第14話 リボルト#03 一喜一憂の新歓パーティ Part4 千恵子励まし大作戦!

「まあ、せっかくのおいしい料理が冷めちゃったらもったいないし、気にしないで食べようよ」

 得意げに笑っている優奈は、すいすいと好きなおかずを無造作におわんに持っていき、何の後ろめたさもなくこう言い放った。

「あっ、独り占めしやがって! ずるいぞ!」

 そんな優奈を見て、思わず大声をあげた聡。やれやれ、みんな食いしん坊だな。

 ったく、どいつもこいつも呑気すぎるだろう。いくらなんでも、さすがに彼女一人を仲間はずれにするのは言語道断すぎるぜ……どうすりゃいいんだ、これ?


「で、どうする? 君のことだから、きっと彼女のことが放っておけないだろうね」

 その時に、俺の後ろから哲也を近付いてきて、悩んでいる俺に暖かい言葉を投げてきてくれた。振り返ってみると、彼の顔には優しい笑顔が浮かんでいる。

「あったりめーだろう。やることは一つだ」

 そう、迷うまでもねえ。答えは既に俺の心の中にある。

「千恵子を探し出そう。あいつに寂しい思いをさせないためにもな」

「ふん、君は相変わらずだな。そう言ってくれると思っていたぞ、秀和」

「ふふっ、秀和くんらしい答えだね。あれから全然変わってないな」

 哲也と菜摘は、俺の答えに頷いてくれた。さすがは俺のことをよく知ってくれてる親友たちだな。


「だけど、その前に」

「ん? なにか忘れ物でも?」

 俺の付け足した発言に、菜摘は頭を傾げる。

「このお料理マジうめーぜ! 普段なら何万円もするコースのはずなのに、まさか無料で食えるとは……というわけで、まずは腹ごしらえだ! ほら、『腹が減ってはいくさはできぬ』ってよく言うだろう?」

 テーブルに戻った俺は、箸を構えてジューシーな牛ロースを口に運んだ。お布団みたいな弾力のある食感と噛む度に溢れ出す肉汁が、俺の理性をかき乱している。

「結局食べるんかい!」

 そんな俺を見て、哲也はがっくりと肩を落とし、思わずツッコミを入れてきた。

「そう固いこと言わず、一緒に食おうぜ」

 俺は箸で一枚の牛ロースを挟み、見せびらかすためにそれをふらふらと揺らしている。

「もーう、本当に変わってないんだから、秀和くんは」

 さっきまで笑顔だった菜摘まで、苦笑せざるを得なかったようだ。


 まあ、善は急げってんだ。あんまり時間がなかったため、俺たちはなるべく食事の時間を縮めた。ただ途中で何度かむせりそうになって、哲也や菜摘に水を届けてもらう羽目になっちまった。

