星守りと星盗み

碧音あおい

リズとベッツィ

 この世界の人は、星と共に生まれる。世界のどこかで誰かがひとり生まれるたびに、宇宙のどこかで星もまたひとつ、生まれるのだ。そして誰かがひとり亡くなると、星もひとつ消える。人が増えれば星も増え、人が減れば星も減る。この世界はそういうことわりだった。

 しかし、例外はある。

 例えば、星守ほしまもり。彼らが生まれたときはひとりにつきふたつ、星が増える。そのふたつの星の大きさは親子のように違っていて、大きな星が纏う円環の間に小さな星がある。まるで大きな星が小さな星を守っているかのように。

 例えば、星盗ほしぬすみ。彼らが生まれたときはひとりにつきひとつ、星が減る。星が生まれるのではなく、消えるのだ。彼らとは関係のないどこかの星が。まるで誰かに盗まれでもしてしまったかのように。

 人は、地上から星を見上げる。様々な人が、様々な星を。科学の力を使って。魔術の力を使って。

 彼らは常に、星と共に生きている。




 ベッツィは石畳で舗装された路地裏にある、粗末な家の二階にひとりで住んでいた。頑丈な石で綺麗に造られ維持されている他の家々とは違い、かなりぼろぼろだ。あまりにぼろぼろなので一階はほとんど物置──というよりごろた場のようになっている。秋冬の隙間風は突き刺さるように肌を刺すが、春夏の日当たりは意外と良く、それに雨はしのげるので充分だとベッツィは思っている。

 彼女は日の出と共に起き、共有の広場にある井戸からかめに水を汲んで家を数回往復する。それから服やシーツを洗って干し、手や身体を拭き着替えたり髪をすいたりする。それから日持ちのするパンと簡単なスープを用意してそれを食べた。

 そして、いつも寝台の傍に置いてあるランタンに火を入れ直す。ベッツィは爪の先に火を灯すくらいのささやかな魔術は、本がなくともすっかり使えるのだ。たぶん親譲りなのだろうとベッツィは思っている。じじじ……と火を灯すランタンは、彼女の紅い瞳と同じ石──おそらくは宝石だろう──がところどころに使われている。綺麗で綺麗で、それはベッツィの特別の宝物だ。それにこのランタンには変わった術式が組み込まれているようで、ベッツィの魔術によって火を灯すだけで、誰も入れない結界を張れる。おかげで虫やネズミが入ってくることもなく衛生的だし、防犯の面でも安心できる。いい事づくめだ。

 そしてベッツィは、そのランタンの灯火の中で、星を飼っていた。──秋の星、とベッツィは呼んでいる。ベッツィの身体からこぼれたのが秋だったからだ。

 これは、地上から見上げる本物の星とは違う、偽物の星だ。けれど人は宇宙の星と生まれると共に、その身にかりそめの星を宿すと、数日後にその星を身体から排出する。こぼれた星は見上げる星のようにまたたき、炎を糧としながら生き物のように生きている。だから人は、ランタンに星と共に火を入れて飼っているのだ。

 ベッツィはいつものように煌々としているランタンに向かって手を合わせて目を閉じると、その星に向かってお礼を告げた。──いつもありがとう。わたしは元気だよ。きみのおかげだよ。今日も一日よろしくね。──そんなふうな言葉たちを。ベッツィが言葉をかけるその度に、返事の代わりとばかりに、ランタンの中の星がひときわ強くきらめく、そんな気がした。

 そんなふうにベッツィが毎朝のランタンとの会話を終えて、食器を洗おうとかめの置いてある水場に向かっていると、キィィイイイン──……と、耳には聞こえない、けれど頭に響く音がした。これは、誰かが結界へと強制的に干渉しようとしたときに響く音だった。そしてベッツィは、その原因に心当たりがあった。絶対にあの子だ──と。

「──リズ!」

 ベッツィはその場に食器を放り出すと、二階の窓を開けて外の階下へと叫んだ。果たしてそこには、ベッツィの予想通りに少女がひとり、ランタンを片手に、反対側の手を振って立っていた。──星守ほしまもりと呼ばれる少女が。




