第23話

「ミルクパズル・プログラムとはいったい何だったのですか! いったい誰が何の利益を得るために……」

「答えはもう見えているのではないかね、国際記憶機構の監査官よ」


 答えはもう見えている。

 三橋教授はそう言って、私の言葉にはそれ以上答えを出してはくれなかった。

 ミルクパズル・プログラムは副作用に人間の意識を操作する力を持っている。

 もし、そんなプログラムを誰かが、そう誰でも良い、誰かが起動に成功してしまったら――。


「BMIが埋め込まれている七十億人もの人類の意識が一瞬にて消失する……?」


 それは、テロ行為の何物でもない。


「失敗は数多く存在していた。長期記憶のデータだけを消すことを良としていた脳科学記憶定着組織ワーキンググループと、長期記憶を保管している場所を破壊することで良としたペイタックス・ジャパンとの決裂もあった。その後ノウハウのみを吸収してペイタックス・ジャパンは解雇された。きっとそこには彼らの行く道とは違う道が見えていたのだろう。だから、彼らには抜けて貰った。抜けて貰うしか道がなかったのだ」

「抜けることで何かデメリットが生まれたことは?」

「ない。強いて言うなら、薬剤関連の知識を我々自身で持たねばならないということぐらいだったろうか。それはいずれ我々がやらなくてはならないことだったし、些細な問題であったことには間違い無いだろう。問題は、」

「問題は?」

「彼らが情報を漏洩する可能性がないかどうか、だった」

「……!」


 確かに、それもそうだった。

 このミルクパズル・プログラムは、何処からか漏れてしまえば国家反逆罪で逮捕されかねない事案だ。その事案を国が、警察が、放置しておくはずがない。

 しかし、今まで私は名古屋、ペイタックス・ジャパンと、瑞浪あずさが残してきた軌跡を追ってここまでやってきている。それは、どうしてだ?


「最終的に、瑞浪あずさが否定した。いずれ、ここにたどり着く存在がやってくるはずだ、と。それまでこのデータを守り通すこと。それが我々の使命であり、我々の運命である、と」

「つまり、瑞浪あずさは……私みたいに、追いかける人間が出てくることを最初から予測していた、と?」

「ええ、そういうことになるでしょうね」


 瑞浪あずさは私みたいな人間がやってくることを最初から予測していた。

 だからわざわざピースをヒントのように隠していたというの?

 三橋教授の話は続く。


「彼女は完璧そのものだったよ。彼女が書いた理論は研究者を心酔させるものだった。それでいて、彼女そのものにもリーダーシップというか、カリスマというか、そういうものがあったよ。問題なんて何一つなかった。彼女がリーダーとしてミルクパズル・プログラムを開発していたようなものだったからね。普通ならば、二十代の若人にそんな現場を任せることなんて出来やしない。けれど、彼女のカリスマ性には誰も叶わなかった」

「つまり、彼女が居なければミルクパズル・プログラムの開発も進まなかった?」

「そもそも、ミルクパズル・プログラムなんて考えはみじんも浮かばなかっただろうね。人間というのは珍しいもので、じゃあその本体をとっかえひっかえしてしまえば良いのではないかと思ってしまうけれど、実際やってみるととっかえひっかえしたところでその意味がないということに気づいてしまうんだ」

「ミルクパズル・プログラムは結局、完成したのかしら?」

「いいや、少なくとも僕が滞在している時までは完成していなかったよ。そもそも、もし完成していたらあんな『不完全な』ものを実験に使おうとは思わない」

「不完全なもの……、やはりあれは未だ完成していなかった、ということなのね」

「完成していれば、彼らはとっくにそれを使っていただろうよ。使わなかったのは、使おうとしなかったからじゃない。使えなかったからなんだ」

「使えなかった、だけ……」


 私は、三橋教授の話を反芻する。

 その言葉の意味を、理解できていなかった訳ではない。

 理解しきれなかった訳でもない。

 ただ彼女が何をしたいのかが、分からなかった。

 彼女が何をしたいのかが、見えてこなかった。


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