「まったく君って人は……どうせ食べるなら、ゆっくり食べればいいものを。九雲くんに見られたら、きっとまた叱られると思うぞ」

「そうだよ! 九雲さんを探す前に、秀和くんがへばったらどうするの!」

「けほけほ……うう、情けないトコ見せちまったな」

「まあ、急ぐ気持ちは分かるけどね」

 俺を責めた菜摘は、さりげなく一言フォローしてくれた。

「さて、これぐらいで充分かな。そろそろ行くか、秀和、菜摘」

 最後の一口を食べ終わった哲也は、丁寧に箸を下ろした。

「ご馳走さまでした! さて、いこいこ」

 菜摘も箸を下ろして、両手を合わせて感謝の気持ちを伝え、俺たちに千恵子を探すように促した。

「ああ、そうだな。迷えるお姫さんを連れ戻して、励ましてやろうじゃねえか」

 俺たちは椅子から立ち上がり、千恵子を探しに行こうとする。が、その時……


「あ、あの、待ってください!」

 向こうに座っていた冴香も立ち上がって、持ち前のキレイな声俺たちを呼び止めた。

「うん? どうしたの冴香さん?」

「よかったら、私もご一緒にさせてください! どうも、九雲さんのことが心配で……」

 焦っている冴香は、せわしない口調で俺たちに人探しの同行を依頼してきた。やはりさっきの件が気がかりなのか。

「ああ、いいぜ。これだけ広いトコなんだ、人は多いに越したことはないだろう。しかも俺はここに来たばかりだしさ」

 こんなやっかいなことを自ら手伝おうとするとは、なかなか大した仲間だ。それに比べて、他のやつらはいかにも人探しが面倒くさそうにだらけている。化粧している美穂に、相変わらずゲームに夢中の聡、音楽に没頭している優奈。千紗とセーラー服の女子が食器の片付けをしてるから、まだマシな方か。

「それじゃ、決まりだな」

「ああ、グズグズしてないでさっさと行こうか!」

 哲也と俺の呼び掛けと共に、俺たち四人は足を動かして、千恵子の行方を尋ねる。

 寮を出て、今朝俺が乗ったバスで来た道に沿っていくと、俺たちは声の限りに千恵子の名前を呼んだ。


「おーい、千恵子! どこにいるんだ?」

「九雲さ~ん、いるなら返事をして~」

 静かな大通りに、ただ俺たちの呼び声が響き渡る。にもかかわらず、千恵子の返事が出てこない。

「出てきませんね……どこにいったんでしょう」

「さあな……これは参ったぞ」

 千恵子の居場所を把握する方法を見つからず、俺たちは道の途中で立ち止まり、悩み始めた。

 いや、待てよ。俺の経験からすれば、人は物凄く落ち込む時に、心が一番やすらぐところに逃げ込むことが多い。ならば、千恵子の場合だと……


「みんな、寮に戻ろう」

「えっ、なんで?」

「大丈夫か、秀和? 僕たちはついさっき、寮から出てここに来たんだぞ。戻ってもしょうがないじゃないか」

「だからこそ戻るんだよ。あそこは彼女にとって一番大事な場所だからな」

 菜摘と哲也の疑問に、俺はこう返した。なぜなら、千恵子はいつも憂鬱ゆううつな顔をしていたけど、あの寮の話をする時に限って笑ってた。だから彼女はあそこから離れるなんて考えられない。きっとまだ残ってるはずだ。

 俺は自分の考えを教えると、三人が一斉に賛成してくれた。


「なるほど……確かに一理あるな」

「すごいね、秀和くん! まだ九雲さんに出会ったばかりなのに、よくそこまで気付いたね!」

「うふふっ、さすがですね、秀和さん。私も見習わなくちゃ!」

「そう褒めるなよ……照れるだろう」

 いつもネガティブな評価を受けたことが多い俺には、やはり褒め言葉はなかなか慣れないもんだ。まあ、悪い気はしねえけどな。

「大体、彼女は寮にいるかどうか、まだ決まったわけじゃねえし」

「それでも、試してみる価値はあるだろう? まずは自分を信じるんだぞ、秀和」

「そうだよ! いつもの秀和くんは、もっとこう、自信満々な感じでしょう? 『俺の推理に間違いはねえ』とかね」

 自信が揺らいでいる俺に、二人が活を入れてくれた。まさか常識人が俺の意見に賛成してくれるとは、こいつは驚いたぜ。まあ、親友だからこそ、こんなことが言えるだろうな。俺は改めて、友達がいることがいかに大事なのかを認識できた。