「おはよー、ベッツィ! もうご飯は食べたー? ねーねーあたしいいもの持ってきたんだけどー!」

「ちょっと……!」

「あのねー、あたしママに教わって焼き菓子作ってきたんだー! ほらこの時期って甘ずっぱい赤い実いっぱいなってるでしょー? それと蜂蜜いっぱい使ってさー!」

「リズ!」

「だからベッツィと一緒に食べようと思ってー!」

「聞いてよ!!」

「聞いてる聞いてるー! だから結界解いてよー!」

 リズが笑顔のままぶんぶんと手を振ってくる。いつものこととはいえ、頭が痛い。今もなお響く結界の干渉音と目の前の光景との両方で。ベッツィは目頭を軽く押さえると深く深く嘆息し、それから寝台の傍にあるランタンに触れて魔術を使った。灯火を消したのだ。途端、頭に響いていた干渉音が止む。ベッツィはまた息を吐いた。

 ベッツィは再び二階の窓からリズを見下ろすと、無言でリズを手招きした。リズは元々明るい表情を更にぱあっと明るくすると、弾んだ足取りでベッツィの家に入ってきた。それを見たベッツィはあらためてランタンに灯火を灯し直す。外に向かって弾こうとするこの結界は、一度内側に受け容れさえすれば干渉は起きない。

 やがてリズの軽快な足音が聞こえ、彼女は二階の部屋に入ってきた。木製の扉が勢いよく開く。

「おっまたせー! ベッツィ!」

「……待ってない……」

「あたしは待ってたよー、今日もベッツィに会えるの!」

 ベッツィは相変わらず静かだねー、と笑うリズを見て、ベッツィは今度は内心だけで嘆息した。リズがにぎやかすぎるだけだと思う。そんな言葉は言えなかった。ベッツィはリズ以外の同年代をよく知らない。

「君もおはよー、『ベッツィの秋の星』!」

 リズはベッツィのランタンを覗き込んで声をかける。そして乾杯でもするかのように、リズが持っていたランタンを近づけた。ふたつのランタンの灯火が同じ調子で明滅する。まるで挨拶を交わし合うかのように。

 リズのランタンは蝶々があしらわれたランタンだ。色は彼女の瞳と同じくるみ色。けれどその細工が繊細で、決して地味さは感じられない。むしろ明かりを灯したときほど、影に浮かぶ蝶々の躍動感に心が動かされるほどだった。そして中にある星の数はふたつ──星守ほしまもりの証だ。

 リズはそのランタンをベッツィのランタンの隣に置くと、傍の寝台に腰を下ろした。んーっと大きく伸びをする。その様子を見たベッツィが思わず口を開く。

「……今日は随分と来るのが早いんだね、リズ」

「うん、今日は起きれたからねー! それにベッツィは今日はお仕事お休みって言ってたしー。はいこれお菓子! 昨日作ったんだけど、うまくいったんだよー!」

 リズは肩掛けにしていた鞄から布に包まれたものを取り出すと、寝台から飛び降りる勢いでベッツィのいる小さな机にそれを置いた。手早く布をほどくと、中から半分に切られた焼き菓子が出てきた。焼き菓子の中身は果実をぎゅうぎゅうに詰め込んだかのように濃く赤く、網目状の菓子の表面は光を弾いてつやめいている。──おいしそう、だった。ご丁寧に木製の小さめのお皿と、ナイフとフォークまでが別の布に包まれていた。ベッツィがリズを見ると、リズは殊更ににっこりとした。

 その瞬間、ベッツィは陥落した。

「……飲み物、取ってくる。羊のミルクがあったはずだから、あっためてくる」

「ありがとーベッツィ!」




 リズが母親と作ったという菓子は、一言で表すなら絶品だった。

 酸味の強い赤い果実は蜂蜜によってほとんど形をなくすくらいにじっくりと煮詰められたものが、牛酪らしき良い風味のする小麦の生地に包まれて、丁度いい加減で焼かれていた。さくりとした生地の歯ざわりの後に、舌の上に強烈な甘味と酸味がくる。けれどそれは小麦の生地によって強さが丸められてただただ心地よい。そのあとに温めたミルクを飲めば口の中がさっぱりとして、また菓子を食べたくなるという循環ができあがる。もしやこれは魔術がかかっているのではと、ちらりと思うくらいにかなり美味しかった。

