腕の見せどころ
二十歳の自分に宛てた手紙には、あるものが同封されていた。
半分に折られた小さなプリント。そこには「二〇一八年一月二日、××小の南門前、夕方六時集合! みんな来てね」といった簡潔な情報が記されていた。女子らしい丸まった字で。
同窓会が開かれることは知っていた。八年前、場所と日時をクラスメート全員で決めていたから。
成人式の前に会っておきたい。そんな願望が出たため、発案者の誰かが司会になって話し合いの場が設けられた。黒板に書かれた候補日に、私は乗り気がしなかった。
年末年始は山口ではなく広島で過ごしていた。三が日に曾祖母の家に集う習慣を崩せるものか、小学生のころは判断に迷った。
この日だと都合が悪い人と訊かれたとき、挙手したのは私だけだった。
二十歳になれば、その習慣が変わっているかもしれない。そんな説得に応じて日程が決まった。
もちろん待ち合わせ場所には行った。中学時代の友人と初日の出を見に登山する約束もあったため、ハードスケジュールになった。一度帰省して三十一日の夜に山口に戻り、登山した後で広島に行って初詣と挨拶回りを済ませる。そして二日の約束に間に合うよう、三時ごろには実家に着くという日程が組まれた。運転を担った父には感謝しきれない。
「誰も来ないに決まっている。期待するだけ無駄」
母はそう忠告したが、私は疑わなかった。久しぶりに学校まで歩いていくと言って、出掛ける準備をした。そんな様子に呆れたのか、哀れに思ったのかどうかは分からないが、母は夕飯の買い出しついでに車で送ってくれた。
学校近くの総合スーパーに着いた時間は五時四十分ごろ。校門付近に人はいなかった。母と別れた私は、間に合ったと白い息を弾ませながら陸橋を駆け下りた。
校門前でクラスメートを待っている間、私は考えをめぐらせていた。
八年という時間は長いようで短い。中学、高校、大学二年間と楽しく駆け抜けた。あどけなかったクラスメート達は、どのような思い出話を持って来るのだろうか。
皆を待つときの感情は、楽しさだけではなく恐怖も含んでいた。私のことを覚えているだろうか。出会ってすぐに、私は皆の名前を言えるだろうか。
寒さと複雑な感情に振り回されながら、とある小説を思い出していた。太宰治の「待つ」を。
どなたか、ひょいと現われたら! という期待と、ああ、現われたら困る、どうしようという恐怖と、でも現われた時には仕方が無い、その人に私のいのちを差し上げよう、私の運がその時きまってしまうのだというような、あきらめに似た覚悟と、その他さまざまのけしからぬ空想などが、異様にからみ合って、胸が一ぱいになり窒息するほどくるしくなります。
初めて読んだときに感じた思いと現在進行中の思いが重なり、思わずコートに顔をうずめた。小説の中では「私」が誰を待っているのか語られなかったが、羽間の場合はどうか。わくわくしながら待ち続けた。
それから二十分後……。
約束の時間になっても、誰一人来なかった。
時間厳守が恥ずかしくて、数分遅れてくるのだろうか。
手持無沙汰に、腕時計の時刻が合っているかどうかスマートフォンで確認した。
六時を過ぎて校門を通り過ぎる人はいた。だが、親子や年配の人ばかりで該当者はいなかった。三分、五分、十分と時計の針だけが動いていく。
十五分を過ぎたころ、もしかしてと思って北門にも行ってみた。だが、誰もいない。
「何で。何で誰も来ないの」
正門に戻って、ぽつりと本音がこぼれた。
来た奴を笑ってやろう。そんな魂胆でも来てほしかった。
気付けば六時半を過ぎていた。私の前に一台の車が止まり、窓が開いた。それはクラスメートではなく母の車だった。
「乗って!」
私は首を縦に振らなかった。
「でも、待っていれば誰か来るかもしれない」
煮え切らない思いは、そんな訳ないでしょの一言で砕け散った。四十分以上待っても来ない者は来ない。その理論で待つことをやめた。
車を走らせながら、母はまさか冗談が現実になるなんてと呟いた。
「成人式に合わせたんじゃない? 関東に進学した人は、また行って帰らないといけないから」
「……そうかもね」
中四国または九州に進学している人は比較的帰省しやすいが、関東は費用が掛かりすぎる。
帰宅するまでの間、私はぼんやりと道路を眺めていた。三十分ほど歩いて通学した思い入れのある道。その道を辿って母校に向かう影はいなかった。
意外にも私は素直さを持ち合わせていたのかもしれない。約束が守られるものと思い、寒空の下ひとりで待ち続けた。
あの出来事で一つの教訓を得た。同じ価値観を持ち続けることは容易ではないと。待ち合わせの約束がどれほど清らかで残酷な意味を持つものなのか、痛いほど思い知らされた。
待ち合わせが面倒になったのだろう。それとも、店を予約するようなきちんとした同窓会ではなく、ただ集合を呼び掛けただけだったからだろうか。
自分ぐらい行かなくても誰かが行くだろう。そんな思いを抱く人もいたのかもしれない。あるいは私が暗黙の了解に気付けなかっただけなのか。
そんな否定的な考えばかりが脳裏をかすめる。
何か明るいことを考えようと、同窓会があれば笑い話として披露するかと思案してみた。だか、すぐに首を振った。
当時の担任でさえ待ち合わせ場所に来ないようなクラスに、同窓会の話が持ち上がるかどうかは謎だ。
せめてもの救いは創作だろうか。
楽しい事だけを小説に書くのはつまらない。怒りや嫉妬、悲しみもキャラクターを強くさせる大切な一要素だ。守られなかった約束を嘆く人の気持ちを知れたことは執筆の糧になるかもしれない。
この体験を参考に切なさをどう織り込むのか、書き手にとって腕の見せどころだ。ただでは転びたくはない。だからこそ、負の感情に呑まれて物語を駄目にすることのないよう、さじ加減には気を付けなければ。
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