第2話 Nine tails
今夜は繁華街の方を歩いてみよう。雑踏の中に身を置いて流れて行く人混みの中をただ歩き続けるだけ。耳に入る喧騒、目に映る色とりどりのイルミネーション、鼻をくすぐるヒトやケモノ、アスファルト、街路樹の葉とその根元の土、飲食店から漂う匂い。何も考えず歩いていると自分が大きな群れの一部になったように感じる。オオカミのフレンズである私にとってここが居るべき場所なのだろうか。
「ねぇ、私ぃ、酔っちゃったみたい〜」
媚びるような声で男にしなだれかかるフレンズ。
「どっかでぇ、休憩しない?」
改めて目をこらせば、ヒトとフレンズのカップル、笑い合いおしゃべりに夢中な友人同士のグループ、両親とはしゃぐ子供、様々な群れが行き交っている。
私は不意に立ち止まる。やはり、ここは私の群れではない。私の群れは、家族はもういない。
ヒトとフレンズが共に生きる街ジャパリポリス
無数の出会いと別れが交錯し
数多の笑顔と涙が生まれるこの街で
人々は生きていく未来へと繋がる今日を
「次のニュースです。昨夜市内のホテルで宿泊客の様子がおかしいと通報がありました。病院に搬送された宿泊客の男性は重度のサンドスター欠乏症で、一命はとりとめたものの現在も意識が戻らない状態が続いているとのことです。」
俺は仕事場でもある車の中でラジオのニュースを聞き流していた。不意に窓を叩く音がする。横を見ると真っ先に黄色と蒼色の瞳が目に入ってきた。あの満月の夜のフレンズが立っていた。窓を開けるとあのハスキーな声が耳に入る。
「やあ、覚えているかい?この前は互いに名乗る暇もなかったね。私は…」
「そこの通りをまっすぐ行って、交差点を右に曲がれば交番があるよ。」
「ああ、ありがとう、ここら辺は歩き慣れていなくて迷ってしまったんだ、助かったよ。って違うだろ!何をやらせるんだ。」
「いいノリツッコミ頂いたよ。ふふっ。」
後になって思えば、我ながら咄嗟にどうしてこんな事をしたのか全然わからない。心のどこかに彼女との再会に浮かれている自分がいたのかもしれない。
「よかったら中で話さないか、漫画家のワオンソン先生。」
そう言って俺は助手席の荷物を適当に、後部座席に積まれた生活用品の上に置く。彼女の方を見ると怪訝な表情を浮かべていたが、俺が助手席のロックを外し、軽く顎をしゃくって合図するとドアを開けて中に入って来た。
「どうして私が漫画家のワオンソンだと分かったんだ?」
「この前、あの満月の日だったな、ラジオに出ていただろう。聞いていたよ。」
「それだけじゃあ、私とラジオのワオンソンが同一フレンズだという理由にはならない。」
「声が同じだ。」
「声が?」
俺は彼女を横目で見た、視線を落とすとスカートから覗く彼女のふとももが目に入り、俺はつい明後日の方向へと視線を逸らす。
「い、いわゆる、声紋ってやつかな。声の違いが判別できるんだ。」
「ふうん。君は耳が良いんだな。」
彼女は顎に手を当て考え込むような仕草をする。
「ワオンソンさん…」
「タイリクオオカミだ。そう呼んでくれ。それで君の名は?」
「俺は未来智也。」
ミライトモヤ、彼はそう名乗った。今日は担当編集のアミメキリンと打ち合わせがてら外で食事をする予定だったのだが、予定の時間より大分早く自宅を出た私は辺りを少し散歩する事にした。そして偶然にもコンビニエンスストアの駐車場に停まっていたこの車を見つけ、運転席の窓を叩いたのだった。
どうしてこんな事をしたのか、正直分からない。この男の何が私の心に引っかかるのか。しかし、ラジオで聞いた声から声紋を判別できるという、彼の言葉に好奇心が掻き立てられたのも正直な気持ちだ。
待ち合わせの時間が迫っていたが、もう少し彼に付き合ってみよう。