 さてと、寂しい千恵子に、自分は一人じゃないってことを思い知らせようじゃねえか。


 俺たちは寮に戻り、翡翠色の竹模様入りの壁紙が再び俺たちの視線に移る。その時に、俺は一つ大事なことを思い出す。

「って、千恵子の部屋は何番なんだ?」

「えっと、確かにまる……」

「いや、待て。俺が当てる。二零九だろう?」

 さっき励まされた勢いのせいか、俺は記憶をたどっている菜摘の言葉を遮って、勝手に推測を始めた。

「すごい! なんで分かったの?」

「名前に『九』が入ってるから。ただそれだけ」

 驚きのあまりに大声を出した菜摘の質問に、俺はどうでもいい根拠を口にしてみた。

「それなら、『千』も入ってるぞ」

「さすがに部屋は1000もないだろう、哲也」

 哲也のツッコミに、俺は理性に返してやった。なんか立場が逆転された感じだな。


「まあまあ、冗談はこれぐらいにして、早く九雲さんを探しましょう!」

 冴香はここでもリーダー体質をうまく働かせて、俺たちを進めるよう声をかけた。その言葉は見えない手のように、俺たちの背中を押してくれる。

 階段を上がってナンバープレートを一つずつ確認しながら、俺たちはやっと「二零九」と書かれている部屋にたどり着いた。

「いいか、俺は三を数えたらドアをノックするぞ……って、なんでそんなにかしこまってんだよ?」

 背中に異物感を覚えた俺は振り向いてみると、なぜか三人が俺の後ろに縮こまっている。そして彼らの顔は、明らかに強ばっていて、目も見開いたせいで瞳孔どうこうが何倍も大きく見える。


「い、いや、なんというか、彼女を励ましに行くというのはいいんだけど、今の彼女はどんな心境かはよく分からないからさ……」

「そ、そうだよ……さっきみたいにまた怒られたら、どうなるかわかんないよね!」

「わ、私は九雲さんのことを悪く思うつもりはないんですけど、余計な言い争いは避けたいな~って」

 やれやれ、ここまで怯えるとは、一体普段彼女にどんなひどい目に遭わされてきたんだ。

 だが俺は違う、断じて違う! 何もしねえで後悔するより、何かをしてから後悔したほうがずっとマシだぜ!


「おいおい、ここまで来たのに、なにビビってんだよ? あいつは今、一人で寂しい思いをしてるんかもしれないんだぜ」

「ま、まあ、そうだけどさ……おい!」

 急に大声で叫ぶ哲也。なぜかというと、あんまりにもじれったいので、俺はもうドアをノックした。これでもう逃げ場はなくなった。さて、ここからはどうなるか……?

 意外なことに、約5秒が経ったが、なにも起こらなかった。千恵子の声も聞こえなかったし、ドアも開かなかった。


「いないな」

「うん、いないみたいだね」

「そうですね……もしかしてまだ帰ってこないんですか?」

 落ち着け俺。もしかしたら聞こえてなかったのしれねえ。俺はそう信じて、もう一度ドアをノックしてみた。しかし、結果は同じだった。

 ……あれ、もしかして俺の見当違い? やべえ、恥ずかしいぜ!

 あんまりの気まずさに、俺は思わず目を閉じ、片手を額に当てた。

「まあ、こんな時もあるさ」

「そうそう、だからそんなに落ち込まないで!」

「そうですよ、きっとそのうちに戻ってきますから!」

 優しい三人は、失敗した俺を元気付けてくれた。なんて頼もしい仲間なんだ。


「サンキュー。けどな、部屋にいないとしたら、あとは屋上しか思いつかないぜ」

「屋上? 何勘違いしているんだ、秀和。ここは学校じゃなくて寮なんだぞ」

「寮だからって、屋上はないとは限らねえじゃん」

 哲也の一般論に、俺は意地でも自分の意見を通そうとする。

「でも君は来た時にちゃんと見たんだろう? この寮に屋上はないことを」

「あっ……」

 またしても哲也に論破された。我ながら情けねえ。


「じゃあ、どこにいるんのかな? 困ったな~」

「あっ、みなさん、見てください! あそこです!」

 窓際で眺めている冴香の喜びの声を聞いた俺たちは、スイッチが入ったかのように素早く動き出してのぞき込んだ。

 そこにいるのは、裏側の入り口の前にある小さな階段に、膝を抱えて座っている千恵子だった。顔を深く埋めているため表情はよく見えないのだが、落ち込んでいるのは確実だろう。


