第18話

 再び、十年前。


「記憶を操作する薬を開発した?」

「そう。二人には、いいや、私も入れて三人でそれの被検体になってもらいたいんだ」

「……あなたがなってしまったら、観測者は誰になるの?」

「勿論、私たち以外の他人になるだろうね。記憶を失うと言うことは、ミルクパズル症候群の発症と等しい。呼吸することも、心臓が脈打つことも忘れてしまうと言うことなのだから。その言葉の意味は分かるでしょう?」


 つまりその薬を飲むと言うこと、イコール、自死に繋がる。

 つまり私たちは試されているのだ。自死を行うか、否か。


「ねえ、あなたなら絶対に飲んでくれると信じている。どう? 信楽マキさん」


 瑞浪あずさが持っていた錠剤を、私は受け取った。

 続いて、秋葉めぐみもおとなしくそれを受け取る。


「私たちは、一緒に新しい世界に向かうの。別に死ぬ訳じゃない」

「新しい世界?」

「そう。記憶を失ったからって、死んでしまったからって、この世界に別れを告げるからって、別に悲しむことじゃない。その先には、きっと素晴らしい世界が待っているんだよ」


 そう言って。

 瑞浪あずさは錠剤をごくりと少量の水で流し込んだ。

 私も、秋葉めぐみも、水で錠剤を流し込む。

 変化は直ぐに起きなかった。瑞浪あずさ曰く、数十分から一時間程度で徐々に記憶が失われていくのだという。

 さようなら、わたし。

 さようなら、みんな。

 眠気が出てきた。確か、瑞浪あずさは言っていた。眠気が出るのは、この薬の副作用だ、って。眠っているうちに死ねるならなんて楽なことなのだろう。なんて楽なこと、なのだろう。

 そう思いながら、私は眠りに就いた。



 ◇◇◇



 次に目を覚ましたのは、病院だった。

 瑞浪あずさの言っていた、素晴らしい世界などではなかった。

 記憶を管理して監視される、素晴らしきディストピアだった。

 聞いてみれば、死んだのは瑞浪あずさだけ。私と秋葉めぐみは死にそうになったところをなんとか助かった、と聞いている。

 連絡をしたのは誰なのだろう? 私は親に連絡を入れていない。瑞浪あずさが連絡を入れるとは思えない。となると考えられるのは――。


「めぐみちゃんのお母さんから連絡があってね。あずさちゃんがそんな恐ろしい子供なんて私知らなかったのよ。ごめんなさいね、ごめんなさいね……」


 お母さんが言う必要は無い。

 お母さんが謝る必要は無い。

 すべて私たちがやったこと。

 すべて私たちが考えたこと。

 それについては、別に悪いこととは考えていない。

 悪いことだなんて、思ったことはないのだから。


「さようなら、あずさ……」


 私の言葉は、誰にも受け取られることなどなかった。


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