「実はあれから君に興味が湧いてね。君が一体何のフレンズとのミックスなのか。」
言いながらざっと彼を観察してみる。青いシャツと黒ズボン、黒髪でもみあげの先だけが白くなっている。長身で肩幅が広くがっちりとした体格だ。
加えて力が強く、声で個体を判別できる。
「ふうむ。」
私は顎に手を当て思案してみる。
「さて、それじゃあタイリクオオカミさんの答えは?」
「……、私よりも大きな動物…」
「残念!動物名を答えて欲しかったな。」
「解答権はまだ有るだろう?出来ればもう少しヒントが欲しいな。」
そう言って彼の膝の上に置かれた手帳に視線をやる。思わず覗き込もうとしたところで彼が手帳を閉じてしまう。
「これは秘密。悪いが君にはちょっと見せられないな。」
「自作の詩とか?いや、仕事のスケジュールか。私が見たらまずいのかい?そういえば、君は何の仕事をしているんだ?」
「実は今も仕事の最中だったんだが。それも当ててみたらどう、だ…い?」
こちらを見返した彼の顔が驚きの表情に変わる。振り返った私の目に私達を見下ろす顔が飛び込んできた。
「ナニヲシテイルンデスカ?セ・ン・セ・イ!」
私の口から悲鳴が飛び出した。
その日の夜、俺はファミレスで夕食をとっていた。昼間の出来事を思い出して思わず口元が緩む。タイリクオオカミとアミメキリンか、何というかおかしなコンビだな。
車を降りた俺達の前に背の高いフレンズが立っていた。
「まったく、待ち合わせの場所に居ないと思ったら。」
「ああ、済まないアミメ君、ついうっかり待ち合わせの時間を…」
言いかけたタイリクオオカミの腕を掴んで引き寄せると、アミメと呼ばれたフレンズは彼女をかばうように前に出た。
「危ないところでしたね先生。しかしこのアミメキリンが来たからにはもう大丈夫ですよ!」
アミメキリンは俺を睨みつける。
「名探偵アミメ・クリスティの孫、このアミメキリンには全てお見通しよ!」
そして彼女は俺に向かって右手の人差し指を突きつけた。
「あなたが犯人ね!」
「は?」
「トボけてもムダよ!アナタは先生を車の中に誘き寄せて、クスリかナニかで眠らせ、そして先生を!」
言いながら彼女はわなわなと全身を震わせる。
「テゴメにするつもりだったんでしょう!」
「アミメ君、少し落ち着いて…」
「何て恐ろしい…、これがヒトの、いえ、これこそがヒトの本性。」
「落ち着いてくれアミメ君、論理が飛躍し過ぎじゃないか。また勝手な憶測を。」
「狭い車の中、ヒトとフレンズが二人きり、何も起きないハズが有りません!」
「だから熱くなり過ぎだ!頭を冷やせ!」
その後どうにか落ち着いたアミメキリンに経緯を説明する。
「それにしても、よく知りもしない男の人の車に乗るなんて不用心過ぎますよ、先生。」
彼女は今ひとつ腑に落ちないという表情で言う。
「そうだな、今度から気を付けるよ。」
オオカミはそう答えると、俺に向かって軽く頭を下げた。
「済まなかったな、彼女には悪気は無いんだ。」
「いや、気にしていないさ。むしろ面白い娘じゃないか。」
そう返した俺の顔をアミメキリンが凝視する。
「今度は何だい?」
「私、この人が何のフレンズか分かりましたよ。」
「ああ、そうかい、それで彼は何のミックスなんだい?」
半ば呆れた表情でオオカミが返す。
「あなたはオオカミね!」
得意げな表情で自称名探偵の孫は告げた。
「…一応、根拠を聞いておこうか。」
「昔から言うでしょう、“オトコはオオカミ”と!」
俺達は互いに顔を見合わせると苦笑いを浮かべる。
二人を見送った後、俺もコンビニのパンとミルクティーで遅めの昼食をとったのだった。
そんな出来事を思い浮かべながら食後の紅茶を飲んでいたところ、何やら騒がしい声が耳に飛び込んできた。
「お前、さっきから彼女になれなれしいぞ!」
「お前こそ何なんだよ!彼氏ヅラしてんじゃねーよ!」
