第12話
「どうでしょうか。もしかしたら、そんなことを考えていたのかもしれませんね。少なくとも、末端の私にはあまり事実が明らかにならなかった訳ですが」
「明らかにならなかった? それは一体どういうことですか」
「ワーキンググループには組織そのものとしての平坦としたものから、きっちりとピラミッド型に決められているものまで、数多く存在しています。あなたが存在しているワーキンググループは恐らく、前者になるのでしょう。情報を分け隔てなく提供する。まあ、あなたは今違った行動を取っている訳ですが。しかしながら、脳科学記憶定着組織ワーキンググループは違った。彼らは、後者だった。ピラミッド型に組織が設立されていて、構成員はそれぞれ『階位』を持ち合わせていた。私の場合は、十階。一番下っ端ということです」
つまり段階は十段階存在していた、ということ。
そして、瑞浪あずさの考えていた理論は十階の人間には知らされなかったということ。
しかし、それで物事が上手く進むものなのだろうか?
「瑞浪あずさの考えた計画は完璧であると常日頃から上階の人間が言っていました。成功すれば我々が世界の上位に立つことが出来る。『世界の全員の脳を弄くることが出来る』そのハーモニーを見つけるまで、時間はかかろうとも、お金はかかろうとも、彼らはそれを躍起になって探していました」
いわゆる、ブレイン・コードだ。
ブレイン・コードを見つけることは、全人類の課題となっており、それを見つけてしまえば人間の脳を掌握することに等しい。それを見つけていち早く庇護対象に置かねばならない――それが我々、正確には私が所属している記憶科学ワーキンググループだ。
しかし、それを私欲のために使おうとしたのが、脳科学記憶定着組織ワーキンググループだということだ。はっきり言って、おぞましい。そんなことが実際に行われようとしていたなんて、出来ることなら、あまり考えたくないことだった。
「しかし、そのハーモニーを見つけるのは、そう簡単なことではなかった。一人、また一人、研究員が病んでいき、辞めていった。私もその一人ですよ。自分の仕事をしながら、それを探すことの難しいことといったら。上階の人間は理解しようとはしませんでしたがね」
理解しようとはしなかっただろう。
理解しようとは思わなかっただろう。
「私が知っているのはそれだけです。それ以上のことは知りません。知ろうと思っても、ロックがかかっていて、何も知り得ることが出来なかったのです。ですが、彼らは未だ研究を続けていると思われます。何処で研究しているかどうかは……そうですね。確か最後に言っていたのは、」
「言っていたのは?」
「東京にある、ペイタックス・ジャパンという薬剤メーカーをご存知ですか?」
ペイタックス・ジャパンと言えば、脳科学における薬剤を提供している世界的メーカーの日本支部だったはずだ。ジャパンとついているが、資本関係は殆どなく、フランチャイズみたいな関係になっていたと聞いたことがあるが。
「ペイタックス・ジャパンと脳科学記憶定着組織ワーキンググループは組んでいます。ペイタックス・ジャパンの技術と、脳科学記憶定着組織ワーキンググループの技術を重ね合わせて、我々は新たなプログラムを生み出そうとしていた。人間の脳から記憶を消去するプログラム、ミルクパズル・プログラムを」
◇◇◇
大学を後にして、私は近くのカツ丼店に入った。
味噌カツが有名だというので、味噌カツ丼を注文する。カウンターの椅子に腰掛けると、気前の良さそうな店主が声をかけてきた。
「女性一人で入るなんて珍しいね。観光かい?」
「まあ、そんなところです」
仕事です、と言っても良かったのだが今の状況が仕事かどうか微妙なところがある。
「名古屋は車が多くて大変だろう。バスも多いしな。人が住む街かどうかは分からないが、車が必要な街であることには変わりない。なにせあのトヨタがある街だからな!」
「そうですね……。確かに車が多くて。タクシーを使って利用しているのですが、車の多さに圧巻しています。東京じゃあ、殆ど車は見なくなりましたからね」
東京を支配しているのは、車ではなく、ライトレール――つまり路面電車である。路面電車の方が排気ガスも出さなくて良いし、時間に正確であるからそちらの方が良いとオリンピック前後あたりから整備が進み、今や大半の道路がライトレール化している。あれほどモータリゼーションに押されたのに、今や日本の首都がライトレールによって支配されているというのだから珍しいものだ。
しかしながら、ライトレールにするにもお金がかかる。幾ら排気ガス問題を解決するといっても、お金がなければライトレールを設置するのも出来ない。だから地方都市はなかなかそこまで発展出来ないのが現状なのだ。
「そうだよなあ。俺もこの前東京行ったんだけれどよ、殆ど車が走っていないからびっくりしちまったぜ、まったくよう。日本っていつからああなっちまったんだろうな? あ、お客さん、味噌カツ丼お待ちどう。味噌汁もこちらね!」
早っ。
会話に集中しているからもう少し時間がかかると思っていたのだが。
まあ、いいや。出来たなら早く食べてしまおう。暖かいものは暖かいうちに食べてしまうのがマナーというものだ。
「いただきます」
両手を合わせて、先ずはいただきますの挨拶から。
それを終えた私は割り箸を割って(木材の問題がああだこうだ言っているけれど、未だ洗える箸に転換出来ている企業は少ない。これも地方都市と東京の差だろう)、ご飯が見えないぐらい埋め尽くされた味噌カツの一切れを口に運んだ。
美味しい。サクサクとした衣に味噌だれが絡んで、それでいてジューシーな味わい。これはご飯が進むというものだ。よく見ると、ご飯と味噌カツの間にはキャベツが敷かれている。油が直接ご飯に染み込まないように考えられているのだろう。キャベツはちょうどしんなりしていてちょうど良い箸休めになる。味噌汁も豆腐の味噌汁というスタンダードなものでこれまた美味。赤だしってこんな味付けなのか。意外と濃い味付けなんだな。いや、赤だしに何を期待していたんだ、という話になる訳なのだが。
そんな食レポじみたことをしていたら、あっという間に完食してしまった。ふう、ボリュームがあった。なかなかの味わいだった。
「ご馳走様でした」
両手を合わせてこれまた挨拶。
食事に対する感謝みたいなものだ。何でも海外の人にとっては珍しいらしく、日本人は礼儀正しいと言われるのはこういうものがあるから、だという声も少なくない。
外に出て、私は考える。
脳科学記憶定着組織ワーキンググループのことを、記憶科学ワーキンググループに伝えるべきだろうか。
瑞浪あずさのことを、伝えるべきだろうか。
食べている間もずっと脳内でぐるぐる回っていたそのことを、私は決めかねていた。
話すならはっきりと話してしまった方が良い。しかしながら、話してしまったら私が自由に動けなくなる。きっとワーキンググループの面々は力を利用して警察などフル稼働させるに決まっている。そうすれば、瑞浪あずさに会える可能性は限りなくゼロに近くなる。
私は、瑞浪あずさに会いたかった。
会って、直接話を聞きたかった。
どうしてそんなことをしたのか。どうして十年前、私たちを『裏切った』のか。
そのことについて、どうしても解決させたかった。
ならば、行うことはただ一つ。最初からとっくに決まっていたことだった。
「私だけで、もう少し調査を進めてみよう」
そう思って、私は名古屋駅に向かうタクシーを確保するために道路を見始めるのだった。
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