 ベッツィは朝食を食べたばかりだったのに、あっという間に2人で半分あった内の半分ほどを食べ切ってしまった。おかわりしたミルクを飲んで、手を合わせたベッツィがリズに言う。

「……ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでしたー、それとおそまつさまでしたー! どう? おいしかったでしょー!」

「……うん」

 リズも手を合わせてくる。とても機嫌良さそうに身体を左右に揺らしている。そのてらいのない様子を見て、ベッツィは胸のあたりが苦くなる。

「……今度、なにかお返しするから」

「いいよいいよー。だってベッツィが美味しそうに食べてくれるところが見たかっただけだしー」

「そんなわけにはいかないよ。なにか、言われてるでしょ。いつも。……星盗ほしぬすみのむすめとは会うな、とか」

「しーらない。だってあたしの友達はベッツィってだからねー」

 つきん。とベッツィの胸が痛み始める。それはリズの笑顔を見れば、ずきん、ずきんと痛みが加速していって、思わず顔をしかめてしまう。両手でぎゅっとカップを握りしめる。それでも痛みはこらえきれなくて、どうしても思ってもいないことをベッツィは言ってしまう。

「いいの? わたし『リズの秋の星』を盗むかもしれないよ。だってわたしは星盗ほしぬすみだから、昔あったみたいに、本に出てきた人みたいに──」

「ベッツィはそんなことしないよ」

 でしょー? と、ミルクの入ったカップをかつんと合わせてくるリズの笑顔はくずれない。ゆるがない。ミルクを飲んで、優しいくるみ色の瞳でベッツィをまっすぐに見つめてくる。そのせいでベッツィの胸は泣きそうなほどに痛くなっていることに、リズは気づいているのだろうか。きっと、わかっていないだろうとベッツィは思う。リズはそういう子だから。

 でも、だからこそ、貰ってばかりいたくはなかった。形としても、そうじゃなくても。

 ベッツィはランタンにちらりと視線を向けた。

「……今日ね、」

「うん?」

「前に使ってから一年になるの」

「ああー、『ベッツィの秋の星』?」

「うん」

 秋の星、はベッツィの星の名前だが、リズの星の名前でもあった。たまたま偶然、同じ名前だったのだ。リズが初めてそのことを知ってからだろうか、こんなにもベッツィに親しく接してくるようになったのは。きっと、同じ名前だから親近感がわいたのかもしれない。

「そっかー、もう一年になるんだねー。星の魔法を使ってから」

 そして星は、星によって異なる魔法を使える。例えば『リズの秋の星』は人の精神に干渉する魔法──人の心の傷を癒すのだ。そして『ベッツィの秋の星』は。

「一年に一度、小さな願いを叶える……」

 ぽつりとベッツィが呟く。『ベッツィの秋の星』が使える魔法を。

 一年に一度だけ、しかも小さな願いという曖昧な制約。それでもベッツィの願いは毎年叶い続けていた。だから、今度は。

「リズにあげるよ」

「なにをー?」

「わたしの星の、今年の魔法」

「……え? えー!? なんで!? なんでいきなりー!?」

 リズが座ったまま飛び跳ねる。それを見てベッツィはくすりと笑った。なんだか素直におもしろいと思えたのだ。

「いきなりじゃないよ。ずっとね、ずっと……考えてたんだ。リズにお返しがしたいって」

「だから、べつにそんなの、」

「リズがいらなくても、わたしがしたいの」

 ベッツィの目が熱くなる。緩んで零れそうになる。それをこらえて、どうにか自分の中から言葉を探す。なんて言ったら良いんだろう。どうやって伝えよう。わたしの大切な友達に。

