ありきたりな花火の話

樹一和宏

ありきたりな花火の話


 感傷的にさせる蝉の鳴き声。少し窓に目を向ければ、雲一つない青空を飛行機雲が横切っていくのが見えた。頬杖をついて、飛行機の行方を追っていく。


「おーい、児玉、何授業中に黄昏れてんだ」


 ハッと目を戻すと、クラス中の視線が僕に集まっていた。一呼吸置いて笑い声が聞こえてくる。

 恥ずかしくて顔を俯けるように「あ、すいません」と頭を軽く下げると「それじゃあ授業に戻るぞー」と先生は教科書を再び朗読し始めた。

 笑いの余韻が残る中、僕は自然と反対側の白濱さんに目線を向けてしまう。さっきの僕のことだろうか、隣の女子と何かを喋っている。


「だーから、児玉、話を聞けって」




「お前怒られすぎだろ」


 授業が終わると早々に、前の席の浩介が冷やかしてきた。何も反論出来ず「いやはや、お恥ずかし」とふざけてみせた。

 浩介は事前に次に言うことを決めていたのか、僕の返事に何も反応を示さず「そんなだと黒澤に嫌われるぞー」と続けてくる。


「な、何で葉子が出てくんだよ!」

「バッカ! 声でけぇよ」


 しまった。と自分でも思い、振り返ると、葉子と目が合った。眼鏡が反射していて顔色は分からなかったが、手に持っていた文庫で顔を隠して、中指を立ててきた。


「あーあ、怒らせた」

「何度も言ってるけど、葉子はただの幼馴染なだけだって」


 大声を出したい所を我慢し、声を抑えて訴える。でも浩介は決まって「高校まで一緒に来る幼馴染なんているわけねぇだろ。つまりはそういうことだろ」と言い返してくる。


「確かにそう滅多にいないかもしれないけど、葉子と僕はその滅多にない関係なんだって」


 その言い訳聞き飽きたよ、と言いたげに「はいはい」と流されてしまう。じゃあ何て言い訳すればいいんだよ、と僕は眉を寄せた。


「二人とも何話してるの?」


 不意に声を掛けてきたのは白濱さんだった。思わぬ相手にドキリとしてしまう。

 浩介が「それがさー児玉の奴がまた」と言い出し、僕は「余計なこと言うなよ」と前に身を乗り出し、減らず口を塞いだ。白濱さんがふふと笑い、僕の目は惹かれてしまう。


「そう言えばさっきの授業、児玉くん随分怒られてたね」


 自分の話題を白濱さんがしてくるとは思わず、何かが込み上げてくる感覚になった。なんて返せばいいか、真っ白の頭を引っ掻きましていると、「ホントだよなー。黒澤のことばっか考えてるからー」と浩介がついに葉子のことを口に出した。


「おまっ!」


 白濱さんの様子を盗み見ると、驚きや落胆みたいな少し期待した反応はなく、楽しそうに聞いているだけだった。察するに、もしかしたら浩介は普段から白濱さんにこういう話をしているのかもしれない。


「はいはい。ムキになんなって」


 浩介がいい加減な対応で僕を静めようとする。なにくそ、と僕が蒸し返そうとすると、話題を変えるように「そういえばさ」と白濱さんが切り出した。


「今度の花火大会皆で行こうよ」


 すぐに思いついたのは、最近校内中に張り出された近くの川で行われる花火大会のポスターだった。クラスの後ろを見れば、その詳細が書かれたポスターが黒板の横に張り出されている。


「えーあれ行くのー」と渋るように口を尖らせる浩介。僕としては白濱さんの誘いは全て一つ返事で頷きたいのに。贅沢な奴だ。

「あれ、人の量凄いじゃん」

「ほんと、人混み嫌いだね」と白濱さんが笑う。

「それだったら二人で行こうぜ」


 分かっている関係だが、言葉として聞くと心臓が止まったみたいな嫌な感覚になった。

 浩介と白濱さんは付き合っている。それは三ヶ月前、クラス替えで白濱さんと同じクラスになり、一目惚れした時から何も変わっていない関係だ。


「それだったら木更津の夏祭り二人で行くじゃん」と白濱さんが口にする。


 当たり前のことだけど。付き合っている男女がデートをし、二人っきりの時間を楽しむ。考えれば当たり前のことなのに、僕の中身がひっくり返されたみたいに悲鳴を上げる。二人が手を繋いで、キスをしてって、そういうことが考えられない。


