荷物が置けて便利である。時々、置いてあったモノが無くなるが・・・ 逆に、置いた覚えの無い荷物が、増える事もある。

 この前は、買った覚えの無いエロ本が大量に山積みされており、香住に殺される所だった。


 ドアを開けて、2人を招き入れる。

「 さあ、どうぞ? 散らかってるからね。 足元、気を付けて 」

 畳敷の、6畳間。

 小さな流し台がある以外、ナニもない。 寝床代わりにしている、コタツと座椅子。 パソコンに戸棚・・・ 鴨居には、ハンガー( 百均で購入 )掛けの洋服が並び、木枠の磨りガラス窓には、ロープ掛けした、昨日の洗濯物が干してある。 電子工学を専攻している為、それらの参考書や関連雑誌が、部屋中に散らばっており、正直、自分でも歩き難い。

 香住が言った。

「 もう~、真一ぃ~! ちゃんと片付けなくちゃ、ダメじゃ~ん! 」

 香住が、僕の部屋に入ると、いつも言うセリフ。

 床に散乱した雑誌を手に取り、とりあえず戸棚の上に置く。 これも、いつもの事だ。

 次は、流し台に取り付き、再び、いつものセリフ。

「 また、お鍋、洗ってなぁ~い! 」

 昨晩の、自炊の後片付けに入る、香住。 ありがとう。 愛してるよ・・・!

 僕は、座布団を裏返し、彼に座るよう勧めたが、裏側の方が、もっとボロく見えたので、最初の面を出した。

 座りながら尋ねる、彼。

「 お前さん、真一って言うのか? 」

 彼の対面に座り、僕は答えた。

「 ああ。 アッチの彼女は、桜 香住だ。 そう言えば、あんたの名前を聞いてなかったな 」

「 オレの名前は、ポチだ 」

「 ・・・・・ 」

「 冗ぉ~~~談だよ。 怒るなよ 」

 怒っとらん。 もしかして、ホントかと思ったぞ?

 彼は言った。

「 オレは、サミュエル・ハンス・クリューゲル・ハインリッヒ・ルフトハンザ・ジャン・フレデリック・ヒュッテル・ウィリアム・フロイツバーグ・フランシスコ・デ・ポンヌ・シュライバーⅢ世だ 」


 ・・・もう一度、言ってみい。


 航空会社の名前、言わなかったか? 今。

 ウィリアムだの、ジャンだの、ハインリッヒだの・・ 英仏独、ごちゃ混ぜじゃねえか。 ホントか? しかも、ナンか、懐かしい金管楽器のメーカーも聞こえたような・・・

「 まあ、長いから、ハンスでいいよ 」

 だったら、最初からそう言え、つ~のっ! ど~も、信用ならんな・・・!

 僕は、怪訝そうに言った。

「 歳は? 僕と、そんなに変わらないように見えるケド・・・? 」

「 いくつ・・ だっけかな? え~と・・ 」

「 何年生まれ? 」

「 あ、西暦30年 」


 ・・・殺すぞ、お前。


 ナニが、『 あ 』だ。 さり気なく、思いっきし信憑性の無い事、言いやがって・・・! 2000年近く、生きてるってか? 仙人の域じゃねえか。

 僕は言った。

「 ・・それ・・ キリストが、処刑された年号じゃないの? 」

「 まあ、どうでもいいじゃないか、そんなコト。 タメで行こうぜ、タメで! な? 」

 僕の肩を、ポンポン叩いて言うハンス。 ミョ~に、馴れ馴れしい・・・

 香住が、洗い物のついでにお茶を入れ、お盆に湯飲みを乗せて持って来ながら言った。

「 外国の人って、とってもフレンドリーで好きよ? お茶、飲む? 健康に良いのよ 」

 ハンスが、嬉しそうに言った。

「 おお~、こりゃ、緑茶じゃないか! イイ香りだねえ~・・! 久し振りだな~ 」

 ズゾゾ~、と茶をすする、ハンス。 僕も、ご相伴に預かりながら、ひと口飲む。

 暖かな春の日差しが、磨りガラスから降り注ぎ、何とも平和だ・・・

 僕は、この平和なフンイキを乱さぬよう、話題を変えた。

「 ところで、ドコの国の人? 日本語、うまいね 」

「 天国だよ 」

「 ・・・・・ 」

 触れたくない観点なのだが・・・ 最初、公園で見た時も、情況には、かなりの違和感があったように思う。

 あと、目の錯覚だとは思うが、彼の背中に生えてた羽・・・

 出来れば、こうして平和に、茶など、すすっていたいのだが・・ どうしても、解明しておきたい事があるのは、事実だ。

 ハンスは、僕らの心情を察したのか、湯飲みをコタツの上に置くと、手品のように、バサッと羽を出して見せた・・!

 その情景に、再び、固まる僕。 香住も、湯飲みを持ったまま、氷結している・・・

 ハンスは、羽を振りながら言った。

「 コケた時に、スジを傷めたらしい・・・ このままじゃ、飛べないよ。 しばらく、ココに、厄介になるからな 」

 スッ、と羽をしまう、ハンス。

「 ・・・た・・・ 大した芸当じゃないか・・・? 種を明かしてくれよ 」

 僕の問いに、ハンスは言った。

「 信じる、信じないは、勝手さ。 だけど、オレは、あんたらの目の前にいる。 これは、事実だからな? 」

「 よ、よし・・・ 仮に、お前さんが、天使だとしよう・・・ 今、何気に軽~く、ココに、やっかいになるって言ったか? 」

「 おう。 宜しく頼むわ。 お前、イビキかく? オレ、静かでないと寝れないんだよな 」

「 てゆ~か、話しの進行を進めんな! 勝手に決められても困る。 ここは、簡易宿じゃねえぞ? 」

 香住が叫んだ。

「 素晴らしいわ、真一! やっぱり・・ やっぱり神様は、いたのよ! 凄いわっ! 奇跡よっ? しかも、こんな汚いトコに来たのよっ! 」

 両手を胸で組み、ウルウル状態の香住。

 ・・・汚いトコだけ、余分です。

 まあ、クリスチャンの香住にとって、こんな嬉しい事はないかもしれん。 何てったって、本物の天使( らしき者 )が、いたんだから・・・! 出来れば、厳粛な教会なんかで、逢えたら良かったね。 畳敷きの6畳間で、コタツに入って、茶などすすってんのよ? この天使・・・

 香住は、ハンスの前の畳に、ひざまずいて目をつぶり、右手で十字を切った。 左手に、湯のみ茶碗( ちょっと、フチが欠けている )を持ったままである。

 僕は言った。

「 ただでさえ、ムサ苦しいのに・・ 野郎2人で、寝泊り、すんのか・・・ 」

 ハンスが提案した。

「 女の子に、変身してやろうか? 」

 その言葉に、聖母のようだった香住の顔が豹変し、僕を睨む。

 殺意すら感じる、香住の視線・・・! 金縛りにあったように、僕は答えた。

「 が、ガマンするよ・・! 何てったって、ハンスは天使だからな。 ひとつ屋根の下で寝泊りすれば、ご利益もあるかもしれないし・・・! 」

 うんうん、と、うなずく香住。

 どうやら、面倒くさい事になって来たようだ。 何と僕は、天使と同居する事になった・・・

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