若い学生だろうか、少し離れた席に四、五人のグループが座っていたのだが、そのうちの二人が口論しているようだ。二人は立ち上がり互いの襟元を掴む。このままでは殴り合いの喧嘩になりかねない。
「ひいばーちゃんは言っていた。群れのいさかいを治めるのもリーダーの務めだと。」
俺は一つ息を吐くと席を立った。睨み合う男達に近付き声をかける。
「二人共熱くなり過ぎだ。頭を冷やせ。」
「ああっ?なんだオッサン!引っこんでろよ!」
「余計なことすんなよ!ウゼェんだよ!」
怒鳴り返す二人の手首を掴むと強引に引き剥がす。そのまま軽く両手に力を入れると二人は悲鳴をあげる。
「痛っ!イテテテテテテ!イテェよう!」
「痛い!イタイ!イタイ!イタイって!」
頃合いを見て手を離す。二人共涙目で手首をさすっている。
「喧嘩するならどこか他所でやるんだな。ここは皆が楽しむ場所だ。分かったか?」
「…ハイ。」
「すいませんでした…」
割とすんなり治まった。自分の席に戻ろうとした時、奥に座っていた眼鏡を掛けたフレンズと視線が合った。彼女は口元に笑みを浮かべてこちらを見ていた。
その後店を出て駐車場の車に乗ろうとしたところで声をかけられた。
「ねぇ、待ってよ。お兄さん。」
振り返ると先程の眼鏡のフレンズが笑顔で立っている。他のメンバーの姿は見えない。
「さっきはありがとう。助かったわ。」
言いながら前かがみになり上目遣いにこちらを覗き込んでくる。眼鏡の奥の瞳が妖しく光る。
「あなた、強いんだ。ねぇ、二人きりでどこかで話さない?」
香水の匂いか?甘い香りが漂ってきた。
「ふふっ、出来ればお酒が飲める所がいいかなぁ。どう?」
彼女が腕を絡めてくる、酔ってもいないのに体が火照ってきた。
その時、突風が吹きつけ彼女の白い髪に落ち葉が着いた。おもむろにそれを取ろうと手を伸ばした時だった。不意に彼女は俺の手を払い、後ずさると眼鏡を押さえながら鋭い視線を向ける。一瞬の後に彼女はハッとした表情を浮かべると、ばつが悪そうに笑ってみせる。
「ご、ごめんなさい。何かびっくりしちゃって。」
「いや、いいんだ。…悪いが俺はもう帰るよ。まだ仕事が残っているんでね。」
「えっ、そうなんだ。じゃあこれを。」
そう言って彼女は何かのチケットを渡してくる。
「今度うちの大学で学園祭があるの。よかったら来て。これ持ってると出店なんかでサービスしてもらえるの。ペアチケットだから、友達とか彼女と一緒にね。それじゃあ、おやすみなさい。」
彼女は足早に立ち去った。俺は車に乗り込むと独りごちた。
「彼女と一緒に、ねえ…」
窓の外に目を向ける。昼間そこにあったフレンズの顔が脳裏をよぎる。その時になって気が付いた。
「しまったな。連絡先を聞いていなかった。」
翌日、俺は昨日と同じ駐車場、同じ場所に車を停めて待っていた。淡い期待を抱きながら。だが三日経っても彼女は現れなかった。
学園祭がある日の二日前、俺は路肩に車を停めて人通りの少ない道を歩いていた。あの満月の夜に彼女と出会った場所へと。無論、そんな映画みたいな事がある訳が無い、と思いながら。それでも微かに期待している自分がいる。だが、彼女の姿は無い。
「馬鹿らしい。何をしているんだろうな、俺は。」
やはり、現実はこんなものだ。もう真夜中を過ぎた。帰ろう。そう思って来た道を戻る。車が視界に入った瞬間、心臓が大きく脈打った。自然と早足になる。一人のフレンズが車の横に佇んでいる。その顔がこちらを向く、黄色と蒼色の瞳が星明りの下でも鮮やかに映った。
「やあ、奇遇だな。タイリクオオカミさん。」
「ああ、虫の知らせというやつかな。ここに来れば君に会えるような気がしてね。」
「オオカミさん、明後日、いやもう明日になるのか。予定があるかな?」