「ようやく見つけたぜ……でかしたぞ、冴香」

「いいえ、どういたしまして。私、こう見えても人探しは得意なんです!」

 冴香はなぜか突然ガッツポーズをして、ドヤ顔を輝かせた。

 謎の自己アピールである。さっきまでのアイドルらしい、お淑やかな雰囲気は一体なんだったのか。

 まあ、今はそんなことを考えてる場合じゃない。もっと大事なのは、どうやって千恵子を励ますかだな。


 一階への階段に向かって歩いていく途中、大きな箱型の何かが俺の視線を奪った。自動販売機だ。へー、千恵子のやつ、なかなか考えてるじゃねえか。今日は色々頑張ってくれたんだし、労いに何か買ってやろうか。

 まあ、飲食にうるさい人みてえだし、きっと炭酸飲料とかは好まないだろう。ジュースやお茶とか、健康によさそうなものを選ぼう。というわけで、俺は100円玉を入れて、和風の緑茶の下にあるボタンを押した。すると爽やかな緑色のペットボトルが一本、地味な自由落下運動をこなして姿を現した。

 俺はそれを手に取ると、側に立っている三人を見やった。そうか、千恵子一人の分だけを買うのは、ちょっと不公平だよな。しょうがねえ、せっかくだし、ここは男らしく奢ってやるか。


「お前ら、何か飲みたいもんとかある?」

 俺はそう言うと、三人は喜びの顔をして、リクエストを伝える。

「コーヒーを頼む。あっ、砂糖とミルク入りで」

「私、トロピカルジュースがいいな~」

「あの、いちごオレをお願いします!」

「あいよ。ちょっと待ってくれ」

 俺はまた財布から次々とコインを取り出し、一つずつ自動販売機のコイン入れ口へと投下する。三人が口にした飲み物の名前に対応したボタンを押すと、ドンドンと物音が次から次へと発した。そして三人がしゃがんで、それぞれ注文した飲み物を手に取った。


「あれ、秀和くんは何か飲まないの?」

 両手でペットボトルを握りしめ、フタを開けようとする菜摘は俺に質問した。

「そうだな……じゃあ、俺はジンジャーエールにするぜ」

 色々あったこの日に、刺激性のあるドリンクに限るぜ。印象を強めるためにも、あえてこういうパンチの効いたものが飲みたくなるな。

 と、その時に、菜摘はスケートをしているようなポーズで、片足を上げた体勢で、一陣の風と共に俺の前に割り込んできた。その片手から100円玉が滑り出して、そのままコインの入れ口に突っ込んだ。ボタンのランプが光った瞬間、菜摘は蚊を叩くような勢いで、手のひらを開いてジンジャーエールのボタンを押した。


「はい、秀和くん、ジンジャーエールだよ」

 俺にジンジャーエールを渡してきてくれた菜摘は、満面の笑みを浮かべている。

「あ、ありがとな、菜摘」

 俺は少し驚きながら、感謝の意を表明し渡されてきたジンジャーエールを手に取る。

「それにしても、ずいぶんとワイルドだな。いくら俺が奢るのが申し訳ないと思ったからって、そこまでやらなくてもいいんじゃねえか?」

「だって、あんまりグズグズしてると、先に越されちゃうからね~それに、私だって変われるんだって、秀和くんに知って欲しいから」

「ったく、やぶから棒だな。けどまあ、確か昔の菜摘じゃ、想像できない行動かもしれねえな」

 俺は苦笑しつつ、ペットボトルのフタを開けた。シュワと涼やかな音を立てた泡は、僅かながら俺の火照る体をクールダウンしてくれている。

「うふふっ、菜摘さんって本当に面白い人ですね。新しい一面、また見ちゃいました」

 この場面を見ている冴香は、フタを持っている手で口元を隠し、クスクスと淑やかに笑っている。


「へっ!? いやいやいや、違うの冴香さん! これはいわゆる気分転換というやつで……」

 憧れの対象の前でまだ身構えているのか、冴香の存在を思い出した菜摘は、振り返ったとたん表情が一変し、必死に慌てて両手を振って否定しようとしている。おかげで揺るがされたペットボトルから、苦しみの訴えが聞こえてくる。