「私は皆で行きたいの」

「わーったよー。児玉もいいっしょ? 花火大会」


 名前を呼ばれて我に返った。「あ、あぁ、いいよ」と僕は頷いた。内心が見透かされないように、強く。


「児玉は黒澤誘えよ」

「え」


 僕と浩介と白濱さんは仲が良いから不自然なメンバーではないが、ここに葉子は、浮いてしまう気がする。第一そういうことを気にする葉子が参加するとも思えない。


「浩介は良いとしても、白濱さんは良いの?」と遠回しに拒否の姿勢を見せるが、意図が通じなかったようで、白濱さんは「全然大丈夫だよー」といつもの笑窪を作った。



 

 放課後、昼休みに返し忘れていた本を図書室に返却し、新しい本を借りて出る頃になると、校舎の中は昼間とは違う様相をしていた。静かな場所なんてないように思えた喧騒が、嘘のように静まり返り、今は蝉の鳴き声と遠くの部活の声だけが微かに聞こえる。貸し切り状態の廊下を歩くと、まるで今日の出来事が全部夢だったかのように感じた。

 校舎を出て、体育館脇にある駐輪場へと向かうと、僕の自転車に女子高生が跨っていた。暇そうに足をブラブラしている。その光景を何度か見たことがある僕は、すぐに見当がついた。


「何か用?葉子」


女子高生は案の定葉子で、振り向くなり目を釣り上げ「遅い。熱中症になるかと思ったじゃん」と不満をぶつけてくる。


「待ってなければいいだろ」と反射的に返事をするが、そのことには取り合わず、「こないだ借りた本、返すために待ってたんだから」と用件を言い出した。

「それだったら家が隣なんだから態々待たなくても良かったろ」

「一回帰ってその後あんたの家に行くの面倒じゃん」

「そうか?」


 隣の家まで一キロある田舎ってわけでもない。徒歩十秒もかからない場所のはずだ。それなのに、葉子が時折それすらも面倒くさがってこうして待つことがある。謎だ。


「面倒なら教室で渡せばいいじゃん」

「他の女子と喋っている所、白濱さんに見られたくないでしょ?」む。言い返せない。


 葉子は自転車から降り、僕のバックを勝手に開けてその中に本を突っ込むと、「さ、帰ろ」と校門に向かって歩き出す。見ると、自転車のカゴの中には葉子の荷物が入れっぱなしだった。


「おい、荷物」

「よろしくー」と振り向きもせず腕を振ってくる。ったく。


 自転車を漕いで葉子の隣に並ぶと、僕は自転車を降りて歩き始める。馴染んだ歩幅は僕と葉子でほとんど変わらない。


「先に帰ってもいいのに」と葉子は僕の顔さえ見ずに言う。

「一回帰ってからお前んちに荷物届けんの面倒なんだよ」とどっかの誰かさんが言った台詞をパクるが、その誰かさんは「あっそ」と素っ気ない返事を返してきた。

 そこから何気ないやり取りを、僕達は始める。

 熱いね、なんてもう何十回したか分からない話題で始め、話をどんどん路線変更していく。気付けば納豆の話なんてしていて、どうしてそんな話になったのかも分からない。

 ジリジリとアスファルトが焼ける鳴き声。遥か先で陽炎が揺れ、ぬるま湯のような湿気が肌に纏わりつく。公園の前を通過すれば、噴水の中ではしゃぐ子供達が見え、僕達の話題はそちらへとズレていく。

 遠い迂回を繰り返して、何かのキーワードで僕は「そういえば」と例の件を思い出した。


「今度の花火大会一緒に行こうよ」

「えっ」


 日差しが熱いからか、葉子の顔は真っ赤に茹で上がっていた。


「あたしと、あんたで?」


 目を白黒させて、事実確認をしてくる。どうやら僕と二人では少々嫌みたいだ。


「僕と葉子に、浩介と白濱さん」

「あ、あー……そういうやーつ……」


 声がどんどん小さくなっていく。明らかに乗り気じゃないテンション。そうだよな、メンバー的に葉子浮いてるもんな。と兼ねてより懸念していたことが的中し、僕はすかさず「嫌ならいいんだ。無理強いするつもりはないから」と助け舟を出した。

 しかし、葉子はその船には乗らなかった。返事もせず、空を見上げだす。釣られて僕も空を見上げる。

 街路樹の葉の隙間から日の光が差し込んでいた。パラパラと木漏れ日が降ってくる。濃い影の向こうには青い宇宙が広がり、飛行機雲はなくなってしまっていた。目線を戻すと、葉子と目が合った。