「特には無いけど、どうしたんだい?」
「急な話だが。…いや、その前に、珈琲を飲みに行こう。冷えるだろう?」
「私は寒さには強い方なんだが。君は苦手なのかな?ふふ、いいとも行こう。」
俺は行きつけの店へ車を走らせる。こんなにも楽しい夜は初めてかもしれない。二人で飲む真夜中のコーヒーの味は悪くなかった。
学園祭当日、俺達は三人で大学内の出し物を見てまわり、カフェで一息ついていた。
「いらっしゃ〜い、チケットを持ってるお客さんにはサービスだよ。はい、おかわり自由だから好きなだけ飲んでいってねぇ。」
メイド姿のフレンズが俺とオオカミさんの前に紅茶を置く。
「私にはオレンジジュースを下さい。」
アミメキリンが給仕のフレンズに告げる。
今朝、待ち合わせ場所に行くと彼女も付き添いとして一緒に来ると言う。未だに俺を警戒しているようだ。まるで保護者だな。
俺が知る限り漫画家ワオンソンは二年程前から活動している。ネイティブフレンズは保護された後に最低二年の社会学習が義務付けられているから、彼女は既に四歳以上の筈だ。人でいえば二十歳前後か。アミメキリンの態度はいささか過保護過ぎる。或いはそうせざるを得ない理由があるのか?
二人を見ながら、俺はそんな事を考えていた。
「どうしたんだい?ぼんやりして。」
「私には分かっていますよ。オオカミさんに見惚れていたんでしょう。しょうがないヒトですね。」
そう言うアミメキリンの表情は穏やかだ。当初は不機嫌そうだったが、少しは打ち解けたんだろうか。
軽く食事をとってから店を出ると、人だかりの方へ向かう。そこには特設ステージがありイベントが催されているようだ。
「ミス・キャンパスコンテスト、飛び入り参加も有り、ですって。オオカミさん!行きましょう!」
「え、ええっ?」
戸惑うオオカミさんをアミメキリンは強引にステージの方へと引っ張って行く。
「ちょっと待ってくれ、私はミスコンなんて、そんな柄じゃないよ!」
「大丈夫!オオカミさんならいけますよ!」
「智也、君も笑ってないで止めてくれ!」
俺も二人の後についてステージに近づいて行く。
「オカピちゃん、こっち向いてー!」
「ミナミコアリクイちゃーん!可愛いよー!」
「あれ?タマモちゃん、どうしてここに居るの?てっきりエントリーしてると思ってたのに…」
「ク・ジャ・ク!ク・ジャ・ク!ク・ジャ・ク!」
会場はかなり盛り上がっている。ステージ上の女性達に観客から熱心なエールが送られる。
「以上で全てのエントリーが出揃いました。おっと、ここで…」
「はーい!飛び入り参加でーす!さあ、オオカミさん!」
ステージの上で堂々と立つアミメキリン。その陰に隠れるようにして、顔を赤らめたオオカミさんが並んで立った。司会の男が二人に近付きマイクを向けたその時だった。
ステージの一角が崩れ落ち、黒い球体が飛び出して来た。
「セ、セルリアンだ!」
「こっちにもいるわ!」
咄嗟に振り返った俺の視線の先で黒い靄が漂っている。見る間にそれは濃さを増して黒々とした塊になり、セルリアンと化した。
考える間も無く俺は目の前のセルリアンめがけて跳んでいた。奴の“石”に拳を振り下ろす。石と呼ぶには奇妙な、ゴムのような感触がしてそれはセルリアン諸共に砕け散った。
ステージに目をやると既に勝負はついていた。俺は人混みを掻き分けてステージに上がる。
「大丈夫か、アミメキリン。」
「は、はい。」
「タイリクオオカミ!」
「私なら問題無い。この程度の相手に負ける訳が無い。」
そう言ったオオカミの声はさっきとは打って変わって冷たい響きを帯びていた。
ステージ上の俺達に向かって拍手と歓声が上がる。
だが、オオカミは冷ややかな態度を崩さない。
「今の黒いのは下位セルリアンだ。どこかにあいつらを操っている奴がいる筈だ。」
