第15話
十年前のことについて、少しだけ触れた方が良いのかもしれない。
「……信楽マキさん。あなたは気づいている? 記憶がどれだけ私たちの中で重要であるか、ということに」
「どういうこと?」
私たちが通っていた学校には、中庭があった。その中庭にはさまざまな植物が生えており、景色を楽しむことが出来る。ベンチも幾つか設置されているため、お昼になればベンチで弁当を広げている光景をよく目撃することが出来る。
私たちも、そのベンチで弁当を広げている面々の一つだった。
「記憶は私たちの、いいや、私にとっての、大切なものなんだよ。それは誰にだって変わらない。その記憶を持ち続けるということが大切であって、忘れてしまうことも仕方ないことなんだ。それが『意識』という価値観そのものだから」
「…………どういうこと?」
「記憶は意識と同一である。誰かが言っていた言葉だね。それを聞いて、私は思うんだ。例えば空っぽの身体があったとして、偽りの記憶を植え付けられたら、意識はどうなってしまうんだろう、って」
「難しい話は分からないよ」
言ったのは、秋葉めぐみだった。いつも彼女は、こうやって彼女の――瑞浪あずさの話を切っていた。普通ならそこで怒ってしまうのかもしれないけれど、彼女はそれが彼女の意識であると言って認めていた。宥めていた、というのが正しいのかもしれないけれど。いずれにせよ、彼女はいつもどこか中空を眺めていたような、訳の分からない考えを述べ続けるような、何処か他の人間と違うところがあった。
私は、それに憧れていたのかもしれない。
私は、それに思いを馳せていたのかもしれない。
「……意識は、記憶に結びつけられる。それはきっと、正しいことだと思うんだよ。例えば、私の記憶を全て消し去ってしまって、そこにあなたの記憶を全て植え付けてしまえば、それは、意識は、あなたのものとなってしまう。遠隔で操作することは出来ないかもしれないけれど」
「ううんと、つまり、意識と記憶は関係していると言いたい訳?」
「ずっとそう言っているんだよ、つまりそういうことだって」
彼女はずっと笑っていた。
彼女はずっと微笑んでいた。
彼女はずっと笑みを浮かべていた。
そのことについて。
私たちは訳の分からない状態だったことは確かだったけれど、少なくとも私にとっては、少し『かっこいい』と思えるようになっていた。彼女の不思議な感覚が、私の心を麻痺させていたのかもしれない。そう思うと、何処かおかしな人間だったのかもしれないけれど。
「ねえ、信楽マキさん」
瑞浪あずさは告げる。
「あなたの意識とあなたの記憶は、絶対に無くしてはいけないもの。絶対に」
◇◇◇
ペイタックス・ジャパンへ向かうバスに乗りながら、私はずっと考えていた。
もし、瑞浪あずさがミルクパズル・プログラムの開発に携わっているのなら、十年前に言った言葉はどうなってしまうのだろうか?
彼女は嘘を吐いていたのだろうか?
彼女は真実を告げていなかったのだろうか?
どうして彼女は、そんなことを述べておきながら、今になってミルクパズル症候群を増長させるようなものを開発しているのだろうか?
私は、真実が知りたかった。
ただ、それだけのことだった。
「マキさん、着きますよ」
遠藤ユリ監査官の言葉を聞いて、私は我に返る。
ペイタックス・ジャパンが入っている高層ビルは、もう目の前に迫ってきていた。
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