「わたし、」

 声が震えていた。ごくりと喉を鳴らしてから服の袖で目元をぬぐった。リズが驚いたように、困ったように目をみはって口をぱくぱくさせている。

「わたしね、去年お願いしたんだ。……あれはリズと会って少しした頃だった。リズがわたしの星の名前を聞いてきて、わたしが答えて、そしたらリズが」

「……あたし達の星、お揃いだねーって、言ったよね。覚えてるよー」

 リズが不思議な動きをする。眉を下げて、緊張しているかのように肩をこわばらせて、カップに顔を隠すように顔をうつむかせる。

「わたしね、それが嬉しくて。……すごく、嬉しくて。だからお願いしたの。わたしの秋の星に」

「……なんて?」

「あの子ともっと話せますように、って」

「……あは。ほんとに小さな願いだねー。ベッツィらしい」

 カップの陰でリズが笑う。めずらしく、苦笑したようだった。恥ずかしくなってベッツィはリズから顔をそむけて、でもやっぱりリズへと戻した。

「でも、願いは叶ったよ。ちゃんと叶うんだ。だから、わたしはリズにも願いを叶えてほしい。小さなことしか叶わなくても」

 まっすぐに、内から出てきた言葉を向ける。それから寝台へと向かってランタンを取ると灯火を消した。それを持ったまま、リズの前に座る。リズの手を取って、ランタンに近づける。リズの手が一瞬だけびくりと震えた。

「……なんか、これじゃー逆じゃないー?」

「なにが?」

「あたしがベッツィの星の魔法を盗んだみたい、な?」

「リズ」

「なーにー? ……ベッツィ、顔こわいよー?」

「当たり前だよ。怒ってるんだから。冗談でも、言っていいこととそうじゃないことってあると思う」

「ごーめーんー」

 言いながら、リズが両手でベッツィのランタンに触れる。そっと、大切なものをいつくしむように、撫でている。

「これ、触ったまま願い事を言えばいいんだよねー」

「うん。わたしは持って魔力を流してるから、リズが願い事を言えばそれで魔法は発動するよ」

「そっかー……」

 リズが一度、『リズの秋の星』に目を向ける。それから『ベッツィの秋の星』をじっと見つめて、静かになる。長い睫毛をしている目を伏せて、考え込んでいるようだった。

 すると、いきなり言った。

「あたしとベッツィが、もっと楽しく一緒にいられますように」

 ──ぼっ、と。ランタンに灯火が灯る。強く明るく、けれど目を焼くことのない真紅の炎が。その中心で、秋の星が脈打つように輝いている。ベッツィとリズは、黙ってそれを見ていた。

 やがて秋の星の輝きが真紅の炎を上塗りしていき、だんだんと輝きが薄れていった。それから、ころん、と黒くて丸いものがランタンの中に残った。どちらかともなく、はー……、と息をつく。

 先に言葉を発したのは、ベッツィの方だった。

「……リズ」

「なーにー」

「願い事、本当にそんなのでよかったの……?」

「そんなのって、ベッツィひどーい」

「そうじゃないよ! ……なんで、なんでちゃんとリズのために使わなかったの!?」

 ベッツィは熱の残るランタンをぎゅっと握りながら問いかける。それを見たリズは、ただ、微笑んだ。ベッツィの手に触れながら。

「やだなー。ちゃんと、あたしのための願い事だよー」

 あたしが、ベッツィと、もっと楽しくいられますように。

「でしょー?」

「……さっき言ってたのと変わってる気がするんだけど」

「気のせいだよー」

 ベッツィのじぃっとした疑いの目を、リズはあははーと笑って避ける。ぽんぽんとベッツィの手を叩いてくる。

「それよりミルクのおかわりあるー? あたし喉かわいちゃったー」

 ランタンから手を離してカップに持ち替えるリズの笑顔はいつものように底抜けに明るくて、ベッツィの身体から力が抜ける。なんだか、リズとの関係をずっと気にしてたのがばかみたいに思えてきてしまった。一応、無駄ではなかったかもしれないけれど。一応、リズは願い事を言ってくれたのだから。一応、伝えた甲斐はあったのだろう。

 けれどそれが本当に叶うかどうかは、これからのベッツィとリズ次第だ。

 そう思い、ベッツィはランタンを見た。すっかり黒くなった『ベッツィの秋の星』を。そうしたら自然と苦笑が浮かんでいた。朝からなんだかとても疲れてしまった。でも、良い朝だ。だってリズがここにいてくれているのだから。

「……待ってて。いま持ってくるよ」

 リズに向かって言ってから立ち上がる。ベッツィはランタンを寝台傍にあるリズのランタンの隣に置くと、2人ぶんのミルクを温めるために扉を開いた。

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星守りと星盗み 碧音あおい @blueovers

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