「花火大会って夏休み入ってからだから、あと三週間ぐらいあるよね?」

「あるね」

「じゃあちょっと考えさせて」


 良い返事は聞けないだろうなと覚悟しつつ、僕は頷いた。葉子が少し早足になり、僕はその小さな背中を見つめた。

 葉子は何を考えているんだろう。上手い断り方でも考えるつもりなのか。

 葉子とは幼稚園から一緒だ。昔からおもちゃを奪い合い、夏休みの宿題を一緒に片付けてきた。なのに、中学の途中から、葉子が何を考えているのか分からないことが増えてきた。思春期とか経験の違いとか価値観のズレとか、そういうのじゃなくて、距離の問題のように、僕には思えた。

 歩幅が合わなくなる。それが分からなくなる時の、特徴の一つだった。


 ※

 

「いやぁ、いいね、やっぱ浴衣いいよ」


 浩介の顔には一足早く、花火のような満面の笑みが花開いていた。


「……死ね」


 物騒な言葉と裏腹に恥ずかしそうな葉子がもじもじとしている。黒を基調とした色に花が舞っている。

 辺りを見渡せば、普段はスーツのサラリーマンばかりの駅のホームが浴衣の若者や親子連れで埋め尽くされ、すっかり夏模様へと変貌していた。皆一様に河川敷の方向へ歩いている。

 顔を戻すと「何か感想とかないの」と葉子が目を泳がせながら訊いてきた。


「感想って言われても、昔は結構浴衣姿見てたからなぁ……んー……背伸びた?」

「死ね」


 今度のは明確な悪意を持って言われた気がした。

 待ち合わせの午後六時、五分前になった頃、「ごめん、お待たせー」と後ろから下駄を鳴らす音が聞こえた。目の前にいた浩介が僕の後ろを見るなり、ニヤリと笑う。

 振り向くと、白濱さんがいた。いつもとは違い、長い黒髪をお団子にまとめ、その名に相応(ふさわ)しい淡い白い浴衣で、色白の白濱さんによく映(は)えていた。


「めっちゃ可愛いじゃん!」と浩介が隠しきれない興奮を見せる。


 可愛いという言葉よりも、美しいとか綺麗とかの言葉の方が合っている気がした。

 僕も褒めようと言葉を探すも、言い出す勇気を持ち合わせてない上に、浩介の怒涛の褒めちぎりと白濱さんと葉子が意外にも褒め合っていて、結局何も言い出すことができなかった。

 人波に沿って、僕らも会場へと向かい出す。進んでいく中で、自然と浩介と白濱さんの後ろに、僕と葉子が並んで歩くという形になった。

 アスファルトを叩く下駄の音、屋台の賑わい、人々の談笑があちこちから聞こえてくる。

 浩介と白濱さんが楽しそうに話しているのを見ていると、横から「あんたって、ホント分かりやすいよね」とツンとした声が飛んできた。


「さっき見惚れてたでしょ」

「は!? え、いや……」


 見惚れてないと言えば嘘になる。平気で嘘がつけない性分が仇となって、一瞬の間を読み取った葉子は「やっぱり」と溜息を吐いた。


「あんたそういうの気を付けた方がいいよ」

「急に説教始めんなよ……」と聞こえているであろう小声を無視して、葉子は続ける。

「彼氏さんにバレたら気まずくなるに決まってんだから」

「それは……まぁ……そうだけど……」


 浩介は気付いているのだろうか、僕が白濱さんを好きなことを。

 日常生活での些細な目配せ、会話の反応で、葉子は僕が白濱さんのことを好きだと見抜いた。だから浩介が見抜いていても可笑しくはない。でも毎日の反応を見る限り「浩介はたぶん、僕は葉子が好きだと思ってるよ」

 見抜いている上で、葉子をゴリ押しするのは浩介らしくないと思えた。あいつならきっと、ゼッテー負けねー、とか言い出す。


「……何でそう思うの?」

「幼馴染だからじゃない? 浩介はそういうのいないから幼馴染の距離間ってのを知らないんだよ。今日だって、ダブルデートだーって騒いでたんだから」


 葉子から返事がなかった。どうしたんだろうと思い、横目で見ると、また空を見上げていた。

 夏の六時はまだ明るい。時間の間隔をなくしてしまいそうになる。空は明るいのに、星空が見え始めていて、夕方なのに昼間なのか夜なのか、曖昧になっている。

 考えるのを終えたのか、葉子の目線が戻ってきて、目を合わせた。


「今日はあんたにとって、どういう日なの?」

「花火大会」

「真面目に答えて」


 葉子の黒い瞳が微動だにしない。鬼気迫る勢いに気圧される。葉子の質問の意図が分からないが、いつにも増して真剣な顔に免じて、とりあえず考えてみることにする。

 夏休みに仲の良い友達と幼馴染の四人で花火を見る。上辺をなぞれば、何てこともない楽しそうなイベントだ。でも、僕の真意はどうだろうか。白濱さんが言っていたように、皆と楽しく過ごせればいいのか?