「噂に聞くフレンズ型セルリアンか。だとしてもこの状況じゃ…」
会場には百人以上の人が集まっている。仮にセルリアンが潜んでいたとしても正体を明かすのは無理だろう。
「警察に通報を!学園祭は中止した方がいい。」
俺がそう告げるとステージにいた司会の男は首肯して小走りに去って行った。
「待って下さい!」
会場に声が響き渡る。いつの間にかアミメキリンがその手にマイクを握っていた。
「名探偵アミメ・クリスティの孫、このアミメキリンには全てお見通しです!」
「アミメ君。」
「アミメキリン。」
俺達に構わずアミメキリンは続ける。
「犯人はこの中にいます!」
観客がざわめく。下手をするとパニックになり兼ねんぞ、アミメ。
「いいですか、フレンズに化けたセルリアンは!」
会場にいる全員に緊張が走る。
「ケモ耳の裏にこぶが付いているんです!」
会場が静まり返った。
それは…、昔読んだ漫画でそんなのがあったぞ。だが呆気にとられたものの、視界の端に捉えたその影の動きを俺は見逃しはしなかった。
「どうやら、間抜けは見つかった様だな!」
「どうやら、マヌケは見つかったようだな!」
俺は左手の人差し指を突きつける。
「ん?」
「うん?」
鏡に映ったようにタイリクオオカミも右手の人差し指を突きつけている。俺達は互いに顔を見合わせた。
観客が左右に分かれる。その中心には眼鏡を掛けたフレンズが両手でケモ耳を押さえていた。あれはチケットをよこした白い髪のフレンズ。
「よくも騙してくれたな!このわたしを!」
怒りの形相でこちらを睨みつけると逆立った尻尾が黒く変色する。さらに黒い尻尾が次々と生えてくる。
「なな、はち、きゅう。九本の尾、キュウビキツネ!いえ、セルリアンだからセルキュウビ!」
「ふん!こうなれば、もう取り繕う必要も無い!」
アミメキリンによって名付けられたセルキュウビは先程までの魅惑的な雰囲気から一変、全身から禍々しい威圧感を発している。
「皆離れろ!逃げるんだ!」
「皆さん!お、落ちついて、避難して下さーい!」
俺とアミメが観客に呼び掛ける。
セルキュウビはそんな俺達を嘲笑う。黒い尻尾がうねうねと蠢き周りの人々に襲いかかろうとしたその刹那、一つの影が宙を舞い奴の頭上から鋭い一撃を叩き込む。
タイリクオオカミの一撃をセルキュウビは左腕で受け止める。
そのまま彼女はキュウビの右手側に周り込み脇腹に左拳を叩き込む。
キュウビの反撃より速く飛び退ると背中に周り込み蹴りを放つ。
さらに左に周り放った蹴りをキュウビはかろうじて左腕で受ける。
息つく間もなくオオカミはキュウビの周りを時計回りに
キュウビの防御姿勢が崩れる。その隙を狙ってオオカミは正面から渾身の一撃を打ち込もうと突進した。
その時、彼女の左右から複数の影が襲いかかる。六匹の獣、黒いキツネ型のセルリアンだ。
「一体どこから?」
キュウビの方を見ると尻尾の数が減っている。まさか、尻尾をセルリアンに変化させたのか。
キツネ型のセルリアン、セルキツネ達はタイリクオオカミにまとわり付くようにして攻撃している。一匹一匹の力はさほどでもないが、オオカミは振り払うので手一杯だ。そこにキュウビが迫って行く。
俺はステージから降りるとキュウビに向かって叫んだ。
「おい!眼鏡のカノジョ!あの夜会って以来だな!俺を覚えているか!」
振り向いたキュウビは妖艶な笑みを浮かべる。
「あらぁ、あの時のお兄さん。来てくれたのねぇ。嬉しいわぁ。」
ゆらゆらと尻尾を振って佇む姿はまさに美獣と呼ぶに相応しい。
「まずはアナタから喰べて、ア・ゲ・ル。」
言うと同時に尻尾の一つが触手のように伸びて迫って来る。前に出した右腕に尻尾が絡みつき締め付けられる。右腕が痺れたような感覚になる。これはサンドスターを吸われているのか?