「あんなにはしゃでおいて、今更否定しようとしても無駄だろう、菜摘」

「そうだな。俺は哲也に賛成だ」

「あうう……もう、恥ずかしいよう」

 まるで力が抜けたかのように、菜摘はがっくりと肩を下ろした。

 って、こんな茶番をしてる場合じゃねえな。早く千恵子のところに行かねえとな。


「よし、さっさと行くぞ。もたもたしてると千恵子が待ちくたびれちまうぜ」

「ああ、そうだった! 早く行こう~」

 俺たちは階段を降りて、裏側の入り口へと進む。少しずつ、膝を抱えて座り込んでいる千恵子の口から、ひっそりとつぶやきが聞こえてくる。

「もう、理解に苦しみます……わたくしはただ、みなさんがもっと立派な人間になって欲しいと願っているだけなのに、どうしてこんなことに……ぐすん」

 千恵子は少し涙声を立てながら、そうぼやいている。まあ、本人には悪気はなかったとはいえ、あの強圧的な態度はちょっと頂けないな。ただ、今は言わないほうが得

策だな。

「そういえば、お父様とお母様は、元気でいらっしゃるのでしょうか……もう一年間も連絡が取れていませんし、顔合わせもできていません……いつになったら、ここから出られるのでしょうか……不安です」

 あまりにも寂しかったのか、千恵子は急に話題を家族に移した。外界との接触が断絶することにより、彼女の内心に潜む孤独と不安を掻き立てる。

 そして徐々に、彼女の思惑は膨大していく。


「わたくしたちは、どうなっていくのでしょうか……? 安逸あんいつむさぼりながら、このまま滅びるというのですか……いいえ、こんなのあんまりです! これはわたくしが望む未来とは、大きく離れています! なんとかしなくては……きゃっ!?」

 独白モノローグの途中で、千恵子は突然驚きの声を上げた。無理もない、何故なら俺は冷えた緑茶のペットボトルを彼女の頬に当てたから。


「よう、何一人で悩み込んでるんだ?」

 俺は緑茶を持っている手をふらふらと振り、彼女にプレッシャーをかけないために、少し余裕な笑顔を見せた。

「狛幸さん! それに端山さん、立花さん、光橋さんも……」

 不意を突かれた千恵子は、俺たちの到来を予想できず、さきほど落ち着いた凛々しい雰囲気がまったく感じ取れず、あたふたしている。この時の彼女は、料理屋の板前娘ではなく、ただ一人の普通の少女だ。


「ごめんね九雲さん、立ち聞きしてるつもりじゃなかったんだけど、どうしても気になっちゃって……」

 写真の件で緊張しているのか、菜摘はまた腰に巻いているカーディガンの裾を弄っている。千恵子の反応を窺うために、俯くその顔から時々視線が感じる。

「九雲さんって、私たちのために色々考えてくれてるんですね。今まで気付いてあげられなくて、本当にすみません」

 気配りのいい冴香は、自分のせいでもないのに、頭を大きく下げて、謝意のこもったお辞儀をした。

「うーん、こういう時はなんと言えばいいんだろう……まあ、あれだ、お疲れさまだね、九雲くん」

 正直者の哲也は、虚飾のない素直な気持ちを伝えた。彼の表情から、真剣に考えていることは窺える。ただやはり菜摘以外の女子の前だと、つい上がってしまうのはこいつの悪いくせだ。まあ、哲也のそういうところも嫌いじゃねえけどな。


