裏での会話

 『今日は休みます』の連絡を入れてこっぴどく怒られたのがついさっき。トキトは適当に入った居酒屋で酒を飲んでいた。この状態で女の子たちに甘い言葉をかける気には到底なれなかった。なんといってもフラれたばかりだ。どんな顔をすればいいのだろう。

 笑顔ってどう作ってたっけ?

 そんな思いまで頭を掠める。それほどまでに雪の言葉はトキトを抉りつけた。

 手の中にはずっと持ってた名刺。彼女から巻き上げたものだったが、トキトにとっては宝物に近かった。それはフラれた今となってもまとわりつき、苦しめた。

「ホントに好きなのに……」

 くしゃりと潰れた名刺が彼の心を代弁しているかのようだった。





 カウンター席に突っ伏している若者を見るとつい声をかけたくなる。これは歳を重ねるとどうしようもない性のようなものだと、居酒屋の大将大熊陣は思っていた。

 だからだろう。今日もカウンター席に虚ろな表情で酒を飲んでいる青年に声をかけた。昨日は常連の女性だったが、この青年は初めて見る顔だった。

「どうした青年。元気ないな!」

 青年はゆらりと顔を上げ自分を認識すると、こくりとやけに素直に頷いた。

「そうかそうか。俺で良ければ話聞くぞ!」

「……聞いてくれます……?」

 そうして青年が語りだしたのは、失恋話だった。いや、正確に言うと諦めてはいないらしいので失恋ではなくフラれただけだと、彼は力なく笑った。それが強がりからくるものなのは一目瞭然なのだが、それより気になるのは内容のほうだ。この道端で酔いつぶれていた女性をラブホで介抱し、名刺を頼りに会社に押しかけフラれた。後半はともかく前半の流れは先日雪から聞いた話と合致する。まさかこの男が。いやまさかそんな偶然あるだろうか。

 ぐだぐだ話している彼を眺めてみる。イケメンである。

 整った顔立ちにふわふわのパーマがあたった黒髪。垂れがちな目は愛嬌もあり女性受けする顔をしていると、男の陣からも見て取れた。弟子の純も似た系統の顔立ちをしているから、仮にこの青年が件の男だとすると、雪が純を嫌がったのにも合点がいく。

 のんきに話を聞いていた陣は、いつの間にか青年が泣きだしていることに気づいた。

「ホントに好きなんです……一目ぼれだしちょっと喋ってみてオレになびかない女って珍しくって楽しくて、ガチ恋になっちゃったんですよ……」

「まあその女もびっくりしただけだって!」

「びっくり……?」

「おまえさん、朝起きて知らない男が傍にいたらどう思う?」

 青年はシチュエーションを思い浮かべている様子で視線をさまよわせ、恐る恐るといったように口を開いた。

「驚きます……」

「だろ? その男がさらに迫ってきたらそりゃまたびっくりするだろうよ」

 酒を煽ろうとする青年。その手を陣が止める。

「心当たりがあるなら反省しな。酒と一緒に飲み込むなんざ、臆病者のすることだ。諦めてないなら今ここで吐き出しちまえよ」

 鋭い眼光に青年は少し怯み、それからぽつぽつと呟きだした。

「怖がらせたかもしれない……でもそんなことオレは思いもしないで自分のことだけ押し付けて……」

 困惑と後悔が混ざったような眼だ。無理もないか。

「オレ、どうしたらいいんですかね」

「まずは無理強いを止めることだ。相手はストーカーだと思っているかもしれない。ほとぼりが冷めたらまた連絡してみるなり会いに行くなりするといいさ」

 そしてそれはそう遠くない未来だと、陣は思っていた。

 青年は今度こそ酒を煽った。

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