俺は左手で尻尾を掴むと身体を回転させ、背負い投げの要領で尻尾を力一杯引っ張った。
「ぎゃっ!?」
キュウビが悲鳴をあげよろめいた。さらに尻尾を何度も踏み付けてやる。絡みついていた尻尾が外れた。俺は急に脱力感を覚え右腕をかばうようにして片膝をつく。
「智也さん、大丈夫なんですか!?」
アミメキリンが駆け寄って来る。
「キサマ!キサマが余計なことを!」
怒りに顔を歪ませたキュウビの尻尾が二本、アミメキリンに迫る。
俺は立ち上がり両手で二本の尻尾を掴み止めた。力を込めて尻尾を強く握りしめる。
「お前の相手は私だ!」
タイリクオオカミの蹴りがキュウビの腹に突き刺さる。身体をくの字に曲げて苦悶の表情を浮かべるキュウビ。なおも攻撃を加えようとするオオカミだが、セルキツネ達を振り払いながらの為思うようにいかない。
その様子を観ながら俺は考えていた。フレンズの姿をしていてもセルリアンならば…
「身体のどこかに“石”に相当する部分が有る筈だ。」
そうだ、ひょっとして、あの時のあれは…
「タイリクオオカミ!」
「オオカミさん!」
俺とアミメキリンはほとんど同時に叫んだ。
「そいつの弱点は!」
「メガネです!」
タイリクオオカミが右手を大きく振りかぶり、キュウビの眼鏡目掛けて振り下ろそうとする。キュウビは両腕で防ごうとする。
タイリクオオカミの左の手刀がキュウビの無防備な腹を横一文字に斬り裂いた。
「ぎゃああああっ!」
斬り裂かれた腹から黒い霧が噴き出す。真っ黒な霧の中にきらきらと何かが瞬いているのが見える。それはしばらく空気中を漂い消えていく。
「おのれぇ!おのれぇぇ!」
キュウビは目を血走らせ歯を剥き出しにしてなおもオオカミに襲いかかる。腹からは黒い霧が溢れ続けている。奴にとってかなりの深手の筈だ。それでも手負いの獣と化したキュウビは両腕を激しく振り回しオオカミを攻め立てている。
右腕の痺れがひどくなってきた。俺が尻尾を押さえている為にキュウビはあの場から大きくは動けない。だがタイリクオオカミも、セルキツネ達にまとわりつかれている為に思うように動けていない。
どうにかしなければ。左腕も限界に近い。こんな時に、ひいばーちゃんなら…
俺は思い出していた。ひいばーちゃんが、彼女達が歩いていたあの大地。脚の裏に伝わる感触。木漏れ日の輝き。乾いた風。遠く懐かしい記憶を。
俺は彼女達がそうしていたように、足元に転がっていた空き缶を拾い上げ、キュウビ目掛けて投げつけた。
「ぐあっ!?」
空き缶がキュウビの眼鏡のつるに当たった。奴が動きを止める。
「今だ!!」
「今です!!」
タイリクオオカミの振り下ろした右手が今度こそキュウビの眼鏡を斬り裂き、突き出した左手が胸を貫いた。
「やった!」
「やったぁ!」
セルキュウビは両腕をだらんと垂らし、虚ろな瞳で虚空を見つめている。
俺が掴んでいた奴の尻尾が音も無く砕け地面に落ちた。同様にセルキツネ達も破片となって地面に散らばっている。
俺は首元のマフラーを手で払い、大きく息を吐いた。突然、アミメキリンが笑いながら抱きついてくる。
その時、俺は鼻をつく異臭に気付いた。見ればキュウビの身体中にひびが入っており、そこから白い蒸気のようなものが噴き出ている。タイリクオオカミも顔をしかめ、奴から背ける。彼女の腕をキュウビが掴む。卵の腐ったようなこの臭いは…