「み、みなさん……」

 心を打たれる千恵子は、どうやら返事に戸惑い、この言葉しか言えなかったみたいだ。その目には、光の反射により一層眩しく見える。涙を堪えているのが分かっている。

「確かに千恵子のやり方は少し過激だったけどさ、それも俺たちを考えてくれたからこそ、あんなことをしたんだろう?」

 あれ、おかしいな。ルールが大嫌いな俺は、なんでこんなことを言い出すんだろう? そうか、よく考えてみたら、お袋は俺の小さい頃から家を出て行っちまったんだ、だから千恵子の存在は、俺の母性愛への追求を喚起してくれたのかもしんねえ。

 だが、それだけじゃねえ。何よりさっき千恵子が会場から出て行った時の背中は、とてつもなく悲しくて、どうしても放っておけなくて……やれやれ、相変わらずお人好しだな、俺は。


「え、ええ……そうですね」

 自分の意見が賛成されて、何故か困りの顔色を示す千恵子。彼女は頷いたあと、適当に相槌をした。もしかして聡や美穂たちみたいに、俺たちも反対するとでも予想していたのか?

「それなら心配するな。千恵子は深く考えた上で決めたことだ。きっとその道は、俺は間違っていないと思うぜ」

「わたくしの……道……」

 千恵子は俺の言葉を繰り返すと、深く俯いて、何かを考え込んでいるみたいだ。しばらくすると、彼女のその不安に覆われている顔が、やがて晴れて明るくなる。


「どうだ、少しは楽になったか?」

 俺たちの励ましは彼女にとってはどんなものか、俺に知る由もない。だが、少しでも彼女の役に立てれば、それだけで充分だ。

 千恵子は立ち上がり、裾に付いているホコリを払う。そして彼女はそう言った。

「みなさん、本当に有り難う御座います。いくら感謝しても感謝し切れません。あなた方に出会えたこと、心から大変嬉しく存じております。こんなわたくしですが、これからも、何卒宜しくお願い致します!」