 それは違う。だって今の僕は全然楽しくない。来る前からこの花火大会は楽しくないと分かっていた。浩介と白濱さんは付き合っている。さっきから目の当たりにしている現実に、今にも吐きそうだからだ。

 じゃあ何で来たかって、それは白濱さんがいるからだ。僕は白濱さんと仲良くなりたい。あわよくば恋人になりたいとも考えている。だけど、浩介とも僕は仲良くしていたい。でも浩介と白濱さんが付き合っている限り、僕はこの場所から動くことは出来ない。だから今の僕は矛盾している。傷つきたくないのにここいて、でもここいないと傷ついてしまう。


「……僕にもよく分からない」


 それが正直な答えだった。

 葉子は「イジメて悪かった」と反省の色も出さず、相変わらずツンとした声色で言った。


「二人は何話してるの?」


 白濱さんが振り向いてきた。返事の出来ない僕に変わって、葉子が「二人は仲良いなって話」とあながち間違ってはいない含みのある返事をした。

 二人は「そんなことないよー」と素直に受け取ったが、葉子の言いぶりはまるで、僕に諦めろと言っているように思えた。



 

 会場の河川敷に到着すると、既に人山で埋め尽くされていた。パズルゲームみたいに隙間なく陣取りされ、立ち見を考え始めた頃、「おい、あそこ空いてんぞ」と手狭だが、浩介が四人が座れるだけのスペースを見つけた。

 浩介に持ってこいと言われていたブルーシートを広げ、僕達は横並びになるように座る。


「結構ワクワクすんな。あと何分ぐらい?」と子供のような浩介。


 白濱さんが「あと三十分ぐらいあるよ」と答えるその姿は、恋人というより姉弟に近いように思えた。


「浩介はホント子供だなー」

「童心は墓まで持っていくつもりだからな!」

「あんただって似たようなもんでしょ」

「そんなことないよ。もう虫とか触れないし」

「中三の自由研究でアサガオの観察日記付けてたじゃん」

「そ、それは童心とは関係ないだろ!」


 僕と葉子が言い合っていると隣から押し殺すような笑い声が聞こえた。見ると白濱さんが「あぁ、ごめん、面白くて」と笑いを堪えていた。


「二人はやっぱり仲良いね」と白濱さんが言うと、それに乗っかるように「超お似合いじゃん!」と浩介が言い出す。

「だから!」

「はいはい、幼馴染幼馴染」


 僕を宥(なだ)めるように浩介が肩を叩いてくる。全然気は治まらないが、大人しくすることにする。

 そうやって他の人達と変わらない談笑で、僕達は花火が始まるまでの時間を過ごす。小さなやり取りの中で、僕は白濱さんを意識し、少しでも好感度を上げる姑息なことをする。

 きっと葉子にはバレているだろう。会話の節々からあいつはすぐに読み取る。逆に葉子の言葉の節々には、遠回しに僕に諦めろと念が込められている気がした。それでも僕は止めることが出来ない。だって、こんなにも近くに好きな人がいるのに、止めることなんて出来るはずがないから。


「おー、浩介、お前来てたのか」


 突如、頭上から低い男の声がした。思わず振り返る。僕達の会話を問答無用でブチ切ったのは、日焼けした坊主の男だった。後ろには男女数人がジュースの缶を持っていて、浩介に向かって「いぇーい」だの「もしかして噂のカノジョー?」だのと言っている。


「えっ皆!?」と浩介が上ずった声を上げた。

「部活の皆向こうにいんだよ。友達いんのに悪かったな、つい見掛けたもんで。じゃあな」と坊主の人が去っていく。それにアヒルの子供みたいについていく連中が「またね」「カノジョさん超美人ー」などと口々に行って去っていく。

「あーまじかー……こんだけ人いるから会わないと思ってたのに」と下唇を噛みながら浩介が立ち上がる。

「ごめん、先輩達に挨拶だけ行ってくる」

「うん」と答える僕らの声に反応もせず、浩介は駆け足で人混みの中に消えていく。

「体育会系って大変だよね」白濱さんの呟きに「そうだね」と僕は返事をした。


 携帯を見ると、始まるまで残り五分を切っていた。


「帰って来るかな?」なんて冗談の口調で心無いことを僕が言っていると、隣に座っていた葉子が立ち上がった。

「どうした?」

「トイレ」

「え、でももうすぐ始まるよ?」

「馬鹿。女子のトイレを止めるもんじゃないよ」


 そう言って葉子は制止も聞かず、早々に人波に混ざり、見えなくなった。

 すぐに嘘だと分かった。葉子は花火が終わるまで帰ってこないつもりなのだろう。下手をすれば、今日はもう帰ってこないつもりなのかもしれない。僕に諦めろと言う癖に、応援紛いな事をする。あいつこそ、あいつにとって今日はどういう日だったのだろう。

