第8話

 データの解析を進めろ。

 簡単に言ってしまったものだが、そんなこと出来るのだろうか?

 そんなことが、簡単に出来てしまうものなら、苦労しない。

 とにかく、今は彼女に会うことを優先した。

 病室に向かうと、ベッドに横になっていた。


「……ねえ、いつになったら解放されるの? さっきから、ずーっと診断やら治療やらし続けて頭がパンクしそうだよ」

「ごめんね。直ぐには解放出来そうにないよ。それは私の権限で出来ることじゃない」


 秋葉めぐみ。

 私と一緒にショッピングモールに向かい買い物を済ませた後食事を行い――そこでミルクパズル症候群を発症させた女性。

 今は一ヶ月前の記憶がインストールされており、その記憶は完全に消去されたものとなっているのだが。


「それにしても、久しぶりだね。マキ」


 上半身を起き上がらせると、笑みを浮かべて彼女は言った。

 違う。

 私はつい昨日も会っていた。あなたと一緒に、ショッピングモールに行っていた。

 けれど、その記憶は忘却されている。

 ミルクパズル症候群は、切なくも儚い人間の敵だ。

 そんなものはさっさと居なくなってしまえば良い。

 けれど、どうやって解決すれば良いのかは、今の技術でも分からなくて、バックアップを取ってそれから復旧させることがやっとのこととなっている。それ以上のことは、現段階の人類の技術では到底及ばない。


「……ねえ、マキ」

「どうしたの? めぐみ」

「この入院が終わったら、一緒にショッピングをしようよ! 何だか私にはその行動をしたという情報があるらしいんだけど、ミルクパズル症候群を発症させてしまったからか、記憶が飛んでしまっているんだよね。だから、今度こそまた二人で!」

「うん…………うん…………。分かったよ、めぐみ」


 ミルクパズル症候群は、一度発症させた場合再発する可能性はゼロとは言い切れない。

 いや、寧ろ。

 ミルクパズル症候群を発症した後に再発していない人間を探す方が難しいことだろう。

 それゆえにミルクパズル症候群は再発率が高く、治療が進まない病気なのだ。

 記憶を失えば失うたび、何度も何度もバックアップさせた記憶をインストールするほか道はない。

 しかしながら、人間の脳にも限界はある。実証実験を重ねた訳ではないが、マウスでの実証実験では三十五回程度のインストール後は、何度インストールさせても脳が記憶を定着させないのだ。

 とどのつまり、海馬にも限界があるということ。

 それは分かっているのだけれど、人間は何度もインストールさせようとしてしまう。

 そして、やがては人間の脳に記憶が定着しなくなり、死に至る。

 実際、そんな人間を私は何度も目の当たりにしてきた。

 悲しまないようにするつもりだった。

 涙を流さないようにするつもりだった。

 けれど、実際に知り合いがこうなってしまうと、悲しいものがあるのだ。そう、私は実感した。


「ねえ、聞いてるの? マキ」

「うん? 聞いているよ、めぐみ。どうかしたの?」

「さっきからぼうっとしているから、聞いていないのかな、と思って」

「ああ、そういうこと。大丈夫。ちょっと忙しいけれど、大丈夫だから」

「本当に? 本当に大丈夫なの? ちゃんと注意した方が良いよ。ま、私が言えることじゃないのかもしれないけれど」

「そうだね。……まあ、あなたが言えることかどうかは別として」

「余計な一言だよ、マキ」


 彼女を見て、私は立ち去っていく。彼女が元気なら、それで構わない。後は回復を待って、退院して貰えれば良いだけのこと。同じ病院にして貰えて大変有難いことだったけれど、今は私は休職中の身。あまり関わっていては困るのだ。

 そう。

 私がやらなくてはならないことは、他にある。


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