「離れろ!!タイリクオオカミ!」
哄笑と共にセルキュウビの身体は崩れ落ち、辺りは白い靄に包まれた。
「な、何ですか!?これ!」
激しい痛みが目と鼻、喉を襲い、涙と咳が止まらない。
「逃げろアミメ!…タイリクオオカミ!」
俺はマフラーで口元を覆い、彼女目掛けて走る。
「しっかりしろ!」
俺は彼女を抱きかかえてとにかく走った。視界が晴れてくる。大勢の人の気配がする。パトカーのサイレンが聞こえる。俺は激しく咳き込むオオカミの背中をさすってやる。人だかりを掻き分けて警察官らしき人影が近付く。
「救急車を呼んでくれ!」
先頭に立つ丸い耳をしたフレンズの刑事に俺は叫んだ。
病院で治療を受けた俺達は、警察の聴取も翌日という事になり、その日のうちに帰れる事になった。
「大丈夫か、オオカミさん。」
「ああ、まだ少し鼻がきかないけどね。君の方こそ大丈夫なのか?サンドスターを吸われたんだろう。」
セルリアンに襲われた場合、サンドスターを吸われるだけではない。逃げ延びたとしても、サンドスターの流出が止まらずに欠乏症になってしまう。サンドスターの循環経路にセルリアンが“穴”を空ける為と言われている。
「平気だよ。昔から頑丈に出来ているんだ。」
包帯の巻かれた腕を上げながら俺は笑ってみせる。
タイリクオオカミも安堵したように笑顔をみせた。それから彼女はアミメキリンに話しかける。
「君のおかげで助かったよ、アミメ君。ところでどうしてあのキュウビの弱点が眼鏡だと分かったんだい。」
それは俺も気になっていた。
アミメキリンは腰に手を当て、自信有り気に答える。
「当然ですよ。メガネキャラの弱点はメガネと決まっています!」
それはアニメの話じゃないのか…
「アミメ君、君は探偵にならなくて良かったと思うよ。」
案の定、オオカミさんも呆れ顔だ。
「え?どうしてですか?」
「それは、あれだよ。探偵になっていたら、オオカミさんとは出会えなかったかもしれないだろう。」
「なるほど!智也さんもたまには良いことを言いますね。」
まだ君とは出会って二回目じゃないか。
「智也。君にも本当に助けられたよ。改めて礼を言う、ありがとう。」
そう言うタイリクオオカミの両の瞳が夕日を受けて煌めいた。俺は彼女の顔を見つめる。
「ちょっと、何いい雰囲気出してるんですか?」
アミメキリンが間に割って入ってくる。
「ダメですよ、オオカミさん。オトコはオオカミなんですから。」
アミメキリンはオオカミさんの腕を引いて歩き出す。
「それなら、私の方こそ正真正銘のタイリクオオカミなんだが。」
そんな二人の後について俺も夕暮れ時の街に向かって歩き始める。
名探偵アミメ・クリスティの孫、アミメキリンよ!
こんな話を知っているかしら。とある宿泊施設には夜な夜な舌舐めずりをしながら獲物を探して徘徊するフレンズがいるそうよ。これは事件の予感!名探偵の血が騒ぐわ!
あ、はい、もしもし編集長。えっ、先生の進捗状況はどうなっているか、ですか?そ、それはですね。え、えーと…
次回 『Firebug』
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