 白濱さんは何も言わなかった。葉子の意図に気づいているかどうかまでは分からない。

 ただ、笑っていないことは確かだった。

 残された僕と白濱さん。急に二人になり、どんな会話をすればいいのか、分からなかった。

 騒がしいのに、気まずい沈黙が僕達の間を掠めていく。

 打ち上げ時間がもうすぐに迫った時、「浩介くん遅いね。連絡してみる」と白濱さんは携帯を巾着から取り出した。

 その時だった。全身を揺さぶる大きな音と光に、僕達の意識が引っ張られた。

 赤と黄と緑の閃光が、綺麗な放射線状に広がっていく。目を奪われた。次々に花開いていく光の芸術。咲いては散り、咲いては散り。色とりどりの光が湾曲を描いては、散っていく。ホタルの光より力強く、されどその輝きは彼らより短く、儚い。


「凄い……」


 白濱さんがポツリと呟く。

 花火の音にかき消されそうなその声に、僕も思い出したように同じことを感じてしまう。

 夏のジメっとした暑さも、短命を叫び続ける蝉の声も、全てを置いていくような勢いで、小さな悩みさえも忘れてしまいそうになる。

 鮮やかな光が川に反射し、現実と幻の境界が曖昧になっていく。

 小さな花火がたくさん弾け、怒るように激しく咲いたと思えば、親のような深さのある大きな一発が僕らを照らす。

 光に吸い込まれるように、そこにいる人達は皆、空を見つめていた。

 隣を見ると、白濱さんも星よりも眩しい夜空に夢中になっていた。子供のような無邪気な顔が、何色にも移り変わる。

 僕の視線に気づいたのか、目が合った。途端、白濱さんは照れたように笑い「凄いね」と言ってきた。花火にも匹敵する美しさに魅了される。

 心の底から、この人が好きだと思い知った。

 白濱さんが花火に目を戻す。すると、花火を見つめながら切り出した。


「そういえば児玉くんってさ」


 名前を呼ばれてドキリとする。言葉の紡ぎ目、一瞬の間が永遠にも感じる。


「児玉くんってさ、黒澤さんのことが好きなんでしょ?」


 予想外の質問だった。花火は鳴り続ける。どうして白濱さんがその質問をしてくるのか、分からなかった。

 ただの純粋な疑問なのかもしれない。でも、どうしてもその意味を勘ぐってしまう。もしかして白濱さんは僕に気があるのかもしれないと、捨てきれない希望が顔を出す。


「ち、違う!」僕は葉子が好きなんじゃない。

「え、そうなの?」


 白濱さんと再び目を合った。大きな瞳に捕まってしまい、目が離せなくなる。

 花火の振動。跳ね上がる鼓動。逸る呼吸。

 押し出された気持ちが、僕の理性を越えていく。


「ぼ、僕が、僕が好きなのは―――」


 大きな花火が打ち上がった。周りの観衆が、その大きさに唸り声を上げる。白い光が河川敷一面を照らす。不意に、白濱さんの携帯が目に入った。


『浩介くん遅いね。連絡してみる』


 開かれたままの浩介とのやりとりの画面。そこには《一生大切にする》という冷やかしも茶化しもない浩介ならぬ、文面が書かれていた。

 そしてその文面に白濱さんは《して》と、装飾も何もない真剣な返事が返されていた。

 続きに《まだ戻ってこないの?》と文面が続いている。

 体の中がぐちゃぐちゃにされ、膨らんで爆発し掛けていた何かが、急速に萎んでいく。吐き気を覚えるほどの喪失感が、体を埋め尽くして、痛みに似た失意に蝕まれる。

 言葉を失って、台詞の続きを待つ悪意のない白濱さんと視線が交差する。

 早く続きを言わないと、と砕け散った何かを継ぎ接ぎにして絞り出す。


「僕が好きなのは……み、皆だよ」


 白濱さんが笑窪を作った。


「サラってそんなこと言えるなんて凄いなー」


 花火が最後の輝きみせて、巨大な花をいくつも同時に咲かせる。光と音に埋め尽くされ、夜空が万華鏡のように光り輝く。

 浩介も、葉子も、きっとこの空を見上げている。

 夏はまだ終わらない。それなのに、花火は終わりを告げるように、散っていく。

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