 丁寧な言葉遣いで難なく礼を述べた千恵子は、大きなお辞儀をした。顔を上げた時、彼女のその笑顔は、俺が今まで見てきたどの絵や写真よりも美しい。


「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」

 千恵子の笑顔の力が伝染しているおかげか、冴香はさきほどより一層かわいらしい笑顔を浮かべて、またペコリとお辞儀をした。

「あはは、九雲さんもこういう意外な一面があるんだね。もっと仲良くしようと思ってるんだけど、どうしてもしっかり者で厳しいイメージが強くてさ……」

 菜摘は人差し指で頬を引っかきながら、気まずそうに笑っている。

 まあ、あんな風に何度も注意されると、さすがに誰でも気疲れするだろうな。それでも、迷わずに自分の気持ちを素直に伝えられるところは、菜摘が成長できた証だな。


「そうでしょうか? やはり、規則に気にしすぎたせいでしょうか……誠に申し訳ございません、端山さん」

 自分の失態に気付いたからか、千恵子は眉間にしわを寄せている。白い素肌に相応しくない波紋が目立ちすぎる。

「ううん、別に九雲さんを責めているわけじゃないよ! だからそんな暗い顔をしないで!」

 落ち込む千恵子を見て、菜摘は慌てて両手を大きく振り回して、彼女を励まそうとしている。モデルになったとはいえ、やはり変わってないな、菜摘は。

「その通りだ。ルールを守ること自体は、別に悪いことじゃない。要はバランスの問題だ」

 理性に物事を考える哲也は、落ち着いて問題を分析し意見を述べている。その説得力の強さに、俺は返す言葉を見つけられなかった。

「ほらな? こんなに君の考えてることを賛成しているやつがいるんだ。もっと自信を持てよ」

 俺は親指を立て、千恵子に元気を付けられるよう、なるべく大声で言った。

 だが、千恵子は返事せず、何かを考え込んでいるかのように頭を下げた。


「く、九雲さん……?」

 千恵子がまた落ち込んでいるのかと心配している菜摘は、声をかけて反応を試みる。

 すると千恵子は、滑らかに頭を上げて、クスクスと笑っているのじゃないか。

「ふふっ、わたくしって本当にバカなんですね。今までずっと、一人で何とかしようと思っておりましたが……どうやらわたくし、間違っていたみたいですね。よく考えてみると、わたくしがみなさんのご意見に耳を傾けたこと、一度もありませんでしたね。これは反省しなくてはいけませんね」

 千恵子はやや自嘲気味で、自分のことを見直しているようだ。その声になぜか、笑いがこもっている。


「さすが九雲さん! 色々考えているんですね」

 そんな千恵子を見て、冴香も思わず笑顔を浮かべて、両手を合わせている。

「いいえ、これはわたくし一人では到底できないことです。みなさんのおかげで、わたくしは自分を見つめ直すことが出来ました」

「ふん、ようやく落ち着いたみたいだな。いいか千恵子、君は一人じゃないんだぜ。ここにいる以上、みんなは同じだ。いわゆる『運命共同体』ってやつさ」

「運命共同体! いい響きだね、秀和くん~」

「やれやれ、君は相変わらず変わったセンスをしているな、秀和」

 高い評価をしてくれた菜摘に対して、容赦なく突っ込む哲也。両者が鮮明な対比と化して、俺の心を揺るがす。

「そうか? まあ、褒め言葉として受け取ってやるよ、哲也」

 まあ、それで俺の気持ちが動くわけじゃねーけどな。

「それでは、九雲さん励まし大作戦の成功に、乾杯しましょう!」

「おう、そうするか!」

 アイドル故に社交場面に慣れている冴香は、雰囲気を盛り上げようと手に持っているペットボトルを軽く上げた。俺たちも彼女に倣ってペットボトルを上げて、互いにぶつけ合い、友情という名の火花、じゃなくて波をこの場で刻んだ。そして喜悦と共に、容器の中にある液体を一気に飲み干した。


「ぷは~、やっぱこういう時のジンジャーエールはうめえな」

 たくさん喋ったことで乾いた俺の喉で荒れ狂うジンジャーエールの川が、全身の神経を興奮させた。泡立つ爽快感がたまらねえ。

「もう、狛幸さん、炭酸飲料は体に……と言いたいところですが、今は空気を読んだほうがよさそうですね」

 人差し指を立ててまた説教を始めようとした千恵子だったが、さすがにこの場面じゃまずいよな。

「おっ、成長したな千恵子。やればできるじゃないか」

「いいえ、これはただの始まりに過ぎません。まだまだ精進しなくてはなりません」

 やれやれ、千恵子って本当に真面目なんだな。まあ、そこは彼女らしいからいいか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【雑談タイム】


秀和「ふう、ジンジャーエールうめ~」

菜摘「秀和くん、さっきから同じこと言ってるよ~」

秀和「そりゃ、うまいからな。他の言葉言葉が見つからねえぐらいにな」

菜摘「まあ、確かにこのジュースも凄くおいしいもんね~」

千恵子「ふふっ、暖かい日当たり、小鳥のさえずり、そして芳しい緑茶の芳香ほうこう……実に微笑ましいことですね」

冴香「時間はずっと、このまま止まってしまえばいいのに……でも、さすがに無理な話ですよね」

秀和「ああ、俺たちには、まだ輝かしい未来が待ってるからな!」

哲也「ふん、何とかいい話っぽく収まったみたいだな、秀和。お約束ってやつか?」

秀和「ちげーよ! 俺の辞書には『お約束』って言葉はねーからな。ただこれを言うと格好いいなってさ」

哲也「相変わらず正直な人だね、君は」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る